第10話 黒猫の剣豪と、うごめく黒い影
「これは一体……、何があったの?」
四両目の客車で起きた惨状に、クラソルは口元を手で覆う。。
客車を制圧する際、魔術士たちの命までは取らず、列車の床で身動きを取れなくしただけだ。
しかし今、無力化していたはずの魔術士たちは、全身を血塗れにしてみな息絶えていた。
喉仏を噛み砕かれてたり、胴体を鋭い爪で切り刻まれたり。
貨車へ逃げてきた魔術士同様、みな魔導国を象徴する純白のローブはほとんどが鮮血に染まり、ボロ切れの如く引き裂かれている。
「引っ搔き傷に、咬み傷……。ひどいわね……」
魔術士たちの死体にクラソルは悲痛の面持ちで涙ぐむも、死した者たちから目を背けようとしない。
死屍累々の惨状は常人なら見るに堪えないはずだが、彼女はここで起きた現実を受け止めようとしているに見えた。
朱鷺常は面喰らう。
クラソルのあの
あの直向きな眼差しは、何かとてつもない地獄を経験した者のする目だ。
生死の交錯する戦乱を経験したからこそ、朱鷺常はそう感じずにはいられなかった。
「何がいるかわからぬ。慎重に進んでいくぞ」
朱鷺常は抜き身にした刀を構え、通路をゆっくり進んでいく。
四人掛けの座席や網棚、床下やシャンデリアなど。
客車内をくまなく目配せしながら、今度は五両目の客車へと移った。
「ここも、同じような
五両目もまた先ほどと同じ惨状だで、獣らしきものに惨殺された魔術士たちが床に溢れかえっていた。
噛み殺されたり、爪で皮膚を
床一面に敷かれた真紅の
「朱鷺常、見て。何か獣らしき死体もあるわ」
客車の中央で、クラソルが不安の面持ちで下を指差し始める。
中央に一体、少し奥でさらに一体。
通路に横たわる魔術士たちとは別に、黒い体毛をした一メートルの魔獣が白目を
いずれの狼たちも、胴体から顔の上半身が
おそらく襲撃した魔術士から魔術で抵抗され、相打ちになったのだろう。
「"
敵の正体にクラソルが戸惑いを隠せずにいる。
「クラソル、この狼を知っているのか?」
「"
「人間を襲わないし、寄り付かぬ。今の状況と矛盾しておるぞ?」
クラソルの話が本当なら、人が数多に乗るこの〈汽車〉に"黒狼犬"はいるはずがない。
その習性を理解しているからこそ、クラソルは戸惑っているのだろう。
いまだ状況の整理がつかず、客車の中央で地団駄を踏んでいた。その時だった。
「クラソル!」
朱鷺常は見逃さなかった。
座席の物陰からクラソル目掛けて飛びつこうとする、黒い影を。
「えっ、きゃ!」
白のポンチョに身を包む小柄なクラソルに、朱鷺常は黒猫の全身で体当たりをかました。
直後、押された反動で尻餅をつくクラソルの真上を黒い影が掠めた。
あのままクラソルが立っていれば、敵の餌食になっていただろう。
朱鷺常はすぐさまクラソルの前へ移り、通路にたたずむ正面の黒い獣と相対した。
黒くフサフサとした体毛に覆われた体長一メートルほどの狼は、"黒狼犬"。
口元から剥き出した鋭い牙や前脚の鋭利な爪をみれば、血液と思しき赤色で汚れている。
ここらの魔術士に手をかけた狼の一匹で、どうやら間違いなさうだ。
「そこでじっとしていろ、クラソル!」
間髪入れず、朱鷺常も狼また刀を口に黒猫の体を狼に向かわせる。
説得の通じる相手ではない。瞬時に判断した朱鷺常は、抜き身の愛刀を口元に出現させる。
そうして白銀を煌めかせた刀を携えたまま、朱鷺常は狼の横を高速で駆けた。
「《
すり抜けたと同時に目にも留まらぬ速さで剣の一閃を放つ、朱鷺常の剣技。
飛びかかってきた狼とのすれ違いざま、〈
やがて朱鷺常が真横を通りすがるのと同時に、黒毛の狼は口を境に上下真っ二つとなった。
「この獣以外に敵はいないか」
客車内に敵影がないのを確認した朱鷺常は刀をしまうと、自身の仮説をクラソルに告げた。
「よもや、狼たちの襲撃はすべて魔術によるものか?」
ふんわりとした金髪を揺らすように、クラソルはあどけない顔をコクっと頷かせる。
「恐らくはね……。誰かが操りでもしなきゃ"黒狼犬"から〈汽車〉になんて乗らないもの。もしかすると、走行中の〈汽車〉に"黒狼犬"を乗せたり、キロさんの〈
やはり魔術が関わっているのか。
そう確信すると、朱鷺常は内心怒りを覚えずにはいられなかった。
誰が、ここまで惨いことをしたのだ……。
朱鷺常たちが制圧した後だったから、犠牲となった魔術士たちは無抵抗だったはずだ。
「敵の影もなさそうだ。一度貨車に戻ってアクロウとやらに状況を告げぬか?」
「そうね。でも、少し待ってくれない?」
するとクラソルはその場で膝をつき、両手を組み始める。
瞳を深く閉じ、眉間の前に組んだ両手を添える仕草は、何かの祈りを
「何をしているのだ?」
「ここで亡くなった魔術士や"黒狼犬"の魂が、死後の世界へ安らかに行けるよう祈るのよ」
そう言い切るクラソルに、朱鷺常は驚きから確かめるように尋ねた。
「【雪の魔導国】の魔術士は、お主たち"焔の民"に濡れ衣を着せ、故郷を追わせたのではなかったのか」
"焔の民"が魔竜を解き放ち国家を転覆する。
そんな濡れ衣をかけてきた魔導国は、クラソルからすれば敵だろう
「怒りや憎しみがないわけじゃないわ。でも、彼らが直接手を下してきたわけじゃないし、何より、全ての魂を冒涜してはならないわ」
「魂?」
「わたしたち"焔の民"は、あらゆる魂を丁重に扱い、共生することを代々掲げて生きてきた。たとえ、敵であっても、その扱いは変わらない」
再び祈りに集中しはじめるクラソルに、朱鷺常は猫の黄色い瞳を大きく見開いた。
前々から引っかかっていた。
クラソルはなぜ弓矢で魔術士の命を奪わず、杖だけを狙ったのか?
どうして敵の死を純粋に悼もうとしたのか?
命を大切にするという"焔の民"の伝統を、クラソルは貫いたのだ。
それだけ、一族の伝統を愛し、誇りに思っているのだろう。
この状況下でもなお信念を貫き通せるのが、その証だ。
やはり、クラソルは強いな。
改めてそう認識した朱鷺常もまた主人に倣い、猫の体をじっと床に佇ま、死した者達に黙祷を捧げた。
そうして冥福を祈り終え、五両目の客車から立ち去ろうとする。
「おや。丁重に死人を悼むとは、感心じゃのう」
「誰だ!?」
朱鷺常はすぐさま後ろを振り向いた。
先ほどまで誰もいなかったはず。
なのに今、客車の通路の只中で、黒いローブを《まと》纏ったひとりの人間が堂々と
それも最大限に警戒していたつもりが、声を聞くまで気配を感じなかった……。
「お主は何者だ?」
〈叢雲〉を口に出現させた朱鷺常は、警戒態勢から猫の体を前のめりに構えた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます