第31章 記憶の糸を紡ぐ夜

 初冬の静けさが、ふわもこ村を優しく包み込んでいた。木々の葉は大部分が落ち、枝だけになった姿が月明かりに照らされ、繊細な影絵のように地面に映っている。村の空気は澄み切り、一歩外に出れば、冷たさと共に星々の煌めきが肌に触れるかのような錯覚を覚える季節となっていた。


 ミアは、ふわもこ茶屋の2階にある自分の部屋で、窓辺に腰かけていた。膝の上には、古びた一冊のノートが置かれている。それは、ミアが異世界に来る前から大切にしていたものだ。表紙には、かすれかけた文字で「思い出日記」と書かれていた。


「ねえ、モフモフ。今夜は何だか、昔のことを思い出してしまうの」


 暖炉の前で丸くなっていたモフモフが、ゆっくりと目を開けた。


「そうなの? どんなこと?」


 ミアは微笑みながら、ノートをそっと開いた。ページをめくると、かすかに懐かしい香りが漂う。それは、前世の記憶を呼び覚ます不思議な力を持っているかのようだった。


「ここに書かれているのは、私が前の世界で過ごした日々の記録なの」


 ミアは、ページに書かれた文字を指でなぞりながら、静かに語り始めた。


「私は、大きな会社で働いていたの。毎日忙しくて、心に余裕がなかった。でも、休日には趣味の裁縫を楽しんだり、友達とカフェでおしゃべりしたり……。そんな小さな幸せがあったわ」


 ミアの目に、懐かしさと少しの寂しさが浮かぶ。モフモフは、そっとミアの足元に寄り添った。


「そうか。ミアにも、別の人生があったんだね」


 ミアは頷きながら、ページをめくり続ける。そこには、日々の出来事や感情が丁寧に記されていた。仕事で困難を乗り越えた喜び、友人との楽しい思い出、家族との温かな時間……。それらの記憶が、まるで映画のように蘇ってくる。


 突然、ミアの指が一枚の押し花に触れた。それは、淡いピンク色の桜の花びらだった。


「あ……」


 ミアの目に、涙が光る。


「この花びら、最後の春に見た桜の花なの。あの日、私は『もっとゆっくりと生きたい』って思ったんだ」


 その瞬間、不思議なことが起こった。押し花から、かすかな光が漏れ始めたのだ。その光は、徐々に強くなり、やがて部屋全体を包み込んでいった。


「わ、なに? これ……」


 光の中に、ミアの前世の記憶が映像となって浮かび上がる。満開の桜並木、笑顔で歩く人々、そしてカメラを向けるミアの姿。それは、まるで魔法のようだった。


「ミア、これは……」


 モフモフが驚いた声を上げる。


「ええ、私の記憶が形になったの。こんなことができるなんて……」


 ミアは、自分の魔法の力が成長していることに気づいた。感情と記憶が結びつき、目に見える形になる。それは、ミアにとって新たな発見だった。


 映像は徐々に変化し、ミアの人生の様々な場面が映し出されていく。楽しかったこと、辛かったこと、大切な人々との思い出……。それらすべてが、優しい光に包まれて浮かび上がる。


「私、この世界に来て、本当に幸せよ。でも、時々、あの世界のことを思い出すの」


 ミアの声は、少し震えていた。


「それは自然なことだよ、ミア」


 モフモフが優しく語りかける。


「あの世界での経験が、今のミアを作っているんだ。だから、たまには思い出してもいいんだよ」


 ミアは、モフモフの言葉に深く頷いた。そうだ、自分の過去を否定する必要はない。むしろ、それを受け入れ、今の生活に活かしていけばいいのだ。


 映像が消えていくにつれ、ミアの心に温かな感情が広がっていった。懐かしさや寂しさは、穏やかな愛おしさへと変化していく。


「ねえ、モフモフ。私、決めたわ」


「うん、なに?」


「これからは、前世での経験を活かして、もっとたくさんの人を幸せにする魔法を作っていきたいの」


 モフモフは、嬉しそうに頷いた。


「それは素晴らしいアイデアだね。ミアの魔法は、きっと多くの人の心を癒すよ」


 ミアは立ち上がり、窓を開けた。冷たい夜気が部屋に流れ込む。空には、無数の星が瞬いている。その光は、まるでミアの新たな決意を祝福しているかのようだった。


「さあ、明日からまた頑張ろう」


 ミアは、深呼吸をして夜空を見上げた。過去と現在、そして未来。それらすべてが、美しいハーモニーを奏でているように感じられた。


 ふわもこ村の静かな夜は、ミアの心に新たな希望の種を蒔いたのだった。そして、その種は確実に、温かな魔法となって芽吹いていくに違いない。


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