【全年齢版】私を殺してフェアリーダイヤにキスをして
暦
薄明の夢
断章
影が満月を覆い隠して、遠くに燃える星明かりだけがこの世界を照らす。
いつもなら見えないような暗い星も今日なら見える。満点の星空だった。
「準備はよろしいですか」
光艶めく真珠のドレス、新雪の瑞々しい真白い靴。唇を淡く色づけて花模様の髪飾りをつけた私は、一見すると嫁入り前の娘のように見えた。
「それでは儀式を始めます」
時が来るのはあっという間だった。
白に戻った髪を揺らし、伏せた瞳を瞬かせて高らかに宣言する。
「殿下、グレース侯女、前に」
軍がうまく過激派を抑制できているのか礼拝堂の中は不気味なほど静かで、私の声がよく反響した。
私と違って真っ黒な服を着た二人が進むのは、天から光が降り注ぐ大きな水晶の前。
キラキラと星の光を浴びて輝く石。青白く幻想的なそれがこの儀式の要。
「光輝の侯爵家第二子、グレース。白金の天秤をここに」
「第一皇子、リヴェール。生命の花を捧げる」
伝統に則った手筈を終えて、二人は私に道を譲るように左右に捌けた。
「フェアリーダイヤの乙女、エグランティーノ。私の心を捧げます。私の心が覚悟の証です。どうか皆をお守りください」
そうして一歩前に進もうとして、身体が何かに縫い止められた。
前に進めない。一体なんで?もう少しで役目を果たせるのに。
「エグランティーノ!!」
二人の声が静謐な空間に響き渡る。何が起こったのか理解できない。嫌な予感に胸の音がいやに大きく感じられた。
「会いたかったよ」
すぐ近くで男の声が聞こえる。
思わず後退りしようとして、生温かいものを足元に感じた。
血だ。
「あ、ぁ……」
じわりと勢いを増して広がっていく赤に、指先から感覚が消えていく。
視界が突然真っ白になる。立っていられないほどの眩暈に崩れ落ちそうになる身体を、咄嗟に誰かが支えてくれた。
「落ち着いて、大丈夫だからゆっくり息をして……吐いて……そう、上手だ」
痛みはないのに怖いくらいに寒くて、震えの止まらない身体を優しく包み込まれる。目の前が真っ暗で何も見えないけど、何故か私はこの人のことをよく知っている気がした。
「捕えろ!生死は問わない!」
騒がしい軍靴の音に紛れて遠くで人の声が聞こえる気がするけど、膜が張ったようにぼやけているせいで何を言っているのかわからない。ただ、私の掠れた息と彼の声だけがはっきりと聞こえた。
「エグランティーノ」
氷のように冷たい床が体温を奪う。体が溶けてしまうように世界との境界線がぼやけていく。
けれど不思議なことにさっきまでの恐ろしい寒さはどこかへ消え失せていた。
頬を撫でる大きな手に頬を寄せる。
「俺はここにいる。どこにも行かない。俺たちはずっと一緒だ」
震える口元に何かが触れる。もう目が見えない。感じる僅かな体温と優しい声だけが私の世界の全てになった。
「ぁ、ぐッ……」
少しの衝撃の後に鉄の味が舌を濡らして、ヒューヒューと掠れた息が肌を撫でる。
指と指を絡めて、近づいてくる無の感覚に体を委ねた。
恐ろしくはない、ただ悲しかった。
「愛してるよ。おやすみ、俺の乙女」
懐かしい風が私たちを包み込む。
私の意識は、そこで途絶えた。
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