第55話 クリムちゃんは思春期 その3
「吸って、吐いて、吸って、吐いて、いいね、うまいぞ」
「すー、はー……」
私は彼に言われるまま、言う通りに呼吸を続ける。
役に立ってないのに、なぜか、私は今、これまでにないくらい安心している。
揺れている、海面が揺れるたびに私の身体も揺れる。
けれど、私は沈まない。
この感覚を私はどこかで一度体験しているような気がした。
――クリム。
何故か、姉の事を思い出した。
けれど、その理由は分からない。
「さて、クリム君、次、だ。今度はその呼吸を、そうだな、吸っての時点で止め、海面に顔をつけてみよう。潜る必要はない、ただ。息を止めて、海の中を覗くだけだ。大丈夫、心配することはない、私もいる、イルカもいる」
「キュイ!」
「キュイキュイキュイ!」
「きゅいきゅいきゅいきゅい、海はいいぜ。静かで穏やかで完成されてるだろ、キュイ」
気付けば、海の賢者達が私達を囲むように泳いでいる。
私は、ゆっくり、彼に手を握られたまま、海面に顔をつける。
こぽ、こぽぽぽぽぽ。
海鳥の声は消え、耳に伝わるのは、圧倒的な海の音。
ぼおー、こぽぽ、きゅい、きゅい。
賢者達が、静かに海を掻いて泳ぐ音、水の中でも伝わる彼らの声。
そして
『クリム君、ゆっくり目を開けなさい』
さすが、水竜の使い。
水の中で彼の声も聞こえる。
私は、目を開く。
あ……。
色彩。
青い世界の中にサンゴがまるで花畑のように広がる。
比較的浅い場所だからか、白い海底がすぐそこに。
ぶわああって広がる小さな魚達。青、赤、白、黄色、さまざまな色の魚の群れがサンゴの花畑の上をまるで飛んでいるかのように泳ぐ。
『こちらへ』
彼が私の手を引く。
足はとっくに届かない。珊瑚の海は広く、続く、やがてゆっくり、深く。深く。
不思議と怖さはない。私は息苦しさを忘れて、彼に手を引かれたままゆっくり、深い場所へ。
あ、ああ、足はもう絶対に届かない。
透明な海はどれだけ深くなろうとも海底が見えなくなることはない。
足元に見える珊瑚ははやがて、広く浅く存在する花畑から、谷や渓谷のようにまるで海底から生える塔のようなものに変化していく。
綺麗だ……。
そこには、きっと綺麗以外の意味はない。
肩を叩かれる、私はただ、それに従い、顔を上げる。
つぷ。耳に世界の音が戻る。
空気の音、海鳥の声、そして。
「良い調子だ、うまいぞ、クリム君」
彼の声。
すーはー、すーはー。
意識せずとも、私の身体はゆっくりと落ち着いた呼吸を繰り返す。
「……綺麗」
「だろう? ここには綺麗なものしかない。役に立つとか立たないとか……そんなことを考える者も誰もいないんだ」
サキシマさんが、にこっと笑い、そのまま少し離れた場所え泳ぐ。
手放された手の感覚を、少し惜しいと思いつつ私は彼をじっと見つめた。
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