第三話 取引
「で、どうすんの」
まさかご本人様が登場するなんて。
でもこの人がただの自称ヒルデの騎士である可能性もなくはないし、慌てるのはまだ早い。
思ってもみなかった事態に思わず硬直していると、名簿を持ったおじさんがドタバタと足音を立てて帰ってきた。
「僕、やっぱり悪いけど子供を一人で乗せるわけには……って、グエナエル様!既に発たれたはずでは……何か不具合でも?」
「いや、偶然見かけたんだけどこの子知り合いでさ。乗せてってやろうと思って」
「それはそれは、グエナエル様のお知り合いでしたか」
まさか、と驚いて見上げると、男性は懐から騎士の勲章を取り出した。王室の紋章に刻印された名前、間違いない。彼は本物だ。
駅馬車のおじさんも彼が本物のヒルデの騎士であることは既に知っているらしい。つまり彼になりすましてここから街を出ることは最初から不可能だったというワケだ。
あぁ靴磨きの少年、せっかく良い案をくれたのに活かせなくて申し訳ない……
でも、こうなってしまったなら答えは決まっている。
「昔からの顔馴染みなんだよ。な?」
「……そう、グエナエル様には昔お世話になったことがあるんです」
「そうでしたか!」
「じゃ、そういうわけだからよろしく」
***
ガタンガタンと揺れる車内から外の景色を眺める。
流されるままに馬車に相乗りして数分、私は硬貨の入った財布を握りしめて恐る恐る声をかけた。
「あ、あの、運賃なんですけど……」
「ん?あぁ、忘れてた。どこまで行くの?」
「この馬車がどこに行くかによるんですけど、取り敢えず都方面に行きたいなって」
「お、一緒。俺も都に用があんだよね」
じゃあ割り勘で銀貨5枚ね、と言われるままに硬貨を差し出す。駅馬車なら銀貨3枚だけどまあこんなものだろう。ぼったくられてる可能性もなくは無いけど、こうして街を出られたのだから文句は言ってられない。
それよりも気になるのが彼自身についてだ。
「ヒルデの騎士って聞いて驚きました。まさかご本人だなんて」
「はは、こっちこそ驚いたよ。あからさまに俺のファンです〜みたいな格好してんのに、俺のこと知らないんだもん」
「それは……その、もう少し華奢だと伺ってたので」
靴磨きの少年から聞いた数年前の騎士の姿は私でも変装できるくらいには細身だったらしいが、目の前に座る男性は服の上からでも筋肉が分かるほど逞しい体つきをしている。
背丈だってかなりのものだし、これのフリをしようとしていたのが如何に無謀だったか……
「あれでしょ、ヒルデの騎士ってやつ。確かに南方戦線に出たときはまだガキだったし、貧乏で結構ナヨナヨしてたからね」
「南方戦線……5年前くらいですよね」
「そうそう、割と大変だったよ。前線の方の指揮官は立派な人だったらしいけど、こっちのは……っと、今のは聞かなかったことにして」
「ははは、大丈夫ですよ」
南方戦線といえば、5年前に錦鱗の港の南部を拠点にして展開された南洋諸島に対する領土獲得戦争だ。
うちの家の人間も武官として何人か派遣されたから記憶に新しい。
南洋の無人島の所有権を巡って南洋のさらに向こうにある別の国との間で起こった戦争だったけど、かなり大きな戦争で犠牲者も出ていたはずだ。
「ところでチビっ子、あんたはなんで都に?」
「元々光輝の渓谷の朔月祭を見に行くつもりで、そのついでに都も見ておこうかと」
「へぇ〜、まぁ何十年に一回のイベントだもんね」
「はい、折角なので。お兄さんはなんで都に?」
男性は暫く私の目をじっと見つめると、プイと逸らしてため息をついた。
「お兄さんとかやめて、グエンでいいから。それなんだけど、ちょっとチビっ子に頼みがあってさ」
「え、もしかしてそれのために乗せてくれたんですか」
「そりゃタダで乗せるわけないだろ。って言ってもそんなにヤバい話じゃないから」
膝に乗せた帽子を人差し指でトントンと叩いて、男性⸺グエンは人好きのする垂れ目を真剣に光らせる。
どうしよう、このまま犯罪の片棒を担がされたりしたら。馬車に乗りたすぎて何も考えずに相乗りしたけど、もう少し考えてから乗ればよかった。
そんな後悔をしてももう遅いわけで、私はごくりと唾を飲んで言葉の続きを待った。
「俺、家出した家族を探すために国中回ってんの。取り敢えず都に行きがてら近くの村も探して、それでも見つからなかったら平野とか渓谷まで行くつもり。でも俺って人気者だからさ」
「世の男性はみんな真似してますもんね」
「言っとくけど女の人にもモテてるから。じゃなくて、要は目立つんだよ。色男だし」
男前ってホント大変と仰々しく肩を落とすグエンは確かに整った容姿をしている。この金の瞳で甘く見つめられたら女性はひとたまりもないだろう。
「頼みは一つ、俺に成りすましてほしいんだよ」
「成りすます……?」
それなら最初からそのつもりだったから特に問題はない。なんだそんなことかとホッと胸を撫で下ろして、ついつい肩の力が抜けてしまう。
