2-9 ついに道化師の本領が戦場で発揮されるようです
それから夜を徹して私たちは行軍した。
王子が連れてきた男たちは人数があまり多くないが、それは裏を返せば敵に見つかりにくいということでもある。
「はあ……ほんとうにこっちっすか?」
「はい、私はここに以前は住んでいたので」
私は、かつて自分が住んでいた修道院の近くにある山を突き進んでいた。
ここは地元の人しか分からないような道なき道であり、藪を漕ぎながら山を歩くのに慣れていない彼らは、私についていくのがやっとのようだった。
……それでも普段から山道をジョギングしていた彼らはなんとかついてくることができている。
また、彼らの目つきがいつもと違うことに気が付いた。
いつもの人のよさそうな表情ではなく、それは歴戦の兵士としての顔つきだった。
「メリアさん、なんでこんなところを通るんですか?」
「敵兵の行軍ルートを昨夜調べていたんですよ。それで、このあたりには敵がいないことがわかったんです」
そう、あの後、道化師ベラドンナに必死で頭を下げ、敵兵の潜伏情報などを教えてもらっていた。
それによると、彼らは北西の街道から修道院に向かい、そこを火の海にしたといっていた。逆に言えば北東側からは行軍をしなかった……いや、できなかったということだ。
その理由は、私には分かっている。
「敵がいないのは……この先にある大きな渓谷のせいじゃないっすか?」
「ええ。普通ならあそこは迂回しないと大部隊は通れませんからね」
そう、修道院の北東には大きな渓谷が広がっている。
そのため敵兵はこちら側から攻めることはできなかったのだ。
「けど、それが向こうにとっての盲点です。……もし渓谷を渡った少数精鋭に本陣を襲われたら、どうなりますか?」
「……大将首を一気にいただくってことか」
そう、アイネス王子はつぶやいた。
この世界で特権階級の者たちは、戦争の際に『民を守るため』という名目で指揮官として出兵することが多い。
そして総大将はたいていの場合王族だ。
「そうです。基本的に対象の周りの守りは手薄なものです。この数でも勝機はあるはずですから」
さらに言うと王族は『自分を守るために、近衛以外の兵を本陣に配置する』ことを嫌う傾向が強い。
これは前線の兵士の損耗率を下げるためでもあるのだろう。今回のように本陣を狙われにくい地形であれば、なおさらだ。
そのため、この作戦によって敵の王族を誘拐することができれば、そいつを人質に停戦条約を結び、賠償金代わりにレイぺルド公国の土地を割譲させることができるはずだ。
つまり防衛戦争でありながら『勝って領土を奪う』ようなことも可能になる。
……結局その方法ではレイぺルド公国の民に同じことをすることになるが、アイネス王子なら少しはマシな統治をしてくれると信じている。
万一アイネス王子が乱心しても、彼は私のことが好きなのだから、私の意見も聞き入れてくれるはずだ。
「この戦いに勝てたら、後のことは頼みますよ、王子。……私も死ぬまで付き合いますから」
「ああ……ありがとう、メリア」
正直、アイネス王子の気持ちを利用するようで心苦しい。
そのため、せめて私はその分アイネス王子に尽くしてあげよう。
……今後は聖女メリアとして。
そう思いながら行軍し、二日目の夜。
私は目的の崖に到着した。
びゅおおおおお……と風が谷底から吹いており、落ちたらドラゴンでもひとたまりもない高度だ。
予想通り、このあたりは敵も警戒していないのだろう、見張りの兵すらいなかった。
「それで、ライア……いや、聖女ちゃん、どうすんだい?」
この崖は地盤もあまりよくないため、はっきり言ってロッククライミングで上るのは不可能だ。
そして彼我の距離は、50mはある。
そのためロープを反対側に渡すこともできない。
だが、私は懐から一本のナイフを取り出した。
「こいつを使います」
「なんだ、それは?」
「以前カリナからいただいた『イフリートの炎』を埋め込んだナイフです。こいつは50mくらいなら簡単に吹っ飛ばすことができますので」
そう、こいつは一種の『打ち上げ花火』みたいなものだ。
以前カリナから、芸をするときに使ってほしいと言われてもらったものである。
だが、こいつを水平に射出すればナイフは勢いよく飛び、反対側の木まで届く。
「で、こいつに軽いロープを括り付けて反対側にわたり、そして崖を越えるために本命のロープを這わせるってわけですよ」
だが、アイネス王子は首をかしげる。
「なるほど……。だが、仮にロープを向こうに打ち込んでも、最初にそこを渡るものが必要ではないか?」
「そう、そこで私が綱を渡っていくってわけです」
『イフリートの炎』の燃費程度では、あまり太いロープを飛ばすことができない。
そのため、この方法だと、屈強で重装備の男たちではロープが先に切れるか、ナイフの方が外れてしまうだろう。
そこで、身軽な上に新体操部で身のこなしに自信がある私が、ここを渡るという寸法だ。
当然、アイネス王子はあまりいい顔をしなかった。
「だが、メリア……それでは、そなたが……」
「おや、お優しい。ですが、この方法でないと勝つことができないので」
「……そうだな……」
だが、これが最適な方法だというのは本人も理解できたようだ。
私はそのナイフを構え、落ち着いて狙いを定める。
(ベラドンナのやり方を見ていて、本当に良かったな……)
私は心からそう思った。
