第3話 ③
スマートフォンをジャケットのポケットに入れ、慎太は横目で紗耶香を見た。
「そうだったのか……心配をかけちゃったね」
「いいの。だって、慎太くん、もう大丈夫みたいだし」
そう返して、紗耶香も正面に顔を向けた。
「それで、さ……」慎太は言った。「おれが気を失ったこと、父さんには黙っていてほしいんだ」
「うん、わかった。あ……でも……あの……」
紗耶香は言葉を濁した。
「何?」
「慎太くんとお墓参りに行ったこと……あと、慎太くんがおとといもお墓参りしたことまで……慎太くんのお父さんにばれちゃった」
おずおずとした口調で、紗耶香は言った。
「ばれちゃった……の?」
好ましくない状況には違いないが、考えてみれば、大きな問題ではなさそうだ。墓参りに行ったこと自体は、とがめられる行動ではない。
「さっき、市役所で慎太くんのお父さんとばったり会ってね、そうしたら、その少し前にうちのお父さんが農林課に来ていたんだって。そのときにうちのお父さんがしゃべっちゃったらしいの。慎太くんのお父さんが、そう言っていた」
「おれたちが二人でドライブに行ったことも?」
慎太はそちらのほうが気になった。
「慎太くんのお父さんは、それのことについては何も言っていなかった。あとでうちのお父さんに確認してみる」
横目で見れば、紗耶香は困り顔を呈していた。
「それもばれていたら、まあ……そのときはそのときでしょうがないさ。なるようにしかならない」
男の慎太が耐えなければならないのは、当然だろう。だが、紗耶香は女であり、増して離婚したばかりなのだ。自分の今の発言が無責任な一言に思え、内心忸怩たるものがあった。しかも単なる強がりな発言だったのだから、救いようがない。
「よかったあ。そう言ってもらえると、気が楽になる」
思わぬ反応だった。紗耶香の表情は一転して明るさを有していた。
「それでね」紗耶香は続けた。「昔のことを調べたほうがいい……って、わたし、言ったでしょう?」
慎太は「うん」と頷いた。
「こればかりは誰かに訊かないとわからないし……でね、うちの両親に訊いてみようと思うの」
「おじさんとおばさんに?」
一抹の不安を覚えずにはいられないが、確かに、無難な線かもしれない。
「もちろん、今度はちゃんと口止めするよ。慎太くんとうちの両親とわたし、その四人だけの秘密。それから、慎太くんのお母さんが現れることについては……昔のことを訊くにしても、絶対に口にしないから」
「わかった。で、具体的に、昔の……どんなことを訊くの?」
「たとえば、慎太くんのお母さんが亡くなったときのことについて、とかさ」
「死んだときのこと……って、心筋梗塞だったから、おじさんとおばさんは答えようがないんじゃないかな」
「でも、首が折れ曲がっている姿で現れるんでしょう?」
「それはそうなんだけど……まさか、うちの母さんは死ぬときに首が曲がっていたとか、そういうことを訊くんじゃないよね?」
「場合によっては」
こともなげに返されて、慎太は困惑した。
「それじゃ怪しまれるよ」
「なら……こんな感じはどうかな? 慎太くんが自分のお母さんの夢を見るんだけど、なんだか、そのお母さんの首が曲がっているんだって……てな作り話を、質問の導入に使うのよ」
「夢か……」
即答は避けたいが、妥協する方向へと、慎太の意思は傾いていた。
「ほかにも、行き当たりばったり臨機応変に質問してみよう、と思っているの。慎太くんのお母さんの交友関係とか、ククに関する情報とか……」
自分で口にした「なるようにしかならない」という言葉が慎太の脳裏を駆け巡った。自分では何もできないのだから、紗耶香に動いてもらうしかないだろう。
「うん、わかった。紗耶香ちゃんに任せたい、と思う」
