第1話

「先輩、理由だけでも聞かせてください」


「葵くん」


 廊下で先輩に声をかける。先輩は、一旦足を止めた。


「俺はただ、気になるんです。執筆が好きなのに、執筆をしないっていう先輩の気持ちが」


 これまでにないくらいの熱意を込めて、先輩の心に届くように訴える。


 先輩は、やれやれと首を振って話し始めた。


「わたしは、小説が上手すぎたんだよ」


 自賛ともとれるその言葉の内側には、あまりに深い自責があった。


「昔は積極的に活動してた。その話は、聞いてるんだよね?」


「はい。いくつも賞を取って、先生もとても嬉しかったって」


「でも、そこにいたのは喜んだ人だけじゃなかった」


 一年前、先輩が入部した時、期待の新人はもう一人いたらしかった。


 彼は、入部する前にいくつかの小さな賞を受賞した経験があったらしい。


「ただ、同じ文芸部に入ったら、応募する賞の先はほとんど同じになる。すると、大賞の枠を互いに食い合うことになったんだ」


 そのような場面は、何度もあったらしい。


「その中で、わたしを差し置いて彼が大賞や最優秀賞を取ったことは、一度もなかった」


 優秀賞とか奨励賞はあるんだけど、と先輩はとても残念そうな顔つきで付け加えた。


「彼は、最初のころは楽しそうだったけど、いつしか執筆を楽しんでるようには見えなくなっていった。結果主義っていうのかな、最終的に受賞できなければ意味がない、みたいな」


 先輩は続けた。彼を止められるのは、わたししかいないって言われた、と。


「わたしは、彼を説得しようとした。もっと、小説を楽しめるように、って」


 言い方からして、それが上手くいかなかったことは容易に想像できる。


「彼が言った言葉、今でも覚えてる。『俺に、小説を楽しむ余裕なんてない』」


 先輩は、天井を仰いだ。先輩の表情は見えない。


「今思えば、わたしにやれること、言える言葉はもっとあったはずなんだけどね」


 今後悔しても仕方ないけど、と先輩は呟く。


「結局、それから半年の間なんの賞も受賞できなくて、彼は部を辞めた」


 俺はなにも言えなかった。先輩の悲痛な責任感が、強く感じられる。


「ちょっと露悪的な言い方をすると、わたしは、一人の夢を潰した」


 一見、自責が強すぎるように思えたが、少し考えるだけで、先輩が一人の夢を潰したというのは事実だとわかって、俺はなんと言うべきかわからなくなる。


「きっと、彼も。わたしが活動して成功なんて、してほしくないと思ってるはず。わたしが活躍なんてしたら、嫌になるはずだよ」


 俺は、なにも言えなかった。

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