第17話
16時。第一ダイバールーム。
僕は部屋中央に並べられた黒改された本の前に立っている。視界の先にはケーラスがいる。
全てを正常化さないといけない。でも、並べられた本以外にも大量の本がある。
気合を入れないと。自分がするしかないと。
僕は目を閉じてから深呼吸をして、息を整える。その後、目を開けて、両手で思いっきり頬を叩いた。
ジーンと痛みがする。けれど、その痛みのおかげで気持ちの迷いがなくなった。もう、頑張るしかないんだと決心した。
「賢ちゃん。頑張ってね」
莉乃姉の声が背後から聞こえる。
僕は振り向いて、莉乃姉を見る。莉乃姉はフリーノートを手に持っている。
「頑張って来るよ。フリーノートをもらえる」
僕は莉乃姉からフリーノートを受け取った。
「全部済んだらアイス奢ってあげるから」
「ありがとう。じゃあ、行ってきます」
「いってらっしゃい」
僕は黒改された「ブレーメンの音楽隊」の本の前に立つ。テイルホールはあらかじめ用意されているから後はダイブするだけ。
僕はフリーノートを左脇で挟み、胸ポケットに入れている神夢筆を取り出す。そして、目を閉じて、緑色の和傘をイメージしていく。
イメージがどんどん鮮明になっていく。
僕は目を開けて、目の前に「和傘」と書く。すると、緑色の和傘が出現した。その緑色の和傘を手に取る。
神夢筆を胸ポケットに戻す。
僕は緑色の和傘を広げる。
さぁ、頑張りますか。莉乃姉がアイスを奢ってくれる事だし。なんだか、気合を入れてから、
緊張が取れた気がする。今ならある程度の事なら慌てる事無く対応できるはず。
テイルホールに飛び込む。
視界は真っ暗。現実世界と架空の世界を繋ぐトンネル。ここを通過するのは何回経験しても怖いな。本当に何も見えないから。でも、あと数秒だ。
5、4、3、2、1、0。ダイブ成功した。
身体は地上に向かって下降していく。
視界には「ブレーメンの音楽隊」の世界が広がる。
目の前を何かが通過した。
今のはなんだ。でも、確実にこの世界観に合わない生物だったような。
僕は通過した方に視線を向ける。視線先には龍が飛んでいた。龍の背中には鬼桃太郎と猿と狼が乗っている。
あ、あいつらだ。どう追う。このまま地上に降りてから追うのは時間を大幅にロスする。もう、ドラゴンを出すしかない。
和傘から手を離して、胸ポケットから神夢筆を取り出す。
あ、危ない。落とすところだった。和傘は僕が世界から居なくなったら消えるから心配する必要は無い。
僕は目を閉じて、ドラゴンをイメージする。
普段よりイメージが鮮明になる方が早いぞ。
目を開けて、空気中に「ドラゴン」と書く。その次の瞬間、ドラゴンが僕の下に現れた。
僕はそのままドラゴンの背中に乗り、神夢筆を胸ポケットに戻す。
「ドラゴン、あの飛んでいる龍を追い越して、前に出てくれ」
ドラゴンは吠える。そして、僕の指示通りに飛んでいる龍を追い越す為に猛スピードで飛んでいく。
フリーノートを落とさないように左脇で挟みつつ、振り落とされないようにドラゴンの背中を掴む。
今、僕ってかなり危険な事をしている気がする。でも、そんな事をいちいち考えていたら、今日中に黒改された本を全て正常化する事なんてできない。
ドラゴンが龍を追い越して、前に出た。
僕は左脇で挟んでいたフリーノートを開く。
龍達は突然の出来事だったのだろう。そのまま、フリーノートに突っ込んできた。
フリーノートは突っ込んできた龍達を吸い込む。吸い込みきったのを確認して、フリーノートを閉じた。
よし、まず「鬼桃太郎」の登場キャラクターを捕獲した。あとはこのキャラクター達を「鬼桃太郎」の世界に戻せばいい。