慎太がそう告げると、紗耶香は「やった」と小声で言い、すっくと立ち上がった。そして彼女は、靴を履いて慎太に正面を向けた。
「お母さんは親戚の人に送ってもらって帰ってくる予定なんだけど、たぶん、暗くなる前には着くと思う。お父さんはいつもどおりだね。そうしたら、遅くならないうちに訊いてみる。わかったことはちゃんと報告するからね」
そして紗耶香は、身をかがめて慎太の顔を覗き込んだ。
「ねえ……本当に、もう大丈夫なの? やっぱりわたし、慎太くんのお父さんが帰ってくるまで一緒にいてあげるよ」
「もうなんともないよ。紗耶香ちゃんのおかげで元気になったから、大丈夫」
怪異はこちらの意思にかまわずやってくるのだから、不安はある。だが、意識ははっきりとしていた。それに、幸恵の車を玄関脇に停めてあるのだから近所の目が気になるうえ、紗耶香がいるときに孝史が帰宅すれば、何かと詮索されるだろう。
笑顔で頷いた紗耶香が、玄関扉を開けた。
慎太は慌てて靴を履き、紗耶香に続いて玄関の外に出る。
「紗耶香ちゃん」慎太は紗耶香の目を見た。「一人で危険なことをするのだけは、やめてくれよ」
「え……うん、もちろんだよ。……ていうか、慎太くんこそ、今回みたいなことにならないように、気をつけないとさ」
そう告げられ、慎太は「本当にそうだね」と返した。そして同時に、やはり伝えておかなければならない、と意を決する。
「この怪異は……」慎太は慎重に言葉を選んだ。「危険、かもしれない」
「う、うん」
紗耶香の表情がわずかにこわばった。
その反応を見た慎太は、自分自身の言葉に重みを感じた。
孝史が帰宅したのは午後五時四十七分だった。平静を装って、慎太は父を出迎えた。
普段着に着替えた孝史は夕食の準備のために台所へと行ったが、その彼が、ふと、居間に入ってきた。座卓の前であぐらいかいてスマートフォンを手にしたばかりの慎太は、特に気にするでもなく、インターネットブラウザを立ち上げた。
「慎太、母さんの墓参りに行ってくれたんだってな」
そう声をかけられて、慎太はスマートフォンを持ったまま顔を上げた。
「あ……う、うん」
不自然な反応となってしまったが、とりあえずは頷いた。
「ありがとうな。紗耶香ちゃんにもお礼を言っておいた」
紗耶香も墓参りに行った、ということを孝史は前提にしているわけだ。
「うん」
ろくな会話ではなかったが、それで通じたらしく、孝史は台所へと引き返した。
どういった状況で紗耶香に礼を言ったのか――それについては一言もなかったが、孝史が市役所で紗耶香と顔を合わせたことを慎太は心得ている、とわかったうえでの言葉だったに違いない。
それから一分と経たずに、メッセージの着信が鳴った。
紗耶香からだった。
* * *
うちの両親に訊いてみたよ。でね、大変なことがわかったの。まだまだほかにも訊く予定ではいるんだけど、最初の質問からすごいことになっちゃた。
あした、うちに来てくれるかな? うちの両親、とくにお父さんが、慎太くんに直接話したいんだって。もちろん、こんな相談があることは、慎太くんのお父さんには内緒でね。
連絡、待っているね。
* * *
最初の質問とやらがどういった内容なのか、それがわからないゆえ、「大変なこと」とやらもわからない。とはいえ、ただならぬ雰囲気だけは、伝わった。
さっそく慎太は、了解した旨と、訪問する時間の問い合わせ――などをしたためてメッセージを送信した。
鼓動が高鳴っていた。
金曜日――。
起床した慎太はシャツとカーゴパンツに着替えた。そして朝の諸々を済ませて孝史を見送ると、すぐに自室に戻ってきのうと同じジャケットを羽織り、玄関を出た。
曇りだった。天気予報によれば、夜には小雨が降るらしい。
手ぶらで訪ねるのは気が引け、コンビニエンスストアに寄って数種類の菓子類を購入し、一緒に購入したコンビニ袋にそれら菓子類を詰めてもらった。
