港の見える洋菓子店

@kaba2308

塩ビスケット

 自動ドアが開いて、外の熱気とともに三人の大きな荷物を持った女子大学生らしい観光客が入ってきた。


 夏の観光シーズンが終わって静かだった島唯一の洋菓子店の店内が一気ににぎやかになる。


「涼しい~!」

「小さいけど天井が高~い!」

「塩ビスケットだって!」


 冷房で一息ついた観光客たちは迷惑にならない場所に荷物を置いて、思い思いに店内を見回しながら店の品定めをする。三人はこれから島を離れる前に共通する友人たちへの土産物を探しにきていた。


 洋菓子店は入口を入ったところに冷蔵ショーケースがあって七種類ほど生菓子が並び、左奥のテーブルには焼き菓子が並べられていた。観光客たちの一人が言った「塩ビスケット」は特に目立つように胸ビレを広げたトビウオのイラストとともに並べられていて、土産物としておすすめであることを説明する大きめのPOPが付けられていた。


 掃除の行き届いた店内は外壁と同じようにアイボリーを基調としたシンプルな内装で、かわいらしさやおしゃれを意識した飾りはなく、殺風景にならない程度に貨物船らしい船の写真が二、三枚だけ飾ってあった。


「どうする? ここで買う?」

「良いんじゃない? 昨日ホテルでここのケーキを食べておいしかったから寄ったんだし」

「焼き菓子だったら日持ちもするし、分けやすいよね。島で作られた物にこだわるんだったらここで良いんじゃない?」

「買うとしたらこの塩ビスケット?」

「こっちに日本酒を使ったパウンドケーキがあるよ。カットしてないけど、島で作ったお酒を使ってるんだって」

「塩ビスケットも島で作った塩を使ってるね。トビウオの姿を型押ししているからトビウオのイラストを飾ってるみたい」

「なんでトビウオ?」

「食堂のおばちゃんが言ってたじゃない。島では春に獲れるトビウオが名産だって」

「言ってたね。『春に来れば刺身を食べられたのに』って」

「トビウオなのは分かったからどっちを買う?」

「塩ビスケット。パウンドケーキだと分けるときに絶対もめそう」

「同感。いつ切るとか、どっちが大きいとか絶対もめる」

「みんな子供っぽいもんね」

「塩ビスケットね。箱入りがないからお店の人を呼ぶよ」


 リーダー格の一人が話を強引に引き取ってレジに置かれた呼び鈴を押す。高く澄んだ音が店内に響いて、店の奥から男性の声が聞こえた。


「今うかがいます」


 レジと反対側の通路らしいところから白いコックコートを着た大柄な中年の男性が出てきた。三人が見上げるほど背が高かったが、目尻の笑いじわが目立つたれ目と年相応に出ている腹部のおかげで威圧感はなく、おっとりした大型犬を連想させた。


 男性は冷蔵ショーケースの後ろを通ってレジに到着し、観光客たちに向き直った。


「いらっしゃいませ。何を差し上げましょう?」

「島のお土産を探してて、この塩ビスケットを箱でほしいんですけど、ありますか?」

「ございます。十枚入りと十五枚入りの二種類ございますが、どちらをご入り用ですか?」

「十五枚入りを一箱ください」

「かしこまりました。今箱に詰めますので、少々お待ちください」


 男性は三人に頭を下げてからレジの奥にある扉を通って店の奥に消え、すぐに戻ってきたと思ったら、箱ではなくてガラスのコップに注がれた麦茶を三つ、レジのテーブルの上に置いた。


「よろしかったら麦茶を飲んでお待ちください」

「……ありがとうございます」


 リーダー格の一人が戸惑いながら礼を言うと、男性はまた店の奥に引っ込んだ。


 ガラスのコップは冷たくて、麦茶はよく冷えていた。


 観光客たちはそれぞれコップを手にとって麦茶に口を付ける。


「……あの人が店長だよね? ほかに誰もいないのかな?」

「いないんじゃない? 一人で全部やってるみたいだし」

「時間かかるのかな?」

「さあ?」


 聞かれているかもしれないと思うと自然と声が小さくなったが、三人は会ったばかりの店長について意見を交わした。一番話題になったのは、店長が一人で店をやっているらしいことについてだった。


