第32話 聖女召喚とアリア修道院

「失礼します、ミーシャです。」


「どうぞ。」


 大きな音が聞こえる中、隠れるように子供たちの朝の支度を行い、食事を食べさせ、自分も食事をし、夜勤めを終えたところで、疲れた顔のシスター・サリアからの伝言で招かれた、重々しい空気が漂う院長室に小さな溜息が広がった。


(流石の院長先生もお疲れの御様子だわ……。)


 執務机に座り書類を前にした院長先生だ。


 ここ一年、私の飛び込み見習い修道女の件や、マーガレッタ嬢の事、そのほか小さな揉め事は多々あったが、ここまで疲れた様子の院長先生をみたのは、この一年で初めてだったと思う。


「……い、院長先生……。」


 どんなふうに声をかけてよいかわからない私は、それでも先生をお呼びした。


「あ、あぁ。ミーシャ。 夜勤めで休息時間なのに呼び出しておいて、ごめんなさいね。」


「い、いいえ……。 お疲れのようなので、紅茶をお入れします。 先生はそちらで飲まれますか?」


「……いいえ、そちらへ行くわ。」


「わかりました。」


 紅茶を淹れ、執務机の前に用意された応接セットのテーブルにお茶と、用意されていた小さな茶菓子を用意した私は、院長先生が書類の束を抱えながらソファに座ったのを確認してから、その正面に座る。


 眉間に皺を寄せ、ちいさく溜息をつきながらお茶を飲んだ先生の表情がやや穏やかさを取り戻した様に見えたため、私は声をかけた。


「院長先生。 あの……私をお呼びになったのは、聖女マミ、様の事、ですか?」


「えぇ。 大きく言えば、そうですね。」


 はぁ、と、溜息をついた院長先生は、抱えていた書類をテーブルの上に置いた。


「ミーシャ。 彼女――聖女マミ様をこの修道院で預かる事になりました。 そのため、貴女にはこれから大変な思い、辛い思いをさせるかもしれません。 当初は別の場所に、と思っていたのですが、彼女の場合、関係しているものの大きさ故、ここでしか預かって護れない、と判断しました。 事後報告になってしまった事を心から謝ります。」


「そう、ですか。」


 あぁ、やっぱりと思いつつ、先生に頷いた私は、心構えをするつもりでその状況について聞いてみた。


「院長先生。 よろしければ、お聞かせ願える範囲でよいので、彼女の状況というものをお伺いしても?」


「えぇ。 詳しい話はこちらの書類を読んでもらった方が早いのだけれど、今回の件で一番大きな問題は、敵が多い、という事でしょう。」


「敵が多い?」


 首をかしげた私の目の前に押し出された書類に手を伸ばす。


 一枚目には、人物名が書き連ねられていて、その一行目には、ジャスティ第一王子殿下の名前が書いてある。


 次は……公爵家の次男と三男坊、侯爵家の嫡男、伯爵家の次男や別の伯爵家の嫡男、子爵家当主とその家の嫡男……と10人以上の名前だけが、書き連ねられていた。


「……先生、これは?」


「少なくともこの3か月の間に、聖女が体を重ねた相手だそうです。」


「は?」


 私は変な声を上げてしまって、思わず口を手で押さえた。


「た、大変申し訳ございません。」


「いいのよ、私も同じように声が出てしまったから。」


 はぁ、っとため息をついた院長先生は、首を振った。


「彼女は、神殿に身を置き学院に通いながら、監視の目をかいくぐってその方たちと体を重ねていたようです。 3か月、という縛りがなければもっと人数は跳ね上がるかもしれません……。」


(いや、もうそれ、前世で言うところのただの〇ッチじゃない。)


 口に出すのも憚られる言葉を思い浮かべながら、先生の説明を聞く。


「貴方の婚約破棄騒動後、元王太子殿下と聖女は月の間による陛下の裁きを受け、元王太子殿下は廃嫡し、聖女との婚姻と、臣籍降下が命じられたようです。 臣籍降下後の爵位については、聖女が学院に在籍する2年の間に『聖女の英知』による国への貢献度に応じて考慮されると国王陛下から言い渡されたそうです。」


(それは、アイザックの手紙に書いてあった通りね。)


 静かに頷いた私に、院長先生は続ける。


「その後王太子宮から西の離宮に移され、執務を執り行っていた元王太子殿下に対し、何かしら思う事があったのでしょう。 聖女マミは学園に戻り、男子生徒と交流を広げていったようです。 そしてそれを知った第一王子殿下は、聖女に対し暴力をふるった。」


「……はぁ? それは、本当ですか?」


(いざというときのために柔術や剣術を行い、日々鍛錬も行っていながらも、紳士であれと教育されていて、しかも聖女べったりだったあの殿下が婦女子に暴行?)


