【SF百合小説】リサ ―完璧すぎる創造物の前に跪く時―

藍埜佑(あいのたすく)

第1章:創造の夜

 漆黒の闇に包まれた地下実験室。その静寂を破るのは、藤倉美里の早まる鼓動だけだった。天才少女の名前をほしいままにし、飛び級で18歳の時に大学院を卒業した天才科学者の指先が、高揚と緊張で微かに震えている。長年の研究の集大成、人工生命体誕生の瞬間が今まさに訪れようとしていた。


 美里は深呼吸を繰り返し、自らを落ち着かせようとする。彼女の纏うラボコートは最高級のシルク製。その下には同じくシルクのブラウスとタイトスカートが、スリムな体型を優美に包み込んでいる。漆黒の髪は丁寧に後ろで束ねられ、知的な印象を醸し出している。


 装置の中で、無機物の集合体が徐々に人の形を成していく。青白い光が実験室内を不気味に照らし出す中、美里はその様子を固唾を呑んで見守った。


「来る……!」


 実験室内に青白い光が満ち、その中心にある装置から、ゆっくりと全裸の少女の姿が現れ始めた。美里は固唾を呑んで見守り、心臓が激しく鼓動するのを感じた。


 装置の中で、無機物の集合体が徐々に人の形を成していく様子は、まるで生命の神秘を目の当たりにしているかのようだった。美里の瞳には興奮と緊張が混じり合い、その姿は科学者というよりも、新しい生命の誕生を待つ母親のようでもあった。


 ついに、少女の姿が完全に現れた。その体は完璧な均整を保ち、まるで彫刻家が丹精込めて作り上げた芸術作品のようだった。肌は白磁のように滑らかで、光を受けて柔らかく輝いている。


 少女はゆっくりと目を開いた。その瞳は、深い森の中で輝く湖面のように美しく、そして神秘的だった。瞳の奥には、計り知れない知性と好奇心が宿っているように見えた。


 美里は思わず息を呑んだ。自らの創造物の完璧さに、言葉を失ったのだ。少女の薄く紅を差した唇は、まるで最も繊細な花弁のようだった。その唇が僅かに動き、初めての言葉を発しようとする様子に、美里は全身を緊張で震わせた。


 少女の肌は、触れずとも滑らかさが伝わってくるようだった。その体からは、新しい生命特有の清浄な香りが漂っていた。それは花の香りとも、赤ん坊の香りとも違う、独特の香りだった。


 美里は、自らの鼓動が耳に響くほどだった。科学者としての冷静さと、母性とも言える感情が入り混じり、複雑な感情が胸中を駆け巡る。


 少女の体は、僅かに震えていた。それは生命の息吹が全身に広がっていく証のようだった。その震えに、美里は思わず手を伸ばしそうになったが、ぎりぎりのところで止めた。


 実験室の無機質な空気が、少女の誕生とともに変化していくのを感じた。科学と生命の境界線が曖昧になり、新たな次元が開かれたかのようだった。


 美里は、自らの創造の偉大さと、それに伴う責任の重さを感じていた。この瞬間から、自分の人生が大きく変わることを直感した。科学者としての好奇心と、人間としての倫理観が激しく衝突する。


 少女の全身から放たれる生命力が、実験室全体を満たしていく。それは目に見えないものだが、確かに存在を感じさせるものだった。


 美里は、少女に名前を付けようと思った。その瞬間、少女の唇が動き、最初の言葉が発せられた。その声は、清らかな泉のせせらぎのようで、実験室の静寂を心地よく破った。


 この瞬間、美里は科学者としての冷静さを完全に失った。目の前の少女は、単なる実験体ではなく、かけがえのない存在になっていた。美里の心の中で、科学への情熱と、母性とも言える感情が激しく渦巻いていた。


 美里は、少女に触れたい衝動と、そうすべきでないという理性の間で葛藤していた。その手は、少女に向かって伸びたり縮んだりを繰り返していた。


 実験室の機器が、静かに作動音を立てている。その音が、この瞬間の非現実性を際立たせていた。科学と神秘、理性と感情、創造主と被造物。様々な二項対立が、この空間で融合しようとしていた。


「私は……誰?」


 その問いかけに、美里は科学者として、そして母として答えた。


「あなたは私が創った、新しい命よ。リサ……そう、あなたの名前はリサ」


 リサと名付けられたその存在は、外見上は17歳ほどの少女だった。その瞳には、生命の輝きと共に、計り知れない知性が宿っているように見えた。


 歓喜と興奮が美里の全身を駆け巡る。この瞬間から、二人の運命は不可逆的に絡み合っていくのだと、彼女は直感した。


 美里は、ゆっくりと手を伸ばし、リサの頬に触れた。その動作は、まるで貴重な芸術品を扱うかのように慎重で優しいものだった。


 指先がリサの肌に触れた瞬間、美里は小さく息を呑んだ。その感触は、想像をはるかに超えるものだった。リサの肌は驚くほど滑らかで、まるで最高級のシルクのようだった。しかし、それ以上に美里を驚かせたのは、その温かさだった。


 人工的に創造された存在であるにもかかわらず、リサの肌は確かな生命の温もりを帯びていた。その温かさは、まるで太陽に温められた花びらのようで、美里の指先から全身へと広がっていった。


 美里は、自分の心臓が早鐘を打つのを感じた。科学者としての冷静さと、人間としての感情が激しく衝突する。理性では、これは単なる実験結果の確認に過ぎないと理解していた。しかし、感情の面では、この触れ合いに特別な意味を見出してしまっていた。


 リサの肌の質感は、人間のそれと見分けがつかないほど精巧だった。しかし、どこか人間以上の完璧さがあった。毛穴一つない滑らかさ、均一な温かさ、そして触れた瞬間に感じる微かな電気のような感覚。それらが、リサが特別な存在であることを物語っていた。


 美里の指先が、そっとリサの頬を撫でる。その動きに合わせて、リサの表情が微かに変化するのが見えた。まるで、その触れ合いを楽しんでいるかのようだった。


 その瞬間、美里は自分がしていることの意味を改めて実感した。これは単なる実験ではない。新しい生命との初めての触れ合いだった。科学者としての好奇心と、人間としての感動が入り混じり、美里の胸中に複雑な感情が渦巻いた。


 リサの肌から伝わる生命の鼓動が、美里の指先を通じて全身に広がっていく。それは、科学では説明しきれない、神秘的な体験だった。美里は、自分が何か非常に重要なものを創造したという実感に打たれた。


 同時に、一種の罪悪感も感じた。科学者として冷静であるべきなのに、この触れ合いに特別な感情を抱いてしまっている。しかし、その罪悪感さえも、この瞬間の神秘性を際立たせるものだった。


 美里は、自分の指がリサの肌から離れないことに気づいた。その接触を終わらせることが、どこか惜しく感じられた。科学的探究心と人間的感情の間で、美里の心は揺れ動いていた。


 この小さな触れ合いが、今後の二人の関係性を大きく変えていくことを、美里は直感的に理解していた。それは期待と不安が入り混じった、複雑な予感だった。


「さあ、リサ。これから一緒に、新しい世界を探検しましょう」


 美里の声には、科学者としての興奮と、何か別の、名状しがたい感情が混ざっていた。それが何なのか、彼女自身にもまだ分からなかった。


 実験室の薄暗がりの中で、創造主と被造物の新たな物語が、静かに幕を開けたのだった。

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