「何で一人でやってるのかな?」

「一人で十分なんじゃない? 小さなお店だし」

「でも、今みたいなとき困るじゃない。奥さんとか娘さんとかいないのかな?」

「いないのかもしれないし、いてもほかの仕事をしてるのかもよ? 小さなお店だし、毎日全部売れても人を雇う余裕はないんじゃない?」

「だったらもっと作って売れば良いのに。昨日食べたケーキはおいしかったんだから、もっと作っても売れるって」

「なかなかそうはいかないんでしょ。いくらおいしくても島の外からケーキを買いに来るのは難しいんだし」

「通信販売も送料を考えると難しいか」

「店長には悪いけど、東京とかの有名洋菓子店ほどじゃないしね」

「さすがにそういうとこと比べるのは無理だよ」


 質問した一人が大きな声を出して、慌てて口をつぐんだ。


 店の奥にも聞こえているはずだったが、店長が反応することはなかった。


 しばらくの間、黙って店の奥の様子をうかがった観光客たちは、麦茶に口を付けながら小声で会話を再開する。


「そういえば、あの飾ってある船の写真って何だと思う?」

「飾りでしょ。そこの大きな窓から見下ろせる港に出入りする船なんじゃない?」

「でも、飾るんだったら、フェリーとか、ヨットとか、帆船とかの写真にしない? ゴチャゴチャして何を積んでいるのか分からないけど、写真に写ってるのは貨物船だよね? お店の雰囲気にあんまり合ってなくない?」

「確かに、貨物船よりはフェリーとかの方が合うかもね」

「店長がその船の関係者とか?」

「逆に、その船の人たちが常連客とか?」

「単に一番きれいに撮れたからかもよ」


 三人が好き勝手に意見を出し合ったところで、店の奥から物音がして店長が戻ってきた。


「お待たせいたしました」


 店長は塩ビスケットが入った紙箱を乗せたステンレス製トレーを片手に持って、レジと反対側の通路らしいところから出てくる。長方形のシンプルな紙箱にはふたをかぶせてなくて、中に入っている塩ビスケットが一枚ずつ個包装されているのが見えた。


 冷蔵ショーケースの後ろを通ってレジに到着した店長は、トレーをレジのテーブルの上に置いて観光客たちを呼んだ。


「お包みする前にご確認いただけますか?

 コップもお預かりいたします」

「……あ、はい」


 リーダー格の一人がほかの二人からこづかれて前に出て、一瞬だけ振り返って二人をにらんでからテーブルに近づく。店長に飲み終えた麦茶のコップを返してから確認すると、紙箱の中にはトビウオの姿を型押しされた四角い塩ビスケットが透明な袋に一枚ずつ入れられて確かに十五枚並べられていた。


「よろしいですか?」

「はい、お願いします」

「お二人もコップをお預かりいたします」

「ごちそうさまでした」

「冷たくておいしかったです」


 にらまれた二人は気づいてない様子で空にしたコップを店長に手渡したが、少しは気がとがめたのかそのままリーダー格の一人の隣に並んだ。


 店長も受け取ったコップを冷蔵ショーケースの上に置いてから紙箱の包装を始める。一緒に持ってきたふたとレジの奥の棚から取り出したトビウオのイラストが印刷された包装紙をかぶせて、同じくレジの奥から出した細いリボンで十字にしばっていく。