「今この馬車にはグエンと相乗りの人間が一人乗ってる。それは馬車の御者も知ってる。だからこの中で俺達入れ替わっちゃおうよってこと。ちょうどあんたみたいなのを待ってたんだよ。俺の方がもうちょっと、いやかなり背は高かったけど目の色だって似てるし、昔の有名だった頃の俺に似て……ないこともない」
「それは……あなたが僕になるってことですか」
「いや、それは別に。幸いにもあんたの情報は誰も持ってない。あんたはただ俺のフリをしてこの先の村とか都に降りて、俺として滞在してくれたらいい。どう?」
言われた内容は特にこちらには損のない話だ。私は本人公認のもとで身元を偽れるし、北に向かうのに支障もない。
むしろ身元を偽れる分過激派に居場所がバレるリスクも減るし、割と良いことが多いような気さえした。
「それって、都までの話ですか?」
「取り敢えずはね。もし気が乗ったら行けるとこまで行こうよ」
聞けば聞くほど良い提案なような気がする。彼は身元もはっきりしてるし、お互いに得があるなら断る理由もない。
どうする?と言いながらニッと歯を覗かせた日に焼けた顔を見つめてギュッと膝の上で手を握りしめる。
「乗ります、その提案」
「そう来なくっちゃ。じゃあこれ渡しとくから、疑われた時にでも使って」
そう言ってポイっと投げ渡された箱を開けると、さっき見たばかりの勲章がゴロンと音を立てた。
「勲章じゃないですか!そんな簡単に人に預けるなんて」
「あんたが俺になるのに俺が持ってたらおかしいじゃん。自分でも結構怪しいこと言ってるって分かってるし、まぁ担保ってやつだよ」
「担保……」
恐る恐る勲章を手に取ると、窓から差し込む夕陽が反射してキラキラと薔薇模様の王家の紋章が美しく煌めいた。ずっしりとしたその重みに思わず箱ごと突き返してしまいたくなるけど、ここで日和っていてはいけない。
「分かりました。旅が終わるまで責任を持って保管します。必ずお返ししますから」
「別に身分証みたいなもんだからそこまで気にしなくていいんだけど……」
「みっ……!?」
勲章をただの身分証扱いする人なんて初めて見た。大抵はみんな正装のときに胸に飾ったり、複数持ってる人は全部大事に保管するくらいのものなのに信じられない。
貴族じゃなかったらそこまで重要じゃないとか?そんなことないよね、多分この人が変わってるだけだ。
「とにかく、僕が不安なのでこれはここぞという時まで外には出しません」
うっかり失くしてしまいそうなので、箱に戻した勲章を鞄の奥底に押し込む。スられないように気をつけてはいたけど、これからはもっと注意しないと。
そうして鞄を閉めて膝の上に置いた、その時だった。
「真面目だねぇ。ま、女の子の一人旅だったら神経使うか」
ぶわりと一気に背筋に冷や汗が伝う。
この人今、女の子って言った?
思わず慌てて否定しそうになるけどグッと堪えて息をゆっくり吐き出す。落ち着け、慌てれば慌てるほど本当だって言ってるようなものだ。
「……いえ、僕は男ですけど」
「隠さなくていいって、どっからどう見ても女の子じゃん。男のフリするなら、もうちょい身体の線分からない服選んだ方がいいよ」
「なっ……!!へ、変態!!」
完全にバレてる。
反射的に体を隠すようにギュッと鞄を抱いてしまったのを見て、グエンは意地悪そうに目を歪ませてニタニタと笑った。
「アドバイスしてやってんじゃん。心配しなくても俺、チビっ子には興味ないから。どうせアレでしょ、世間知らずのご令嬢のお忍び社会勉強」
本当にそんなことあるんだね〜と暢気に頬杖をつく男をキッと睨みつける。
どうしよう、性別を偽ってることは完全に知られちゃったけど身元まではバレてない。都合の良い見当をつけてくれてるうちに、そういうことにしてしまったほうがいい気もする。
「女だって最初から分かってたんですか」
「まぁね、訳アリだなって思ったから声かけたんだよ」
「なるほど……完敗です」
そりゃそうかとガクッと肩を落とす。世間には同じ格好でもっと彼に似た背格好の男性がいるのに態々自分に声をかけてきた理由がようやく分かった。
「潔いじゃん。まぁ別にあんたに損は……そういえばまだ名前聞いてなかったね。二人のときはなんて呼べばいい?」
「ティーナ、と呼んでください」
「本名はダメなんだ」
「一応です」
「はは、お利口」
性別を明かしたところで特に態度を変えるわけでもないグエンにホッと胸を撫で下ろす。
グエンがマトモそうな人でよかった。正直ずっと一緒に旅をするのに性別を偽るのは難しいし、バレてしまったけどこれでよかったのかもしれない。
「これからよろしくお願いします、グエン」
「こちらこそよろしく。ティーナ……ティーニャのほうが可愛くない?」
「ティーナです!」
「ははは、よろしくティーニャ」
揶揄うように笑うグエンに思わず声を荒げてしまう。
ああ、これは前途多難な旅になりそうだ。
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