第29話


         ※


 世間話などしている場合ではない。しかしそれでも一つ、僕は尋ねたいことがあった。


「父さん、あなたは行方不明になって……」

「お生憎様、こうしてピンピンしているよ。自分が死んだと見せかけるより、生死不明になったと思ってもらった方が都合はいいからね。普通は逆なんだが……。闇社会には闇社会なりの立ち回りというものがある」


 父は特に僕には興味がない様子。何やら分厚いファイルをめくって、周囲の研究員たちに英語で指示を出していた。


「父さん」

「……」

「あの、父さん?」

「ん? ああ、すまん。どうした?」

「ゴーレムを全機停止させてほしい。もしまだゴーレムを暴れさせるつもりなら、僕はあなたを殺す」


 はっと息を呑む気配。樹凛だな。ということは、父はこのような脅しには慣れっこなのか。事実、僕は彼の背中に拳銃を押し当てている。セーフティは解除したままだったが。

 それでも樹凛は目を丸くした。口元に手を当ている。一方のゴーレムたちは、ゴドンゴドンと音を立てて、ゴリラのように疾駆してくる。どごん、と床に拳を打ちつけたのは、やはり威嚇行為だったのか。


「ッ!」


 その直後。誰かに突き飛ばされたかのように、僕も樹凛も倒れ込んだ。


(敵前でぼーっとしてるんじゃねえ! 白亜、対ゴーレム用の爆薬、ありったけ持ってこい!)

(言われなくとも!)


 罪滅ぼしのつもりなのか、白亜は翼を展開。素早くこの場を後にした。数名のエルフたちがシールドを展開し、ゴーレムとのぶつかり合いを始める。

 だが、どちらが優勢なのかは明らかだった。なにせゴーレムの拳には、父の開発した特殊兵装が装備されていたからだ。

 エルフのシールドを易々と叩き割る鉄拳。このまま体力勝負に持ち込まれたら、目も当てられない。


 二つの勢力のぶつかり合いを、僕は目を凝らして見つめ続けた。

 ……ん? 目?

 僕は素早くコンタクトを外し、左目の魔眼としての能力を開放した。


 まず、もう一人の僕が消えた。いや、そちらが本当の僕なのかもしれないが、とにかく戦闘体勢に入ったのだ。


「樹凛、君はここに――」

「残念でした。あたしも戦う。コンタクトは外したから」


 普通なら樹凛を羽交い絞めにしてでも連行する覚悟だったが、何故だか今は樹凛の参戦を許す気になった。むしろ心強いとさえ思った。


「白亜! 黒木! 援護射撃を頼む!」


 僕は援護要請をしたつもりだったのだが、二人からは何の返答もない。


「どうしたんだ、二人共?」

「碧くん、あれ!」


 振り返り、樹凛の指す方を見遣る。そこでは広大なスペースと使って、白亜と黒木が戦っていた。女の子らしい格好をしているから、余計に痛々しく見えてしまう。


「敵が多すぎる……!」


 僕が呻き声を上げたのと、あいつが割り込んでくるのは同時だった。

『あいつ』――そう、緑色のオッドアイを有する手刀野郎だ。こいつもテレポートか何かをしてきたのだろう。


 が。

 今の緑のやつは、前回のようにはならなかった。唐突にばさり、とフードを脱ぎ捨てたのだ。


「何のつもりだ?」


 僕の訝しげな言葉を受けて、しかし相手は怯むことなく言い放った。


「まあそうカッカしないでよ。久方ぶりに会えたっていうのに。ね、兄ちゃん?」


 顔を上げたナイフ野郎。その顔形。僕が認識する前に、心の中は凄まじい揺さぶりを喰らっていた。


「葉桜……省吾……」


 周囲の様子を見回していた樹凛もまた、驚きのあまり口元を押さえていた。


「省吾くん、どうして……!」

「ああ、樹凛姉さん、いつも兄がお世話になっています!」

「挨拶は今はナシで! あなたはあたしたちを殺す気なの?」

「そんなまさか!」


 吹き出しながら、省吾は腹を抱えた。


「兄貴も姉さんも、貴重なサンプル体です。いくらなんでも殺すなんて! 僕には一応、二人をほぼ無傷で回収しろ、っていう命令が下ってるからね。――葉桜浩一博士から」

「なっ!?」


 父さんが? 行方不明になっていたと思われた父が弟と一緒に生存していて、弟を自分の部下にしていたのか? それも、こんな戦えるような姿にしてまで?

 四隅に配されたスピーカーが、父の声を拡張する。


《省吾の言うことは本当だよ、碧。私が命令したのだから》


 こちらに背を向けたまま、父は機械を目の前の超小型のスーパーコンピュータで作業を続ける。こうなったら……!


