第8話 危険なロッククライミング
風速40メートル以上の風が吹き荒れる断崖絶壁。
家屋すら吹き飛ぶような風を受けながらのロッククライミング――
子供でも理解できる自殺的行為に、俺達は及んでいた。
2機のデウスマキナは、岩壁に張り付いた状態で、這うように上へと進んでいく。
その速度は遅々としたものだが、標高で言えば既に500メートル地点を過ぎているだろう。
普通の山であれば良い景色が見られるのであろうが、残念ながらこの『サンドストームマウンテン』では見ることができない。
吹き荒れる風には、砂などの異物を巻き込まれているため視界が悪く、既に地上はほとんど見えていなかった。
俺はシャルロット嬢のデウスマキナ――、【シャトー】の進むルートに追従して崖をよじ登っている。
2機のデウスマキナが仲良く壁をよじ登っている姿は、中々にシュールな光景に見えることだろう。
しかし、そのシュールさからは全く想像できないが、俺達は至って真剣に機体を操縦していた。
凹凸の少ない岩壁をマニピュレーターでよじ登るには、視覚情報が必要不可欠である。
その点は、彼女から提供されたウィンドシールドのお陰でかなり助けられていた。
この日のために独自で開発したというこのウィンドシールドは、空力的に有利な形状をしていながら、透過率が高く、この状況でもそれなりの視界を確保できるという優れた代物だ。
ホールド(掴むところ)を目視で確認できるのは大変ありがたい。
かなりの重量級であるデウスマキナが岩壁を掴んで登るということについては不安があったが、彼女の言う通りそれも杞憂であったらしい。
数百年以上前から存在しているというこの山は、記録の取られた当初から一切景観を変えていないと伝えられている。
これだけの風に
この岩肌、岩と表現しているものの、実は性質的には天然で生まれた合金のようなものらしく、掘削すら困難な代物なのだそうだ。
そんな性質の山が自然に生まれたとは、到底思えない。
この異常な風といい、ここにはやはり何か秘密が隠されていそうだ。
『マリウス! 今の速度でちゃんと付いて来れてる!?』
「ああ、最初は戸惑ったが今は慣れた。もう少し速くても大丈夫だぞ」
『この短期間で慣れたって……、アンタ絶対おかしいわ……』
おかしいとは随分な言い草である。
しかし、お嬢の言い分もわからなくはない。
傷もつけ難く、凹凸も少ないこの岩壁をデウスマキナで登るのは至難の業だ。
たとえ一流のデウスマキナ乗りでも、普通の操縦技術でよじ登ることは不可能と言っていい。
にも関わらず俺達がスムーズの登れている理由が、スラスター(推進装置)の複数起動と、その出力調整にある。
『サンドストームマウンテン』に吹く風は、基本的に横風と向かい風しかない。
その内、向かい風は常に吹き続けているが、横風については左右が目まぐるしく変わるという非常に面倒な性質をしている。
向かい風については上昇用のスラスターを吹かすだけで対抗できるが、それだけだとエネルギーも足りなくなるし、反発しあって壁際から弾かれる可能性もある。
そのため、上昇用のスラスターについては出力を最小限に抑えつつ、アームの力を主な推進力としていた。
横風については背面、そして左右のスラスター出力を同時に行うことで対処している。
この内、左右のスラスター出力が曲者であり、少しでも調整をミスすると大きく体勢を崩すことになる。
お嬢が俺のことをおかしいと言っているのは、この出力操作の難易度のせいだろう。
普通のデウスマキナ乗りじゃ、左右の風に合わせてスラスター出力を微調整するなんてことは、そう簡単にできないハズだ。
ちなみにお嬢は、以前何度か単機でこの岩壁に挑戦をしたことがあるらしい。
一体何故そんな真似をと思わず尋ねてしまったが、それはこの地が開催地候補の1つだったから、という回答が返ってきた。
あくまで候補の1つに過ぎないというのに、わざわざそんな命がけの調査までしていたというのだから、中々にイカレたお嬢様である。
『風向きが変わるわ。切り替え準備!』
