第五話 アイスブレイク
「お客さん、休憩ですよ」
「はいよ。出発までこれで飯でも食ってて」
御者にチップを渡して馬車を降りる。静かな村の中に私達の足音だけがやけに響いて、早朝独特のひんやりとした新緑の匂いとしっとりとした朝露の空気に思わず深呼吸をした。
「うーん、馬車で楽だったとはいえ身体がバキバキです……」
「軟弱なヒルデの騎士だこと。村に入ったらティーニャが俺なんだからしっかりしてよ」
「はい!」
グエンは身元を隠すために特徴的だった帽子を外し、少し長かった髪をバッサリと切り襟足を刈り上げてすっかり身軽な旅人風になっていた。
「髪切っちゃってよかったんですか?」
「こだわりが無いから同じ髪型にしてただけ。短いのも似合ってるでしょ」
「それはまぁ」
まだ人気のない村を二人で歩きながら一先ず一息つけるところを探す。この小さな村でグエンは人探しをするらしく、私と御者は朝食兼昼食後の出発まで暫し休憩をすることになったのだ。
「お腹空いたね。食堂とか開いてないのかな」
「御者さんはどこで食べるつもりなんでしょうか」
「ああいうのは大抵飯を抜いてチップは街で酒飲むのに使うから、今は食べないと思うよ」
取り敢えず村の外れにある階段の近くに腰を下ろす。グエンも流石に身体が凝っているのか、手首や足首をブラブラとさせていた。
港から都までを夜行で進む馬車は普通のものに比べれば早く都に着くが、それでも疲れることに変わりはない。
ここから都まではあともう少し。途中の町で馬を変えるから、もしかすると予定より早く着くかもしれない。歩きで来るのに比べたら全然早いし、順調な旅路だ。
「店が開くまで暇だなぁ。ティーニャ、何か面白い話聞かせてよ。貴族しか知らない面白い話とかないの?」
「騎士として城に勤めていたならグエンもある程度は知ってるでしょう」
「下々の知れることなんて限られてんの。ほら、なんかあるでしょ」
切ったばかりの髪が肩につくのを払いながらそんなことを言われて、なにか面白い話がなかったかと思案する。
あんまり身元がバレるような話はよくないけど、グエンとも打ち解けていきたい。でも男性が興味のある話なんて私は知らないし……貴族、貴族……あ、そうだ。
「もしかしたらご存知かもしれないんですけど、御三家と王室の当主の決め方って少し特殊なんですよ」
「当主?大抵長男とか長子なんじゃないの?」
「ふふ、普通はそうなんですけどあの四つは違うんですよ」
そう、我が家を含めて御三家の後継の決め方は少し変わっている。
興味を抱いたらしいグエンは私の横に腰を下ろすと上体を少し傾けて私に目線を合わせた。よし、食いついた。
「それぞれの次期当主は天馬の加護が強い人が選ばれるんです」
「えらい宗教じみた話だね」
「結構分かりやすいんですよ。例えば王室は一族全員が花の魅力を持って生まれてくると言われていて、紅薔薇の特徴を持つ人が次期国王に選ばれる決まりがあります。次期女王の第一皇女も、美しさから匂いまでまるで薔薇の化身だとか」
「へぇ〜、知らなかった」
「その魅力から、御三家ではなく花の一族が王に選ばれたとも言われています」
天馬が与えた祝福は一般的には具体的な内容までは知られていない。別に隠しているわけではなのだけれど、グエンの言う通り宗教的な問題が絡んでいるのかもしれない。そういう私も儀式については一通り知っているつもりでもまだまだ知らないことは沢山ある。
「光輝の侯爵家は宝石の瞳、当主はアレキサンドライトのように昼と夜で目の色が変わることが条件です」
「目の色って変わんの?なんか怖くない?あ、じゃああの人は?グレース侯女。戦上手の」
「……あの人はオパール姫って呼ばれてたと思います」
危ない、うっかり姉様って言いそうになった。
それにしてもグエンまで姉様のことを知ってるなんて、やはり姉様の戦の才能はやはり飛び抜けているのだろう。
普段は艶やかな髪を靡かせて私たち兄弟を可愛がってくれているグレース姉様は、ドレスを脱げば実は当代きっての武将と言われている。今では当主の兄様も努力をして姉様に並ぶ采配を振るっているけど、昔は姉様に勝てなくてよく悔しがっていたらしい。
「そこはガーネット!とかルビー!みたいな派手な石じゃないんだ。会ったことないから目の色までは知らないんだけど」
「まぁこればかりは運ですからね……他も聞きます?」
「うん、聞かせて」
低い声で親しげにそんなことを言われると、思わずドキッと胸が脈打ってしまう。待て待て、これはときめいてるんじゃなくて彼の顔の良さに感心してるだけ。私は異性と関わりが少ないから親しげにされているように聞こえただけ。早まるな私の胸、勘違いするな。
「あ、光輝の侯爵家って乙女の生まれる家だよね。乙女はどんな人とか聞いたことあるの?」
「お、乙女は知りません。あまり外には出ないと聞きますから」
「やっぱりか〜」
乙女は外には出ない。女性だけの集まりや同年代の少女との交友関係は普通にあるけど、乙女としての役割を果たすまでは結婚をしてはいけないから……というのが親から教えられた理由だ。