「樹凛、白亜は黒木に任せよう。君には、残り四体のゴーレムの周囲を走り回って、照明弾を使いながら攪乱してほしい。頼めるか?」

「ふん! やらなきゃならないんでしょ? 省吾くんの手刀、びっくりするくらい速いから気をつけて」

「了解だ」


 僕は素早く遮光性のあるバイザーを装備。こうして、各々が自らの相手に狙いを定めた。


         ※


 僕はそばに捨て置かれていたパイプを手に取った。省吾がスピード重視の戦闘を行うことは知っている。とても追いつけない。だったら接近を防ぐまで。


「どりゃあっ!」


 水平方向に大きく振りかぶったが、省吾はさっと上半身を曲げた。まるで機械のように、正確に。

 僕は両腕でパイプをぶん回した。超高速の観覧車のような感じだ。

 省吾は慌てて減速し、バックステップで回避。そこを突く。回転をやめた僕は、両腕でパイプの一端を握り、もう一端をずいっと突き出した。


「おおっとぉ!」


 上半身を逸らし、回避する省吾。僕もそれに追随する。と見せかけて、同じ場所にもう一突き。意外だったのか、身を起こした省吾は、上腕から微かに出血した。


「へえ~、兄ちゃんも能力発動すれば、このくらいできるんだね!」


 黙してパイプを握り直す僕。予想以上に役に立ちそうだな、このパイプ――って、あれ?

 パイプの反対側から僕の手元に、液体が滴ってくる。省吾の血だ。

 問題は、その血がどこからどう見ても真っ黒だった、ということ。


「省吾、お前……!」

「んあ? どしたの、兄ちゃん? 冴えない顔してさ!」

「一つ訊かせてくれ。お前は何者なんだ?」


 省吾はさも楽しそうに笑っていた。僅かに八重歯が覗く。


「ただの自死未遂経験者だよ。父さんと母さんの離婚、ってのはなかなか解せない問題だったからね。兄ちゃんだってそうでしょ? そんな大人になんて付き合いきれないよ。だから死んでやった。……んだけれども、そんな僕を引き留めたのが父さんだ。そして言ったんだ。どうせ死ぬ気なら、人類の医療に貢献してみないか? って」

「ふうっ!!」


 首から上に異常な高温を感じながら、僕は父に振り返った。

 ゴーレムという怪物の開発。息子である省吾に対する人体実験。そして、それらを用いた人類大量虐殺未遂。


「あんたは……! 母さんとロクな話し合いもしないで、僕たちを露頭に迷わせたんだ!」

「何を言ってるんだい、碧? 省吾のことはちゃんと引き取ったぞ。お前にだってきちんと訊いたはずだ。私と一緒に暮らさないか、と」

「暮らす? 馬鹿言うな! 実験動物として自分を差し出すつもりはない!」


 手を目元に翳しながら、省吾はさも嘆いているかのような声を喉から押し出した。


「まったく、手のかかる兄貴だな! 生き残りたいなら今すぐ父さんに従うんだ! 俺だって兄ちゃんに死んでほしくはない!」

「僕だって、お前を元の身体に戻してほしいと思ってる! できるかどうかは分からないけど……」


 魔弾が飛び交う射線から逃れ、僕と省吾は立ち尽くした。

 そんなに長時間ではなかった。しかし、僕と省吾の間だけ、妙に時間の流れがゆっくりになった気がした。


 普通なら、僕も難なく回避できたはずなのだ。しかし、気づいた時には僕は岩肌に打ちつけられていた。


「がッ!」


 思わず息が漏れる。目の前には、樹凛の陽動に引っ掛かったのだろう、ゴーレムが一体ぶっ倒れていた。

 この状況――、省吾が僕を突き飛ばしたのか? だとしたら、省吾はどこに?


「省吾……。省吾?」


 上半身を折って体勢を整える。お陰ですぐに省吾の姿は目に入った。右手をエルフたちの方に、左手をゴーレムたちの方に伸ばしている。

 驚いたことに、省吾の両側には緑色のシールドが展開されていた。同時に、両方にだ。


「父さん、一旦ゴーレムたちを止めてくれ! 俺は兄ちゃんと話がしたい! エルフの皆も!」


 しかし、そう上手くはいかなかった。省吾に対しては、お前は逃げろとか、贖罪のために地上界で働けとか、様々な言葉がかけられた。

 問題は、そんな言葉をかけながらも、誰もゴーレムや魔弾を止めようとしないということだ。見る見る間に、シールドの板が欠け、ひびが入っていく。


 とても黙って見てはいられなかった。僕が体当たりしてでも、そして当たって砕けようとも、なんとしてでも守ってやらなければ。葉桜省吾は僕の弟なのだ。

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