お題:衝動


 まさか、こちらがターゲットになるとは思っていなかった。


「お前が肝だろ? 死ねよ」


 車のドアを開きながらせせら笑う見知らぬ男。ワタリは目を丸くし、それから唇を歪ませた。



 今日も今日とて、相棒のアオは狙撃ポイントで暗殺対象を狙っている。彼が成功するまでの時間をただ待ちに徹しながら、ワタリは車の中で対象者の行動をチェックしていた。もし、ターゲットに不測の行動が見られた場合、撤退の判断をするのもサポートである自分の役目だからだ。

 今のところ、特に予定を変更するような事態にはなっていない。だが、どこか予定調和すぎる相手に、少しだけ違和感を感じていた。


(……わざとらしいなぁ)


 日常を送っているようで、作り込んだ──些か誘い込むような気配がある。経験に基づいた勘が、ワタリの眉間にシワを作った。多分、一旦手を引いたほうがいい、と本能が告げてくる。

 即座に判断し、ワタリは迷うことなく通信ボタンを押した。しかし、アオから反応が返るより先に、車に近づく人影に気がつく。扉のロックをかけようとし、瞬時に考え直して右手を下ろした。

 勢いよくドアが開けられる音。それから、見知らぬ男の声。


「お前が肝だろ? 死ねよ」

『ワタリ?』


 一緒に耳に届いたアオの声に、ワタリは唇を歪ませた。


「すぐ戻って」


 直後、発砲音が車内に響く。


『──ワタリっ!?』


 珍しく焦ったアオの声が、鼓膜を揺さぶってくる。けれど、それに返す言葉をワタリが発することはなかった。




「……なんで、返事しなかったんだよ」


 走り出す車の助手席で、アオが頬を膨らませながら問うてくる。ワタリはハンドルを切りながら、上機嫌で笑みを浮かべた。


「いやぁ、さすがにそれどころじゃなかったんだよねぇ」

「嘘だ。お前、不意を突かれたって焦ることないだろ」

「そんなことないよー。オレだって、びっくりすることはあるし?」


 これは嘘ではない。今回のことを予想できていなかったという点では、不意をつかれたことに変わりはない。それに、狙われたのがアオではなく自分だったことに安堵しているという意味では、瞬間的な焦りはあったのだと思う。

 結局、見知らぬ男が撃った弾は、ワタリの身を貫くことはなかった。咄嗟にシートを倒して避けたからだ。シートとともに倒れながら、ワタリは腰に差していた拳銃ですぐさま相手に狙いを定めた。

 結果、地面に血を流しながら絶命したのは相手のほうだったというわけだ。


「でも、アオくんがすぐに戻ってきてくれて助かったよー。目撃者がいない状態で逃げられたから後始末はしなくてよかったし」


 これも本心だ。血溜まりを踏まないように気をつけながら車体に飛び散った赤色を拭っていると、すぐにアオが姿を現したのだ。足跡などの証拠を残さないように彼を抱えて車に乗せ、その場から走り去って今に至る。


「怪我はないんだよな?」

「ないよぉ。オレの愛車ちゃんに銃痕が残っちゃったくらい」


 防弾ガラスにヒビが入っていること以外、特に目立つ問題はない。それを伝えると、アオはふぅ、とひとつ息を吐いた。


「……無事で、よかった」


 息を吐くような微かな声と、揺れる瞳。本心からのものだとわかるアオの言葉に、ワタリはたまらない気持ちになる。

 コンビを組んだばかりの頃なら、こんな彼を見ることは叶わなかっただろう。積み重ねてきた情が、アオを変えたのだ。

 誰にも靡かず、ただ命じられたままにターゲットを屠ることしか頭になかった彼を、自分だけがこんなにも弱くした。


(はは、……たまんないなぁ)


 今すぐ押し倒して、ぐずぐずに泣かせてやりたい。そんな凶暴な衝動を、アクセルを踏み込むことでなんとか耐える。

 安全圏まで抜け出し、ワタリはようやく車を停めた。本来なら、ここで真っ先にしなければいけないことは、依頼主への報告なのだが。


(失敗および情報が漏れていたことの報告とネズミ探し、やり直しの提案……、あと数分なら遅らせられる)


 冷静にそう計算しながら、助手席に体を寄せる。


「ワタリ?」

「……うん」


 曖昧に微笑み、アオを自分の体で囲うようにしてシートに押しつける。触れそうなほど近づいた唇をひと舐めしてから、ワタリはその艷やかな薄紅に遠慮なく噛みついた。

 まずは、彼の存在を確かめるのが先だ。

 見知らぬ相手にうっかり出し抜かれてしまった己を反省しながら、ワタリは可愛い相棒の口の中を時間ギリギリまで貪った。

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