「こちらの商品の賞味期限は二週間です。乾燥剤を入れてありますが、湿気に弱い商品ですのでできるだけお早めにお召し上がりください。

 また、お支払い方法は現金のほか、こちらの方法に対応しておりますのでご利用ください」


 その間に商品と支払方法の説明もして、店長は手慣れた様子で賞味期限の日付けを押したシールを貼って包装を終えた。


 きれいに包装された紙箱が観光客たちの前のテーブルの上に置かれる。


「有料になりますが、紙袋にお入れいたしますか?」

「お願いします。

 あと、支払いはカードでお願いします」

「かしこまりました」

「それと、一つ教えてほしいんですけど、あの船の写真は何なんですか?」


 店長とリーダー格の一人のやりとりに並んでいた一人が割って入った。


 飾られている船の写真を指差して、レジの奥の棚の紙袋に手を伸ばした店長の返事を待っている。


 リーダー格の一人が振り返って注意しようとしたが、店長は取り出した紙袋に紙箱を入れながら気にしてない様子で先に答えた。


「昔私が乗っていた内航セメント専用船ですね。退職したときに仲間が記念に贈ってくれました」

「『内航セメント専用船』って何ですか?」

「コンクリートの材料の一つであるセメントを国内で専門に運ぶ貨物船ですね。私が乗っていたときは西日本から東日本に運んでいました」

「この島にも来てたんですか?」

「いいえ、東京湾や宮城県、北海道などに運んでいました」

「この島に来ていたからこの島にお店を開いたわけじゃないんですね」

「そうですね。仲間にこの島の食材の良さを教えられて、そのとおりだったことが一番の理由です。

 こちらの商品にもこの島の自然海塩を使っていますし、この島の酒や生乳を使った菓子も販売しております」


 店長は観光客たちに何度か視線を向けながら、塩ビスケットが入った紙袋をテーブルの上に置き、タブレットのような小さなレジを器用に操作して会計の準備を整える。迷うことなくすぐに返事が出てくる様子は、今までにも繰り返し説明してきたからに違いなかった。


 すぐに準備が整って、店長がクレジットカードを出して待っていたリーダー格の一人に顔を向けた。


「こちらの機械にカードを差し込んでお待ちください」

「分かりました。

 私も質問なんですが、船ではどんな仕事をしていたんですか?」

「船舶料理士として乗員の食事を作ったり、食材の購入や管理をしたりしていました」

「船でもお菓子を作っていたんですか?」

「仕事としてはあまり作りませんでしたね。頻繁に作ると『太るから』と本気で嫌がられましたから」


 店長が遠い目をしていると、手元で押さえている機械から決済完了の音が鳴った。レジもレシートの印刷を始めて、店長はすぐにリーダー格の一人に視線を戻した。


「クレジットカードをお取りください」

「紙袋は私が持つよ」

「壊れやすい商品ですから気をつけてお持ちください。

 こちらはレシートのお返しです」

「ありがとうございます」


 リーダー格の一人は最初に質問した一人に紙袋を任せながら、機械から抜いたクレジットカードと受け取ったレシートを財布に入れた。


 観光客たちは荷物を置いた場所に戻り、増えた紙袋を交代で持ちながら準備を整える。


「また来ます」

「食べるのが今から楽しみです」

「写真の船について教えてくれてありがとうございました」

「良い旅を。またのご来店をお待ちしております」


 店長が見送る中、観光客たちは入ってきたときと同じようににぎやかに出ていった。


 観光客たちの姿が見えなくなって、店長は静かになった店内で船の写真に視線を移した。


 店長が写真の内航セメント専用船で働いていたのは十年ほど前のことだったが、そのときに同僚だった仲間とは今もチャットやビデオ通話などでやりとりがあった。


「この前高知県沖にいると言っていたな」


 今の季節の高知県沖で食事を出すときはかつおのたたきが好まれた。IHヒーターや電気オーブンを使う船の厨房では火を使わないため、機関部に作ってもらったコンロを甲板に置いて調理したこともあった。


 大変なことは多かったが良い思い出も多く、仕事に戻るまでの間、店長は船の写真を静かに眺めていた。

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