第9話 契約結婚がよいのですか



「申し訳ございません、話を掴みかねます。どういった理由で、その、契約結婚と?」

「あなたと恋仲になった男を、愛人に据えてくださって構わないということです」

「あいじん」

「はい。私とあなたの結婚は、国を結ぶ大切な架け橋です。その形さえ残れば、自由にお過ごしいただいて構いません。そのことで、あなたに不利益がないようにいたしましょう」

「本当に、ろくなことを言い出さない……」

「えっ?」

「いえ。……その」


 正直、『生涯を懸けてあなたを幸せにする』とか、『一生あなただけを見つめます』とか、本でよく見るような甘すぎて吐き気がするようなことを言われるのだろうなと思っていた。

 吐き気はするけれども、姉さまの指令をこなす第一歩ではあるので、まあ仕方がないかと思っていたのだ。


 しかし、これは予想の斜め上である。


 契約上の結婚。契約結婚。


 マイケルはどうやら、厚意のつもりでこれを申し出ているようだ。

 悪気はない。

 しかし、結果は悪い。

 これはつまり、今後一切お前には興味を抱かないと言ったに等しい行為である。


 今後一切、名目上の妻に過ぎないお前には興味を抱かない。


 メロメロに堕ちるなど、笑止千万――。


「なるほど」


 ぱさり、と黒いガウンをその場に払いのけた。


 ガウンの下から現れたのは、服の定義について考えざるを得ない透過性の高いナイトウェアに身を包んだ、乙女の肢体である。

 豊満な体つきにぽってりした唇が特徴的な、悪魔のような女の体だけれども。


 その姿を見た途端、目の前の金髪碧眼の王子さまは目を見開いて石のように固まった。

 若干頬が赤らんでいるけれども、目をそらすこともなく、嫌悪の感情も読み取れない。

 うん、まあ、悪くない。足止めは成功である。


 あの愚兄エクバルトも、だと言っていた。

 だから、よくわからないけれども、きっとこれはそこそこに効果を発揮してくれているということなのだろう。


「マイケル殿下は、わたくしの心の赴くままにしてよいとおっしゃるのですね」

「えっ!? あの、いえ! そうですね!?」

「得たい男を、手にしてよいと」

「そのとおりですが、ガウンを着てください」

「もっと見てもよいのですよ。私が欲しいのは、あなたですから」


 おりこうさんな顔で固まった王子さまに、私はにっこりと微笑みながら、その左腕にしなだれかかる。

 アイリス姉さま御用達の『この世界を作ってきた歴史ある技術』に掲載されていた技その二である。


 とはいえ実は、いつもアイリス姉さまでやっていたから簡単なことだ。

 その腕に絡みついて逃げられないようにしつつ、体重を載せながら耳元で囁くと、アイリス姉さまは「なんでもするから離れなさい!」と、だいたいのおねだりを聞いてくれるのだ。

 便利な技である。


「わたくしに、あなたをください」

「ヴィ、ヴィオレッタ様……!?」

「どうか、ヴィオレッタと」

「……こんなことをしてはいけません。こういうことは、心が通い合った者同士で」

「あなたは私の婚約者なのだから、いいではありませんか。心は後から通わせればよいのです。わたくしのことがお嫌いですか?」

「そのようなことは!」

「では、問題ありませんね」

「わ、私では、だめです!」

「だめ、とは?」

「……っ、わ、私は……」

「はい」

「私では、きっと、あなたを幸せにできません……」


 顔を真っ赤にしたマイケルは、ハッと我に返ったような顔で目をさまよわせ、私の顔色を窺う。


 私は、心がトクンと高鳴るのを感じた。


 見つけた。

 これが、獲物だ。

 私の、私だけの、面白いもの。

 みんなが褒め称える王太子、マイケル=ミゼル=マグネリアの弱点。


「一人を、幸せにすることができない?」


 サッと青ざめた顔をしたマイケルに、私はぺろりと厚い唇をなめる。


「みんなを幸せにするために奔走している、王子さま。この一週間、私に話しかけてきた人は、みんながあなたに感謝していました」

「そう、ですか」

「はい。みんな、あなたのやってきたことを、自分の手柄のように語っていました。けれども、あなたがどんな人で、何をしたくて、どうして生きているのか。誰も知らないのです」