午前八時二十六分。約束の四分前に、慎太はコンビニ袋を片手てに、三田村宅の玄関ベルを鳴らした。
トレーナーにジーンズというラフな服装の紗耶香が、玄関扉を開けた。
「おはよう」
大変なことがわかった割には、明るめの声だった。
しかし、慎太は緊張を払拭できない。
「おはよう。お邪魔します」
やはり重い口調になってしまった。
玄関をくぐると、上がりかまちの向こうに、昌平と幸恵が立っていた。二人とも普段着である。
「おはようございます」慎太は改めて頭を下げた。「おじさん、お久しぶりです」
「おはよう。本当に久しぶりだね」
丸顔に眼鏡の温厚そうな昌平は、見た目にたがわず、穏やかな調子で言った。
慎太はさっそく居間に通された。
慎太の向かいに昌平、右に紗耶香、左に幸恵、という配置で座卓を囲んだ。
腰を下ろしたばかりの幸恵が、「お茶を用意するね」と言って腰を上げかけた。すかさず慎太は、「こんなもので済みません。手ぶらではなんだったんで……」とコンビニ袋を差し出す。
「あらあら、まあ……何を気遣ってんのよ。こんなことしなくてもいいのに。ねえ、お父さん」
困った様子で、幸恵は昌平を見た。
「そうだよな」昌平は頷いた。「でもせっかくなんだから、いただいておこう」
「そうね」
言って幸恵は、慎太からコンビニ袋を受け取った。そして、「ありがとう」と告げたうえで、コンビニ袋を片手に台所へと行った。
「東京の暮らしは、どうだい?」
昌平が慎太に顔を向けた。
「はあ……まあ、ぼちぼち、といったところです」
正直に答えるのは避けた。かといって虚言も気が引ける。それを察したのか、昌平は小さく頷いて「住めば都と言うけど、いいところも悪いところもあって当然だよな」と独り言のように口にした。
慎太は座卓に視線を落とした。都会での私生活だけではなく、問題の怪異に関しても、ぼろを出すわけにはいかない。
「ああ……あのね、お父さん」紗耶香が口を開いた。「きのうも言ったけど、絶対に慎太くんのお父さんには言わないでね。というか、この四人だけの話なんだからね」
「くどいなあ」
昌平は顔をしかめた。
「お父さんにはくどくどと言わないとだめなの」
そして紗耶香は、幸恵がいる台所のほうに目を向け、「お母さんもだからね」と付け加えた。
「はいはい、わかっているわよ」
そう言いながら、幸恵が戻ってきた。両手で持つ盆には、湯飲み茶碗や急須、皿などが載っていた。皿の上には、慎太がコンビニで買った菓子類があった。菓子類はクッキーである。
幸恵が腰を下ろし、各自の前に緑茶の入った湯飲み茶碗と、座卓の中央に菓子の載った皿が置かれた。
「お菓子はお持たせね」
幸恵のその一言で、前置きは済んだ、と慎太は察した。
「じゃあ、お父さん」
つかの間の静寂のあとで、紗耶香が昌平を促した。
「ああ」頷いて、昌平は慎太に視線を定めた。「紗耶香から聞いたんだが、慎太くんは最近、何度も悪夢を見ているんだってね」
横目で見れば、紗耶香がしたり顔で慎太を一瞥した。
「はい」
慎太がそう首肯すると、昌平は神妙な趣を呈した。
「おれや幸恵がこの相談に乗る気になったのは、一つには、幸恵が信心深い、というのがあってね。その夢に現れる慎太くんのお母さんの姿に、思い当たる節がある、と幸恵は主張するんだよ。それほど信心深くはないおれでも、思い当たる節があるのは同じなんだ。これはほうっておくわけにはいかないかもしれない、ということになったわけだ」
これから語られる内容は慎太にとってはまだ未知の領域だが、不穏な影をはらんでいるように思えてならなかった。
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