彼女は口では私に悪態をついていたが、実際には私のことを考えてわかりやすくナイフの投げ方を教えてくれていたからだ。
……よし。私ならいけるはずだ。
「はあ!」
そう思って私はナイフを投げる。
そのナイフは後ろから火を吐きながら、ごおおおお……と回転する。
……そしてナイフはカツン! と遠くにあった木に突き刺さった。
「ふう……」
「うおおおお、すげー!」
「さすが道化師ライア! やるじゃんか!」
その様子を見て、後ろの男たちもおー! と叫んでくれた。
だが、本当に大変なのはここからだ。
私は命綱を兼ねたロープを2本腰に巻き付けると、そのままそのロープの上を渡る。
「た、高い……高すぎる……」
万一落ちた時のための命綱はつけている。
だが、おそらくこれだけロープが長いのであれば、崖にたたきつけられた時の衝撃は相当なもののはずだ。
また、最悪の場合ロープが切れたり、ほどけたりする可能性がある。
そう思いながら私は恐怖に震えながらも、ロープの上を渡る。
「がんばれ、メリア……」
「嬢ちゃん、頑張れ……」
そんなアイネス王子たちの声がそう聞こえてくる。
彼らは私の集中を乱さないために、静かにそう呟いているのがわかる。
……唯一の幸いは、横殴りの風が吹いていないことだろう。
(だ、大丈夫大丈夫、怖くない怖くない……これくらいの綱渡りは、やったことがあるから……)
道化師としての芸をやる中で、綱渡りも練習をしたことが何度かある。
その時とは高さそのものは比べ物にならないが、難易度自体はさほど差がない。
そう考えながら、私は綱を渡る。
そしてしばらくの後。
(あと少し……あとちょっと……あと一歩……よし、やった……!)
私はその綱を渡り切った。
「やったぞ、メリア!」
「すげー!」
「俺には絶対出来ねーよ、あんなこと!」
その様子を見て、向こうの男たちは私に感嘆の声を上げてくれた。
……やっぱり、こういうのは気分がいい。
私は腰につけていたロープを太い樹の上下に貼り、通れるようにする。
太いロープを上下に2本張れば、綱渡りの難易度は格段に下がる。
そしてがっちりと張れたことを確認すると、向こう岸にいる男たちに手を振った。
すると男たちはみな、そのロープを渡ってくれた。
ロープが切れないように一人ずつゆっくりと。
万が一ロープが切れたら、こちらの兵たちは生還が絶望的になる。
そのため、当然最後にわたるのはアイネス王子だ。
「ふう……やったな、崖を渡れたぞ!」
私は正直心配していたが、幸いアイネス王子は危なげなくロープを渡りきることができた。
「そうっすね! これで敵の背後を付けるってわけだ!」
「ああ。……人数は多くないが、それは相手も一緒! こっからは速さの勝負っすね!」
幸いなことに、ロープを渡り切った者たちに脱落者はいなかった。
……だが、ここから先の戦いでは、おそらく何人かの犠牲者は出るだろう。
そう思いながら、私はそこにいた男たちを見つめた。
(見納めになる連中も……何人かいるんだろうな……)
そんなことを思っていると、アイネス王子が笑みを浮かべて私につぶやいた。
「ありがとう、メリア。そなたがいてくれてよかった」
「いえいえ、これくらいお安い御用ですよ。では私はこれより反対側の崖で待機しております」
そう言って私はロープに手をかけた。
私がするのは『道案内』だけだ。そのため、ここより先に行く必要はない。
むろん、これは単にフォブス王子との約束を守るためだけではない。
王族を誘拐した後は、当然ここを使って退却することになる。
だが万が一敵兵に先に見つかった場合、私はここでのろしを上げた後、反対側からロープを落とす。
そうすれば最悪のケースでも、敵に逆侵攻されることはない。
……これは、私だけは死なせないためでもあることは当然わかっていたが、あえて何も言わなかった。
その場合、彼らの生還は絶望的になるのだが……。
そしてアイネス王子は少し恥ずかしそうにつぶやく。
「その……メリア。私は、その……もしかしたらそなたの顔を見れないかもしれない。だから……」
私はその言葉の意味を理解した。
……正直、私も同じ気持ちだったからだ。
「ったく、しょうがないですね」
口ではそういいながら、私はアイネス王子をそっと抱きしめてあげた。
王子の体温が私に伝わってくる。
……最悪の場合、この体が冷たくなっていることもあるのだろう。
正直アイネス王子もこちら側にわたってほしかった。
だが『自分だけ安全なところにいたら、私は本当の無能王子だ』と言い、結局アイネス王子も戦いに参加することとなった。
フォブス王子もそうやって、傷を負っただろうことは分かっていた。
「絶対に帰ってきてください、アイネス王子……」
「ああ……」
私は震える声を抑えながらそうつぶやいた。
「やるねえ、嬢ちゃん!」
「よっしゃ、元気出るよな、こういうのは!」
「ああ、後ひと踏ん張り、やれそうだな!」
その様子を見ると、マッチョたちはそう叫びながら、士気を上げてくれた。
……まったく、本当に現金で馬鹿で……そして、気のいい奴らだ。
彼らにも当然死んでほしくはない。
「よし、みな! ひと踏ん張りだ!」
「おう!」
そして彼らは敵本体のいる南西の地点に向けて、進行していった。
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