彼が私に興味を持ってくれるのは嬉しいけど、今は過激派のこともあるからあまり話しすぎない方がいいだろう。
「私達がさっきまでいた錦鱗の港、あそこの侯爵家は祝福のおかげで人魚になることができて、鱗の美しさで当主を決めるんです」
不自然にならないうちに話を進めると、グエンも何も思わなかったのか腕を組んで何かを思い出していた。
「戦地で見たことあるかも、なんかやたら良い声の虹色のキラキラしたオッサン」
「多分彼ですね。昔はすっごく女性に人気だったそうですよ」
なんと、グエンは姉には会ったことはなくても彼には会ったことがあったらしい。珍しい、どちらかというと姉様の方が戦場に出る回数は多いのに。
「え、戦場にいた時はただの肥えたオッサンだったけど」
「時の流れは残酷なんです」
残酷すぎだろ!と笑うグエンにつられて私も思わず笑ってしまう。
最初は飄々とした人だと思ったけど、こうして普通の話をしてみると思った以上にフレンドリーだし話しやすい普通の人だ。家族以外の男の人と関わるのなんて初めてだから少し身構えてたけど、仲良くなれそうでよかった。
「最後の豊沃の公爵家は身体のどこかに雷で打たれたような痣がある人が当主だとされています」
「その家は美しさじゃないんだ」
「はい、不思議なことにこの家だけは一切の例外なく皆金髪碧眼らしくて……でも、彼らの知識は国宝級ですよ!だからこそ御三家の中で唯一公爵の位を賜ったんだとか」
「なるほどね……あ、ボチボチ人出てきたね」
そうこう話している間に太陽もかなり高くなってきていて、村の中心部を見るとちらほらと人が歩き始めていた。
民家の窓が少しずつ開き始め、人々の騒めきや物を動かす音で村の中が徐々に賑やかになってくる。
「そろそろ食堂も開いたでしょうか」
「ちょっと見てみよっか」
薄らと白んでいた空もいつの間にか冴え渡る青空に染まっていて、気持ちのいい天気に目を細める。
荷物を抱えて歩き始めると、すぐにどこからか美味しそうな魚の匂いが漂ってきた。
「あ、なんか良い匂いがしてきましたね」
やはり港が近いだけあってこの辺りでは肉より魚が一般的なのかもしれない。
一般的な家庭で朝から火を使うのは珍しいからおそらく食堂だろう。
ようやく温かいご飯にありつける!
そう思ってきょろきょろと頭を動かして周囲を見渡すけれど、それらしい建物はどこにもない。うーん、近くだと思うんだけどな。
「匂いはするのに見当たらない……どこにあるんだろ」
「ぐ、じゃなくてウェインもやっぱり分かりませんよね」
「もしかして今約束忘れかけてた?もう、しっかり頼むよ。敬語もできたらやめてくれた方が……あれ、もしかしてあそこ」
グエンの指差す先、村の傍にある少し広い野原で誰かが火を燃やしているのが見えた。
「あそこみたいですね。どんどん匂いも強くなってきて……あ〜〜お腹空いたなぁ」
「俺も。取り敢えず行くだけ行ってみよっか」
果たして食べ物を焼いていたとしてお金で買わせてくれるだろうか。
一抹の不安を覚えながら砂を踏みしめて歩いていくと、川のすぐそばの野原で女性が串で貫かれた魚を立てかけるように火にかけていた。
「すみません、旅の者なんですけど」
気づかれる前に声をかけると、少しふくよかな中年の女性は少しだけ驚いたように目を開いて、そのまま合点がいったように「あぁ」と呟いた。
「そういえば馬車が止まっていたね。駅馬車じゃないから珍しいと思ってたんだけど、もしかして食べる物を探してるのかい?」
「そういうこと。ねぇ、その魚って川魚だよね。俺たちも自分で捕ってきたらここで焼いていい?」
「それは構わないけど……意外と難しいよ?」
自分で捕る、その発想はなかった。そうか、村の人や権利者にきちんと話を通せば、なにも全てのものを購入しなくてもいいわけだ。
魚を捕る、人生初めての体験に胸が高鳴ってきた。
「ウェイン、僕もやってみたい」
逸る気持ちのままにグエンを見上げて目を輝かせる。
「グエナエルもそう言ってることだし、挑戦するよ。道具は借りても?」
「グエナエルって、あんたあの騎士様かい?!そんな人にそんなことさせられないよ!」
「い、いや、そんな大層な者ではないので……皆さんの分を頂くわけにはいきません、自分で捕ります」
「あら〜〜、すごい人は腰も低いんだねぇ。じゃあはい、これ手袋ね。普段は罠を仕掛けてるんだけど今日のは全部引き上げちまったから、素手で頑張っておくれ」
「あはは……ありがとうございます」
私のことをグエンだと思って素直に褒めてくれる女性に良心がチクチクと痛む。身分を隠すのと偽るのって似てるようで全然違う。
親切な人に嘘をつくのはやっぱり良くない……約束だから仕方ないんだけど。
初めて感じる居心地の悪さから逃げるように手袋に手を突っ込んで川辺に向かう。
「大層な者じゃないって言われちゃった」
「揶揄わないでくださいよ」
後からついてくるグエンのいつも通りの揶揄いが今ばかりは少し有り難かった。
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