第47話

 ドンっと壁に叩きつけるように推し飛ばされた詩兎は目の前にいる男を睨みつけた。


「何だ、その目は!」


「あなたこそ、一体どういうつもりなんですか?」


 不機嫌そうな顔で詩兎を見下ろすのは菊陵庵だ。

 研磨局に向かう途中に呼び止められたと思ったら、人気のない場所に連れ込まれてしまい、詩兎は露火の言葉を思い出して自分の不用心さを呪った。


 ただ、陵庵の場合は詩兎に不埒な真似をすることが目的ではなく、気に入らない相手に対する脅しのようだった。


「お前が余計な真似をしたせいで、俺が恥をかいたじゃねーか!」 


「余計なこと? あぁ、あの雑な研磨をされた竜眼石を磨き直して各部署に届けたことですか?」


 理杜から受け取り先の担当に褒められたと聞いた。

 一度良質な品を受け取った者は、次もまた同じ出来栄えの品を求めるのは当然のこと。

 今までの仕事がどれだけ疎かであったかが露見し、今後も高品質なものを求められたことに対して憤慨しているようだ。



「俺の研磨局はこれで上手く行ってたんだ! 余計なことしやがって!」


 何よ、その『俺の研磨局』って。


 宮廷の一部署を自分の物扱いだ。

 身の程知らずな不遜な発言に詩兎は眉を顰める。


 そしてそんな詩兎の態度が気に入らないのか、陵庵は詩兎の襟首に手を伸ばし、そのまま締め上げるように掴んだ。


「うっ……」


 布が頸動脈を圧迫し、絶妙に苦しいくて詩兎は呻き声を上げる。


「全く、竜王殿下も見る目がねぇな。何でこんな女を囲いたがるのか……きっと貴様に同情したんだろうな。お前、母親が不貞してできた『不義の子』なんだろ? つまりは正当な血筋じゃない半端モンなわけだ。竜王殿下も母親は下賤の遊女だろ。半端モン同士、お似合いだがな」


 陵庵の言葉に詩兎は奥歯を噛み締める。

 

 

 今まで何度も詩兎を嘲笑う言葉として浴びせられてきた言葉だ。 


 その度に詩兎はその発言を否定してきた。

 しかし、今回はそれだけでは済まないようだ。

 

 お母様だけでなく、露火様をも貶めるような発言をするなんて!


「っ……お母様は不貞なんてして……いないっ! それに、露火様は半端者なんかじゃない! 立派な皇族よ!」


 詩兎が主張すると、それが面白くない陵庵は更に詩兎の襟首が閉まるように襟を引っ張った。


「うっ……くっ」


「貴様が竜王殿下の愛人だからって仕方なく入局させてやったっていうのに、あまんまり勝手ばかりするようなら黙ってねぇぞ! 俺は防衛大臣の甥なん――――――ぎゃああぁぁぁ!」


 首の圧迫感から急に解放されたかと思いきや、陵庵が雄たけびのような悲鳴を上げて詩兎から遠のいた。


「ゴホッゴホッ」


 詩兎は急に戻って来た空気を吸い込み、むせて咳き込んでしまう。

 


 視界の端では陵庵が地面に転がり、のたうち回っている。

 陵庵の背中に赤い火の粉のようなものが見え、詩兎は驚いて目を丸くした。


「熱いっ! 熱いっ! 熱いいぃぃぃぃ!」


 火の粉のようなものは見間違いなく火の粉をのものだったようだ。

 背中に火が付いた陵庵はまるで浜に打ち上げられた魚のようになっている。


「おや、こんな所にマズそうな魚が落ちていますね。海に返さなければ」


 いつもように愛想の良い笑顔で現れたのは露火だった。


 

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