1章 旅人と貴族と囚人と
第5話 見知らぬ街に飛ばされて
シエナが最初に感じた違和感は日照りだった。
先ほどまでの雨による冷気は一切ない。雨音もない。代わりに聞こえるのは雑踏と騒がしい話声だ。
おそるおそる目を開けたシエナは、飛び込んできたその光景に息を呑んだ。
世界が、一変している。
壊滅していた街のはずだったのに、目の前には人が行き交っている。それだけではない。建物も何一つ壊されていないし、目の前にある噴水も勢いよく水が出るほど機能している。
ふと後ろを見ると長い石坂が続いていた。その端には人を拒むように高い塀がある。
この坂にも、塀にも、噴水にも、シエナには見覚えがあった。けれども、頭の中では「そんなはずはない」と必死に否定していた。なんせ今まで彼がいたところは石坂も噴水も真新しくないし、そもそも人がいない。あの青い光に幻でも見せられているのか。そんなありもしない疑惑がシエナの脳内に過る。
しかし、この感じる陽の光はとても幻なんかには思えない。噴水の水を汲んでみても感触も冷たさも本物にしか感じない。つまり、これは夢でも幻でもないのだ。
「これは……どういうことだ?」
自分の身に起こった事態が理解できず、シエナは頭を掻く。
濡れた髪からはポタポタと水が滴る。あれだけの雨だ。別世界に行っても服と体は全く乾いていない。当然、こんな濡れた格好なのもシエナだけで、通りかかる人々は不思議そうな目で彼を見つめていた。
その視線にばつの悪さを感じていると、シエナの隣から「ねえねえ」と可愛らしい少女の声が聞こえてきた。
シエナが声のしたほうを見ると、まだ十歳にも満たない少女が彼を見上げていた。ところどころ破けた服を着た子で、腕には抱えなければ持てないほどの大きな木の籠を持っている。そんな少女が、濁りのない澄んだ瞳で見つめながらシエナに尋ねた。
「お兄ちゃん、どうしてそんなに濡れてるの?」
彼女の素朴な疑問にシエナは返答に窮した。
「あー……水に落ちたから?」
誤魔化すようにシエナは返すが、少女は余計おかしそうに首を傾げた。
怪しまれるかと思って身構えていたシエナだが、少女はすぐににこっと笑う。
「変なお兄ちゃん」
誤魔化せたことに安堵するべきなのだろうが、シエナはどこか複雑だった。
ため息をつきながら視線を落とすと、彼女の抱えていた籠の中身に自然と目が行った。こんなに大きな籠なのに、中身は茶色の石が数個だけ転がっていただけだった。
「なんだこれ? 変わった石だな」
「お父さんが作ったのを売ってるの。キレイでしょ?」
少女の答えにシエナは「ふーん」と言いながら品物に手を伸ばす。その石は一見透明な茶色の石だが、太陽に照らすとうっすらとオレンジ色に輝いた。
「『こはく』って言うんだって。木の「じゅし」が長ーい時間をかけて石になったモノってお父さんが言ってたよ」
「へー、『琥珀』って『樹脂』の化石なんだな。初めて知った」
少女の話を聞きながら、シエナは琥珀に何度も陽光を照らす。そうしていると少女から熱い視線を感じた。「買ってくれないか」とわくわくしているような視線でもあった。そんなに期待して見つめられると、こちらも退きにくい。
「仕方がない」とシエナはショルダーバッグに手を伸ばす。これは、迂闊に商品に手を伸ばした彼のせいでもある。
「これ、いくら?」
そう訊くと少女の表情がぱあっと明るくなった。だが、少女が言った金額にシエナは耳を疑った。
「五十ゴルド!」
「ゴルド?」
確認するように尋ねると少女は「うん」と大きく首を縦に振る。だが、彼が持っている通貨の名は「ガル」だ。「ゴルド」なんて聞いたことがない。どうしようかと迷ったシエナだったが、ひとまず財布から銀色のコインを一枚出した。
「わりい、これしか持ってないんだ」
彼が取り出したのは五十ガルのコインだ。初めて見るコインのようで、少女の目が丸くなっている。これで等価となるか不明だが、それでも少女はゆっくりとそれを手にした。
「一応銀でできてるから、親父に換金してもらえよ」
そう言うシエナの隣で少女は陽光に銀のコインをかざす。
「きれーい……」
陽光に反射してキラリと光るコインに少女はうっとりとしている。
シエナの言葉の意味もわかっていなさそうでシエナは「大丈夫なのか」と懸念したが、少女が喜んでいるので一旦良しとした。
「ありがとう、お兄ちゃん。またね!」
少女は満面の笑みでシエナに手を振る。そんな彼女の笑顔を見ていると自然にシエナの頬も綻んだ。
「おう、じゃーな」
シエナは去って行く少女に手を振りながら見送ると、購入した琥珀をバッグの中へとしまい込んだ。
「ふぅ」と一息ついたのも束の間、感じる多数の視線にシエナはぞくりと身震いする。
警戒しながら辺りを見回すと、家の影から幾人の子供たちがシエナを見つめていた。どの子供も先ほどの少女のようにボロボロな服を着て、大きな籠を持っている。
子供たちと目が合った時、シエナは途端に寒気がした。嫌な予感がする。そしてこの予感は、よく当たる。そう感じた途端、こちらの胸内がわかっていたかのように子供たちが一斉にシエナのもとへ駆け出した。
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