第10話 黒猫の剣豪と、うごめく黒い影

「これは一体……、何があったの?」

 四両目の客車で起きた惨状に、クラソルは口元を手で覆う。。

 客車を制圧する際、魔術士たちの命までは取らず、列車の床で身動きを取れなくしただけだ。

 しかし今、無力化していたはずの魔術士たちは、全身を血塗れにしてみな息絶えていた。

 喉仏を噛み砕かれてたり、胴体を鋭い爪で切り刻まれたり。

 貨車へ逃げてきた魔術士同様、みな魔導国を象徴する純白のローブはほとんどが鮮血に染まり、ボロ切れの如く引き裂かれている。

「引っ搔き傷に、咬み傷……。ひどいわね……」

 魔術士たちの死体にクラソルは悲痛の面持ちで涙ぐむも、死した者たちから目を背けようとしない。

 死屍累々の惨状は常人なら見るに堪えないはずだが、彼女はここで起きた現実を受け止めようとしているに見えた。

 朱鷺常は面喰らう。

 クラソルのあのきもわりようは、齢十九の女子が普通に獲得しえるものではないだろう。

 あの直向きな眼差しは、何かとてつもない地獄を経験した者のする目だ。

 生死の交錯する戦乱を経験したからこそ、朱鷺常はそう感じずにはいられなかった。

「何がいるかわからぬ。慎重に進んでいくぞ」

 朱鷺常は抜き身にした刀を構え、通路をゆっくり進んでいく。

 四人掛けの座席や網棚、床下やシャンデリアなど。

 客車内をくまなく目配せしながら、今度は五両目の客車へと移った。


「ここも、同じような惨状さんじょうだったか……」


 五両目もまた先ほどと同じ惨状だで、獣らしきものに惨殺された魔術士たちが床に溢れかえっていた。

 噛み殺されたり、爪で皮膚をえぐられたり。

 床一面に敷かれた真紅の絨毯じゅうたんが、いまや魔術士たちの死体から流れた血と無惨に混ざりあう。


「朱鷺常、見て。何か獣らしき死体もあるわ」


 客車の中央で、クラソルが不安の面持ちで下を指差し始める。

 中央に一体、少し奥でさらに一体。

 通路に横たわる魔術士たちとは別に、黒い体毛をした一メートルの魔獣が白目をいて倒れていた。

 いずれの狼たちも、胴体から顔の上半身がずみのごとく焼き焦げている。

 おそらく襲撃した魔術士から魔術で抵抗され、相打ちになったのだろう。

「"黒狼犬ウルドック"がどうして……!?」

 敵の正体にクラソルが戸惑いを隠せずにいる。

「クラソル、この狼を知っているのか?」

「"黒狼犬ウルドック"は【雪の魔導国スノーデン】の森じゃあよく見かける魔獣よ。単独行動で獲物を狩る習性があるけど、基本的に人間を襲わないし、人里にも滅多に寄りつかないはず、なんだけど……」