 再びおかしな声を出してしまった私に、はぁ、っと院長先生は息をついた。


「貴女が驚くのも無理はありません。 しかし事実です。 第一王子殿下の見張りとして付けられている者がその現場におり、すぐに聖女を医師に見せ手当てを受けさせたそうですが……一王家の王子として情けない限りです。 そしてそれを機に、聖女は第一王子殿下を見限ったのでしょう……交友のある貴族令息と一線を越えてしまったようです。」


「……そう、ですか。」


(それもどうかと思うのだけれども……。)


 双方の愚行に何とも言えない気持ちになりながら私は院長先生に尋ねる。


「それで腹に子を成したという事ですね。 しかしそれであれば殿下の名が挙がるのはおかしくありませんか?」


「それは……。」


 少し言い淀んだ院長先生は、しかし、意を決したように私を見た。


「その行動を知った殿下が大変立腹し、自宮に呼び出し、力で従わせたと聞いています。」


「……なっ。」


(あきれたっ! それじゃあただのDV男じゃない……。)


 もう、あっけにとられて言葉も出ない。


 聖女マミの行為は褒められたものではない。 倫理に反しているし、何故そのようなことになったのか、はっきり言って理解に苦しむ。 しかし、それを知って逆上し無理やり行為に及ぶとは……。


 しかも廃嫡されたとはいえどまだ『第一王子殿下』だ。


 現在、聖女マミが子を宿している。 それは国を挙げて崇める『神殿聖女の子』で、現時点で父親が誰かはわからないが、一覧を見る限り、高貴な血であることに変わりはない。


 この世界に血縁関係を調べる科学はまだないが、それでも顔や髪の色、瞳の色など親子関係を示唆するものはある。


 産まれた子が王家の血を引く特徴を持っていれば。


 逆に、元王太子と懇意の神殿聖女が産んだ子が、自家の血の特徴を引いていれば。


(これは確かに。 彼女の周りには敵しかいない……。)


 王家を筆頭に名誉や家門を守りたい者、地位を狙う者、国家転覆を狙うもの……どのような形で権力を望むにしろ、聖女と腹の子の存在を排除したいと思う者、手に入れたい者、どちらも多いだろう。


 そこまで考えて、ふと、気付く。


(彼女を守るためにここに連れてきたのは誰?)


 彼女を連れてきたのは王宮騎士の鎧を身にまとった者だった。


 現在の状況を考えるなら、彼女の身柄は不安定だ。 王家も王宮や離宮に置いておきたいはずである。 なのにこの『権力不介入』の教会に連れてこられた理由がわからない。


 私はしっかりと真正面から院長先生を見て問うた。


「先生。 今回、聖女マミをここまで守って連れてきたのは、誰なのですか?」


 それには先生は静かに微笑んだだけで答えてくれなかった。


(まだ、言えないことがたくさんあるわけね。)


 これ以上の事は、王家の者しかその真意を知る事が許されない『神話』が関わってくるのかもしれない。


 それを、私は王太子妃教育の中で知った。 婚約中とはいえ、婚姻前に浅はかな、と思ったのは事実。


 しかし。


(なぜ先生はそれを知っているの……?)


 考え込んだ私に、院長先生は静かにいう。


「ミーシャ。 貴女は『神殿』と『聖女』と『王家』の仕組みを、正しく知っていますか?」


 それには、私は静かに頷いた。


「もちろんです。 8代前のドルディット国王陛下が、ある日、不思議な服装をした少女を王宮の森で見つけたところから始まります。 その少女はこことは異なる世界から突然この世界にやって来たと言い、大変に聡い方で、この国に有機農法などの農耕改革、水車や風車の建築、そこから派生する小麦の脱穀粉砕方法を伝えられ、また食事に対する改革もされたと。 そのお陰でこの国は豊かとなり、国王陛下は『彼女こそ王国史にあった聖女』だと確信され、彼女と出会った王宮の森の中に神殿を建築し『聖女』として祭り上げたのですわ。 そして『聖女召喚』と言われる異世界から聖女を呼び寄せる技を研究、構築し、王国の繁栄のために数年に1度、神殿にて聖女を召喚していると。 ただし、必ず召喚が成功するわけではない事や、英知をもたらせない聖女もいて、その場合には功績を上げた貴族へ『勲章の変わり』に下賜されると聞いております。」


「えぇ、そう。 そうよ。」


 はぁ、とため息をついた院長先生。


「その歴史の言う『国を豊かにしてくれる聖女の英智』とは、召喚前まで暮らしていた異世界の生活の知恵、工夫、知識のことです。 形になる物もあればならない物もあります。 初代聖女の農耕は英知が形となったものであり、6代目の聖女の形のない『法律』『徴税制度』『医療改革』は知恵としてもたらされたものです。」


