第44話
一体、どういうことなのだろうか?
露火は詩兎の言葉に何かを誤解しているのではないかと感じていた。
『私などに構っていると知れば、『噂の研磨姫』は烈火の如く怒るでしょう。新婚で妻の怒りを買うのは皇族の方であっても体裁が悪いと存じます。どうぞ、私のことは構わず、お二人で仲を深めて下さいませ』
詩兎の言葉を思い出し、露火は頭の中を疑問符で埋め尽くされる。
まるで桜華陽が自分と結婚するというような物言いだ。
しかも、何だか物凄く怒っているように見えた。
あの女と結婚など、そんな予定も事実もないというのに。
詩兎は誤解をしているようだが、何がどうしてそのような誤解を生んだのか露火には見当もつかないのだ。
「一体、何故そのような誤解を?」
首を捻るがそれでも分からない。
自分があの女を嫁になど貰うはずがない。
詩兎を虐げ、社交界でも詩兎を悪女に仕立てた女をどうして嫁になど貰ってやらなければならないのか。
そもそも自分には詩兎がいるのだし、それ以外の女は不要だ。
今は計画のために、詩兎との関係を公にはしていないが、折りを見て公表するつもりでいる。
「分かりませんね……」
明日にでも詩兎に訊ねてみよう。
きっと詩兎は教えてくれるはずだ。
そんなことを考えながら詩兎を押し倒したことも思い出す。
寝台に広がった浅蘇芳色の髪は艶やかで、燭台の灯りに照らされた肌は淫靡に露火を誘った。
いとも簡単に組み伏せることができるのだ。
瑛こと、虎江国皇太子瑛珠は女なら誰でも手を出すような男ではないが、他の男であれば分からない。
実際に研磨局へ出入りする詩兎に声を掛けようとする男は多いのだ。
詩兎に声を掛ける前に露火が詩兎に付けた影の護衛によって阻まれている。
自分が男に視線を向けられていることに気付かない詩兎はあまりにも危機感が足りない。
少し脅すつもりだったのだが、効果は絶大だった。
詩兎は怯えて涙ぐみ、腕の中で震えていた。
少しやり過ぎたかもしれませんが……いや、もういっそのこと奪ってしまえば良かったかもしれませんね。
普段とは違う詩兎に興奮してしまった露火はこれ以上はマズいと己を制した。
しかし、今思えば、婚礼を待たずにあのまま奪ってしまった方が良かったかもしれないと考える。
しかしそんな風に考えていると詩兎の言葉が脳裏に蘇る。
『あなた様を信じた私を否定するのはお止め下さい』
その言葉を聞いた時、自然に手が止まった。
胸の中がくすぐったいような不思議な感覚に露火は戸惑う。
そして詩兎の言葉が露火にそれ以上を許さなかったのだ。
それ以上は詩兎の意志を無視してはいけない、そんな風に感じた。
おかしな話だ。
自分は皇帝以外に誰にどんな振舞いをしても許される身分だというのに。
女の一人、二人抱いたとしても誰も文句を言うことはできない。
詩兎も文句は言えない立場だ。
けれども、それは何かを大きく損なうことだと、露火の脳裏で警鐘が鳴った。
取り返しのつかないことになる、と本能が察した。
こういう時の勘は当たる。
自分の勘を信じることにしよう。
それ以外にも杞憂はあった。
「きっと、瑛珠殿は気付いたでしょうね」
だから出会って間もない詩兎を市へ連れて行き、観察したのだ。
瑛珠はきっと気付いたはずだ。
幸いなのは詩兎がそのことにまだ気付いていないことである。
黒く染められた瑛珠の本当の髪色を見れば、彼との共通点に気付くだろう。
瑛珠が取るであろう行動を考えると、露火の胸がざわざわと落ち着かなくなるのだ。
「やぁ、露火。おかえり」
目的地に向かって歩いていると背中に声が掛かる。
聞き馴染んだ声に振り向くとそこにいたのはにこやかな表情を浮かべる天翔の姿がある。
露火はこれから天翔の部屋を訪れる約束をしていた。
少し遅くなってしまったのでもう寝てしまったかもしれないと思っていたが、まだ起きていたようだ。
「遅くなってしまい、申し訳ありません」
「いや、良いんだ。今、皇后の所に行っていてね。僕も今しがた戻ったばかりなんだ」
そう言って天翔は微笑む。
娶った妻はまだ幼い。
皇后が子供であることに難色を示して自分の娘を勧めてくる輩が後を断たないが、兄はそれに一切応えることなく、皇后を溺愛している。
昼の公務が終わると夕方から夜までは皇后と一緒に過ごすのが天翔の日課だ。
『うっかり手を出すといけないからね』
そう言って夜は閨には入らず、自分の宮へ戻って来るのだから、感心する。
幼かろうが妻は妻だと、夫婦の務めを強要する男は多い。
成長途中の妻の身体を慮り、その時を待つ兄はかなり稀少な男だと感じる。
「さぁ、中に入ろう」
露火は兄と共に部屋まで歩き、中へ入った。
いつものように円卓を挟んで向かい合わせに座り、お茶を飲みながら報告をすることにした。
「市で騒ぎがありました。規定外の大きさの竜眼石がどこからか流れています」
露火は市で起きた騒ぎの詳細を天翔に話した。
「それはいけないね。どこから流れているのかはまだ分からないのかい?」
「今調べている最中ですが、可能性としては――――――かと」
露火の言葉に天翔は頷く。
「引き続き調査を。それにしても露火のお姫様は凄いね。露火が女性を連れ帰ったと知った時はひっくり返りそうになったけど……納得だ」
詩兎を連れてきた翌日、露火は天翔にその旨を話した。
というか、話す前から何故か知っていたので急いで箝口令を敷いた。
兄はちょっと口が軽いところがあるので、時が来るまで誰かに何を聞かれても知らぬ存ぜずを貫いてもらうことにしたのだ。
「露店を出していた男も、まさかバレるとは思っていなかったのでしょう。竜眼石と他の宝石との違いや規定の大きさは一般人では分からない。詩兎だから気付いたのです」
そう、詩兎だから気付けた。
詩兎がいなければあのような場所で、竜眼石が売買されていることに気付くことはなかっただろう。
厳しく制限されている竜眼石が不正に流通している。
それも王都、皇帝陛下の目下でだ。
この事実が世間に広まれば国の信用に関わる。
露火は溜息を零す。
虎江国との問題も含めて、課題は多い。
「とにかく、今は虎江国との問題に注力しましょう。今日の件もそちらと繋がっているのではないかと思うので」
「頼んだよ。もう少しで研磨師の選定もあるしね。露火は忙しくなると思うけど」
「問題ありませんよ」
既に計画は進んでいる。
研磨師の選定は小細工をしなくても実力的に詩兎が選ばれるはずだ。
「今年は詩兎の作品が神殿に奉納されます。彼女の竜眼石に偉大な竜神もきっと満足するはずです」
露火はそう言って立ち上がり、兄の元を後にした。
あまりにも自信たっぷりの弟の言葉に兄は目を見開いたまま固まっていた。
「あの子に本当の春が……お姫様が現れたんだねぇ」
このまま瑛珠の所に酒でも持って押しかけようかと思うほど、兄はうきうきした気持ちでいっぱいであった。
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