「人間を襲わないし、寄り付かぬ。今の状況と矛盾しておるぞ?」

 クラソルの話が本当なら、人が数多に乗るこの〈汽車〉に"黒狼犬"はいるはずがない。

 その習性を理解しているからこそ、クラソルは戸惑っているのだろう。

 いまだ状況の整理がつかず、客車の中央で地団駄を踏んでいた。その時だった。

「クラソル!」

 朱鷺常は見逃さなかった。

 座席の物陰からクラソル目掛けて飛びつこうとする、黒い影を。

「えっ、きゃ!」

 白のポンチョに身を包む小柄なクラソルに、朱鷺常は黒猫の全身で体当たりをかました。

 直後、押された反動で尻餅をつくクラソルの真上を黒い影が掠めた。

 あのままクラソルが立っていれば、敵の餌食になっていただろう。

 朱鷺常はすぐさまクラソルの前へ移り、通路にたたずむ正面の黒い獣と相対した。

 黒くフサフサとした体毛に覆われた体長一メートルほどの狼は、"黒狼犬"。

 口元から剥き出した鋭い牙や前脚の鋭利な爪をみれば、血液と思しき赤色で汚れている。

 ここらの魔術士に手をかけた狼の一匹で、どうやら間違いなさうだ。

「そこでじっとしていろ、クラソル!」

 間髪入れず、朱鷺常も狼また刀を口に黒猫の体を狼に向かわせる。

 説得の通じる相手ではない。瞬時に判断した朱鷺常は、抜き身の愛刀を口元に出現させる。

 そうして白銀を煌めかせた刀を携えたまま、朱鷺常は狼の横を高速で駆けた。

「《蕭蕭風花しょうしょうふうか》」

 すり抜けたと同時に目にも留まらぬ速さで剣の一閃を放つ、朱鷺常の剣技。

 飛びかかってきた狼とのすれ違いざま、〈叢雲むらくも〉の刃が狼の胴体を深く刻んでいく。

 やがて朱鷺常が真横を通りすがるのと同時に、黒毛の狼は口を境に上下真っ二つとなった。

「この獣以外に敵はいないか」

 客車内に敵影がないのを確認した朱鷺常は刀をしまうと、自身の仮説をクラソルに告げた。

「よもや、狼たちの襲撃はすべて魔術によるものか?」

 ふんわりとした金髪を揺らすように、クラソルはあどけない顔をコクっと頷かせる。

「恐らくはね……。誰かが操りでもしなきゃ"黒狼犬"から〈汽車〉になんて乗らないもの。もしかすると、走行中の〈汽車〉に"黒狼犬"を乗せたり、キロさんの〈電話鳥サンダーバード〉を途絶させたりしたのも、同一犯かもしれない」

 やはり魔術が関わっているのか。

 そう確信すると、朱鷺常は内心怒りを覚えずにはいられなかった。

 誰が、ここまで惨いことをしたのだ……。

 朱鷺常たちが制圧した後だったから、犠牲となった魔術士たちは無抵抗だったはずだ。

「敵の影もなさそうだ。一度貨車に戻ってアクロウとやらに状況を告げぬか?」

「そうね。でも、少し待ってくれない?」

 するとクラソルはその場で膝をつき、両手を組み始める。

 瞳を深く閉じ、眉間の前に組んだ両手を添える仕草は、何かの祈りをささげている風だ。

「何をしているのだ?」

「ここで亡くなった魔術士や"黒狼犬"の魂が、死後の世界へ安らかに行けるよう祈るのよ」

 そう言い切るクラソルに、朱鷺常は驚きから確かめるように尋ねた。

「【雪の魔導国】の魔術士は、お主たち"焔の民"に濡れ衣を着せ、故郷を追わせたのではなかったのか」

 "焔の民"が魔竜を解き放ち国家を転覆する。

 そんな濡れ衣をかけてきた魔導国は、クラソルからすれば敵だろう

「怒りや憎しみがないわけじゃないわ。でも、彼らが直接手を下してきたわけじゃないし、何より、全ての魂を冒涜してはならないわ」

「魂?」

「わたしたち"焔の民"は、あらゆる魂を丁重に扱い、共生することを代々掲げて生きてきた。たとえ、敵であっても、その扱いは変わらない」

 再び祈りに集中しはじめるクラソルに、朱鷺常は猫の黄色い瞳を大きく見開いた。

 前々から引っかかっていた。

 クラソルは

 どうして敵の死を純粋に悼もうとしたのか?

 命を大切にするという"焔の民"の伝統を、クラソルは貫いたのだ。

 それだけ、一族の伝統を愛し、誇りに思っているのだろう。

 この状況下でもなお信念を貫き通せるのが、その証だ。

 やはり、クラソルは強いな。

 改めてそう認識した朱鷺常もまた主人に倣い、猫の体をじっと床に佇ま、死した者達に黙祷を捧げた。

 そうして冥福を祈り終え、五両目の客車から立ち去ろうとする。


「おや。丁重に死人を悼むとは、感心じゃのう」

 

 女人にょにんなまめかしい声が、ふいに背後より響く。

「誰だ!?」

 朱鷺常はすぐさま後ろを振り向いた。

 先ほどまで誰もいなかったはず。

 なのに今、客車の通路の只中で、黒いローブを《まと》纏ったひとりの人間が堂々とたたずんでいたのだ。

 それも最大限に警戒していたつもりが、声を聞くまで気配を感じなかった……。

「お主は何者だ?」

 〈叢雲〉を口に出現させた朱鷺常は、警戒態勢から猫の体を前のめりに構えた。

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