 ですが、と、院長先生は私を見た。


「聖女という呼び名は後付けです。 実際は、異世界で暮らしその命を終え神に召される直前に、秘術によってこの国の神官に、呼び寄せられたただの女性なのです。 そのような女性たちの全てが、この国の文化水準、生活様式を素直に受け入れ、暮らし、国を豊かにするような英智を授けられると、はたして貴女は思いますか?」


 それには、私は少し考えた。


 誰にも言っていないが、前世の記憶を取り戻している私から見て、この世界は中世から近代の西洋文化に基づいた暮らしをしている。


 公爵令嬢として生活している時には、前世の記憶もなかった上、家事などからは縁遠く、何不自由なく暮らしていたが、修道院に入ってからは、身の回りの事や家事などを始めた為、その大変さ、不便さはよく分かる。


 電気はなくランプやロウソクを使用し、手で洗濯物を洗い、薪で火を起こし、薪窯や、クッキングストーブを使って調理をしているため、家事は火起こしから始まり、火消しで終わる。


 衛生環境も良くないだろう。 上下水道がないため、毎日水を井戸から汲み上げ水瓶に保存し、生活用水に使う。


 飲水は1度沸騰させてから冷まして使う。


 それでも、その井戸も、何代か前の聖女がもたらしたもので、それまでは川や沢から綺麗な水をくみ上げてこなければならなかった。


 トイレも、あるにはあるが汲み取り式で水洗ではない。 定期的に農家のものが肥やしの材料としてし尿の汲み取りをして回っている。


 そう、この世界は前世の私が住んでいた現代とは文化水準に圧倒的な差がある。


 私はこちらで生まれ、こちらで育った。 そのため、記憶を取り戻した時は、流石にその大きな差にショックを受けたものの、よく考えればそうして19年生きてきた実績があったため、それを普通に受け入れ、いまも生活ができている。


 しかし、人には向き不向きがある。


 公衆衛生がしっかりし、扱う人の方がついていけないほど発達した文明世界から、突然こちらに呼び出された女性たちの心境は。


 そこまで考えて、ふと、私は何かに引っかかった。 先ほども感じた違和感だ。


「あの、院長先生。」


「なんですか?」


 疲れた様子を見せながらも微笑む院長先生に、引っ掛かりを覚えていた違和感を言葉にしてなげかけてみた。


「なぜ、院長先生はそのことをご存知なのですか?」


 この国には確かに聖女がいて、皆に崇め奉られている。 『聖女様とは、この国を豊かにしてくださる大切なお役目を授けられ降り立った聖なる乙女である』と、そう国民の大多数は教えられている。


 しかし、聖女の本質が何たるかは、本当はどうやってこの世界へ来ているのか、上位貴族の中でも僅かなものしか知らない特秘事項なのだ。


 公爵令嬢である私でさえそれを信じ、真実は王太子妃教育の中で初めて知ったのだ。


(なのに、なぜ?)


 じっと視線を交わして数秒。 ふっと、院長先生は目元を緩ませた。


「ミーシャ。 あなたがここに来た日の時のことを、覚えていますか?」


 その問いには、頷く。


「はい、その節は大変ご迷惑をおかけしました。」


 そう言うと、そういうことでは無いのです、と首を振った院長先生は静かに微笑んだ。


「あの時、私はこう説明したはずです。 この修道院は、先代の院長先生が『』を守るために作った場所である、と。」


 確かにそのような話を聞いたことがあるので頷くと、院長先生は静かに立ち上がり、執務机の後ろにある大きな金庫から、色の変わった封筒を取りだして戻ってきた。


 その封筒は、厳重に麻糸が巻かれ、その上から4箇所、封蝋が落とされている。


 一緒に持ってきたペーパーナイフで院長先生の手によって丁寧に開封されると、封筒の中からは、やはり色の変わった書類が取り出された。


 そしてそれは、私の目の前に置かれる。


「アリア修道院建設時の資料です。」


 どうぞ、と、差し出されたそれを、私は安易に手を出すことができなくて、恐る恐る院長先生を見た。


「保管のされ方からいっても、これが本当に大切な書類だと言うことが分かります。 そのようなものを、私のような若輩者が拝見しても宜しいのですか?」


 すると院長先生はひとつ、頷いた。


「わたしは貴方にここを継いでほしいと思っているけれど、もし貴女がそれを断り還俗した後には、家族であろうと口外しないと約束できるようであれば、見ても構いません。 これに書かれていることは、ここで長く働いてくれている者たちは皆知っていますから……知らないのは、そうですね、当時生まれて間もなかったダリアの娘くらいでしょう。」


 なるほど、と、納得し、私は意を決してその書類を手に取った。


 アリア修道院覚書


 そう書かれた表紙をめくり、書き綴られた文字に目を走らせる。


 そしてその内容と、そこから導かれた院長先生の正体に、私はただただ絶句するしか無かった。

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