 だんだんと白い顔になっていくその綺麗な顔に、私はただ、ああ、可哀そうだなと思う。


 みんなの幸せのために動いているのに、みんなに褒められて、みんなに共有されて、みんなに必要とされながらも、必要とされない、可哀そうな王子様。


 だから言いたくなくて、でも、言いたかったのだ。

 その碧い瞳が濁るところを、私は見たかった。


 それは、アイリス姉さまと同じ色だから。


「あなたは、みんなの幸せな顔を見るのが好きなのですよね。誰かの輪の中に居るときが一番輝いていて、その人数が多ければ多いほど、あなたは心から安心する」

「それは、もちろんです。それの何がいけないのです」

「だけど、一人の人間にも愛されたいと思っている。自分はその人に、時間を割くつもりがないのに」

「……何が言いたい」

「『みんなと私と、どちらが大切なの?』」


 カッとした顔をしたマイケルは、その数瞬後に、我に返ったように息を呑み、そして、両手で顔を覆ってうなだれた。


 『感謝』『信頼』『好意』を、きっと国で一番集めている王子さま。

 けれどもそれは、家族の外に居る人に対する感情なのだ。

 彼自身の内面に興味を持った上でのものではない。

 可哀そうな王子さまは八方美人で、色んな人に好かれているけれども、向けられた好意は、とてつもなく軽い。


 だから、彼は心の中で、愛を求めている。

 夫婦として、家族として、自分をただ求めてくれる相手を欲している。


 そして可哀そうなことに、彼は頭が良すぎるのだ。


 自分を欲する相手を大切にできない己を、知ってしまっている。


 そう、マイケル=ミゼル=マグネリアは、強くて、美しくて、とてもよわい。

 私のアイリス姉さまと、同じように。



 数分、動かなかった彼は、長く息を吐くと、ようやく顔を上げて私を見た。


「あなたは一体、私を怒らせて、何がしたいのです」

「あなたの望みを、かなえて差し上げます」

「え?」

「先ほども言ったでしょう? 私は、あなたが欲しいのです」


 心の鎧が外れたまま狼狽えている彼に、私はどうしようもなく心が弾み、どうすればこれをもっと面白くできるのか思考が巡らせる。


 とりあえず彼の左腕を私の胸に沈ませながら、右腕を絡ませ、彼の左手に私の左手を添えて、こちらも絡ませてみた。『この世界を作ってきた歴史ある技術』その三だ。

 絶対に逃がさないという私の意思を受け取ったのか、マイケルは言葉もなく震えている。


「私は、あなたの好みだと思いますよ」

「何、を……」

「マイケル殿下は、面倒くさい人が好きですよね。私はめちゃくちゃ面倒くさい人間です」

「ああ、それはまあ、その?」

「あと、あなたの生き方を知った上で、夫になったら面白そうな人だなと思っています」


 え、と固まった彼に、私はにっこりと微笑む。

 しばらくして、私が言った内容が頭に染み渡ったのだろう。

 じわじわと顔が赤く染まっていったので、私はそっと彼の耳元に口を寄せた。


「最初は契約結婚とやらでもよいですが……」


 そのうち、後悔すると思いますよ。


 そう囁いて、耳にふっと息を吹きかけた。


 そして、恐る恐る上目遣いで相手の様子をうかがってみると、いつも笑顔一辺倒だった彼が、顔を真っ赤に染め、悔し気に顔を歪めて、涙目でこちらを見ていた。

 うん、よいよい。

 私が思い描いたとおりの、美味しそうな王子さまの出来上がりである。


「あ、あなたはどこでこんなことを学んだのですか」

「ある人で練習しました」

「!? ど、どこの誰です!」

「気になりますか?」

「!」


 もちろん相手は、アイリス姉さまです。


 そう言おうと思ったのだけれど、私は口をつぐむことにした。

 どうやら思った以上に私のやったことは効果が出すぎたらしく、彼は口元を押さえたまま、涙目で本当に恨めし気に私を睨んできていたからだ。


 実は、あまりやりすぎると、アイリス姉さまは一週間、口をきいてくれなくなるのだ。

 マイケルもこれ以上追い詰めると、一週間、口をきいてくれなくなるかもしれない。

 来国して一週間しか経っていないのに、ここから一週間、案内役のマイケルに無視されるのはちょっと堪える。


「それじゃあ、私は部屋に戻ります」

「え!?」

「用事は済みましたので」

「よ、用事……済みましたか!?」

「話は済みました」

「で、ですが、夜はまだ」

「未婚の子女は、二十二時には寝ないといけないと言われているので」


 アイリス姉さまの教えは絶対なのだ。


 マイケルは口を開けたまま固まっているので、多分退室しても問題ないだろう。

 失礼しました、と頭を下げると、私は自室へと戻った。


 そういえば、今日は色々とアイリス姉さまの本に載っていたイチコロ技を使ったけれども、マイケルは野獣に変身することはなかった。

 何度も石のように固まっていたので、効果がなかったわけではないのだろうけれども、マグネリア王国の男の人って、噂と違って別に野蛮な感じはないのかもしれない。

 私の次兄エクバルトのほうが、百倍野蛮では?


 そんなこと思いながら、私はふっかふかな寝台の上で気持ちよく就寝し、その日、とてもいい夢を見た。

 この国のみんなに愛されて、王太子は私にメロメロになっていて、なんでも言うことを夢である。


 実は、みんなが何でも言うことを聞いてくれるようになったら、お願いしてみたいことがあるのだ。

 それを言うのが私の望みで、それだけのために、私は生きている。


『ほんの少しの間でいいから、私の目の前に、アイリス姉さまを連れてきて』


 多分叶わないと思うけれども、言うだけならきっと自由だ。

 別に叶えてくれなくてもいい。

 アイリス姉さまの指令は『聞いてくれる』ようになることであって、『叶えてくれる』ようになることではなかったし。

 それに、誰かにそれを言うことすら許されない今よりも、ずっとずっと、幸せのはずだ。


 こうして、それを口に出す日を夢見て、私はすやすやと眠りをむさぼるのだ。


 ちなみに、枕元には、アイリス姉さまの髪の毛が入ったお守りを置いている。

 姉さまが寝ている間に勝手に毛先を失敬したのだ。

 多分、ばれたら死ぬほど怒られると思うから、この秘密は墓場まで持っていくつもりである。



   ~✿~✿~✿~


 このとき、私は知らなかった。

 私がやったことは、私が思った以上に、マイケルの心に火をつけていたらしい。


「なんなんだ、あの女……くそっ、練習相手って誰だ……!」


 その後、マイケルは私の『練習相手』を調査すべく、ヴィンセント王国に諜報員を放ったけれども、その相手は見つからず、私の知らない所で地団駄を踏んでいたらしい。


 そして、そのことを私が知るのは、結構先のことになる。


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