「了解」
そんな命がけの調査で得られた情報が、この風向きの変わるタイミングである。
彼女の機体【シャトー】には、高性能の音声感知機能が搭載されているらしく、どうやらその音の違いから判断をしているらしい。
このクライミングルートも、そしてそのテクニックについても、みんな彼女が考案したものだ。
……本当に大したものだと思う。
正直、最初は入賞のために利用してやるくらいの気持ちだったのだが、彼女の努力や純粋さ、そして優勝を目指す姿勢は中々胸に響くものがある。
今では俺の目的より、彼女を勝たせてやりたいという気持ちの方が強くなっている――と言っても過言ではないだろう。
そんな熱い思いを胸に抱きつつも、頭は冷静に、ただ黙々と山を登っていく。
俺達がクライミングを始めてから、既に8時間近く経過していた。
このままいつまで登り続けるのだろうか……と思ったところで、【シャトー】の動きが停止する。
『ねえ! 見てマリウス! ずっと向こう! 雲の切れ間が見えるでしょ!』
「ああ……、あれは……、太陽か?」
薄暗い視界の中で、薄らと紫色の光が見える。
『ええ! そろそろ陽が沈むわ! 今日はこの辺で止めにしましょう!』
「それは構わないが、こんな断崖絶壁で一夜を明かすのか……?」
正直それは避けたかった。
エーテル(エネルギー)の残量も怪しいし、何より生きた心地がしない……
登山家やクライマーは、こんな状況でもテントを張って寝泊まりするらしいが、狂気の沙汰だと思う。
『もう少し登った所に良い感じの窪みがあるの! そこでデウスマキナを休められるわ!』
「それを聞いて安心した……」
『フフン♪ 一応、絶壁で一夜を過ごすための器具も揃えてあるわよ?』
「……謹んでお断りする」
◇ビル・ロドリゲス
「よし! 今日はここらで夜営の準備だ」
『了解!』
オーケー、オーケー、順調だ。
今日1日でゴール地点である嵐巣区画まで、あと1000キロメートルといったところだろうか?
このペースで行けば、明日……、いや、明後日には目的地まで辿り着けるハズだ。
周囲に俺達以外の開拓者は居ない。
かなり苛酷なルートを選んだため、他の奴らはついて来れなかったのだろう。
正解だ。変について来ようとすれば、かえって順位を落としかねない。下手をすれば脱落だ。
この地点で、風速は恐らく70メートル近くあるハズ……
普通の機体じゃ真っ直ぐ進むのすら厳しくなってくる頃合いだ。
それにしても、この機体はマジですげぇ。
出力、安定性、どれをとっても以前乗っていたデウスマキナより遥かに優れている。
この機体があれば、そう遠くないうちにAランクまで到達できるんじゃないか? とすら思えてきた。
(……ん? 専用回線から通信? なんだ?)
ワイヤーで機体を固定しつつ、夜営の準備をしていると、専用回線コードに受信反応があった。
面倒事の臭いがするが、無視するワケにもいかない。
「チッ……」
舌打ちしつつも、回線を開き、通信の確認を行う。
「こちらビル・ロドリゲスだ。何があった?」
『……やあ、ビル君。機体の調子はどうだい?』
「っ!? アンタか! ……ハッハ、マジで最高だよ。……で、何か用か? 機体の調子を聞くためにわざわざ通信なんか寄越したワケじゃないんだろ?」
通信先から聞こえた声、それは俺にこの機体を提供してくれた男のものだった。
そして、今回の件を依頼してきたクライアントでもある。
『いやいや、それも理由の1つさ。今回の件、君にはしっかり活躍してもらう必要があるからね』
「ヘッ!安心しな! 順調だよ。このままいきゃ、ほぼ優勝は間違いねぇ。……で? 1つと言うからには、まだあるんだろ?」
『ああ……、こちらが本題になる。実は、ちょっと気になる情報を掴んでね……』
気になる情報、ねぇ……?
男の口ぶりから、それがあまり良いことではないのが察せられる。
一体、どんな面倒な情報なのやら……
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