19時30分。創護社、テイルダイバー指令室。
全ての黒改した本を正常化させた。そのせいか身体中の至る所が痛い。筋肉痛って普通翌日とかに出るもののはずなのに。もうこの段階で痛いと言う事は明日は動けないんじゃないかと思ってしまう。
「全ての本の正常化を確認したわ。本当にお疲れ様。巌谷君が居なかったら歴史が改変される所だった。貴方がした事はこの街。いや、この世界を守ったのと同じよ。胸を張って誇りなさい」
影草さんは僕の肩を優しく叩いた。
「あ、ありがとうございます」
こんなふうに言ってもらえると、頑張ったかいがある。
「よかったじゃん。惚れ直した」
莉乃姉は僕の背中を思いっきり叩いた。
「痛い。てか、今なんて言った?」
「え、あ、えーっと、うるしゃい」
莉乃姉は顔を真っ赤にして、僕の背中を何度も叩いてくる。
「痛い。痛いよ。ごめん。なんだか、分からないけどごめん」
なんで僕が謝っているのだろう。でも、それを聞いたらもっと叩かれるはずだから聞かないでおこう。それが自分の身体を守る為だ。
「未明さん。それぐらいにしておきなさい」
「あ……すいません」
莉乃姉は叩くのを止めた。
「話は変わるけど、貴方達に伝えておかないといけない事があるの」
「伝えたい事?」
なんだろう。黒改された本は正常化した。あとは想蘇祭の事か、それとも、丹波達の事か。
「なんですか?」
「丹波についてよ」
「何か分かったんですか?」
丹波の情報は少しでも多くあった方がいい。また対峙した時に有益に事を進めるためにも。
「彼は夢幻学園の卒業生よ」
「え?僕らの先輩って事ですか」
「それって本当のなんですか?」
「えぇ、本当よ。手下達の取り調べで得た情報を元に御伽町のデータを調べてね。データは何者かによって破壊されていたから修復したの。時間はちょっと掛かったけどね」
「そうなんですか」
「驚きしかないですね。でも、アウトリュコスに居るって事は学生の頃から不真面目だったとかですよね」
莉乃姉は訊ねた。
「いいえ。その逆よ。勤勉で真面目だった。成績は上位。模範的な生徒だったみたい」
「模範的な生徒だった。私達が会った丹波はその真逆ですよ。グレちゃったんですか?」
「まぁ、そう言う事になるわね」
「グレた理由はあるんですか?」
「丹波が書いた作品は一度も認められる事がなかったの。いくら、作品を書いても。オリジナル性がない、文章力がないと、様々な形で批評されていた」
「……そうなんですか」
なんだか、胸が痛くなった。もしかしたら、僕も丹波と同じ道を辿ってしまうのじゃないかと思ってしまった。
「でもね。それは周りが彼を貶めるために行った嫌がらせの一部でしかないの」
「貶める嫌がらせの一部?」
「他にもあるんですか?」
「丹波の作品は素晴らしいものばかりだった。しかし、周りの者がその才能を嫉妬して、潰ぶ
しにかかった。丹波の作品のデータを盗み、自分の作品として発表したり、丹波に自分達の作品を盗作されたと噓の情報を流したり、丹波の作品のデータを消したり。まだまだたくさんあるけど、気持ちが落ちるだけだからここまでにしとくわ」
「……酷い」
そんな事あっていいのか。ただ素晴らしい作品を書いただけなのに。それをなぜちゃんと評価してあげてないんだ。
「丹波を貶めた人達はどうなったんですか?」
莉乃姉は質問した。
「この町からの永久追放。そして、創作活動をする事を禁じられたわ」
「そうですか」
「丹波は人間不信になり、夢幻学園を退学したわ。その後、どこかのタイミングでアウトリュコスに入った」
「そんな過去があったんですね」
「なんだか可哀想ですね」
「同情しちゃ駄目よ。……同情したくなるのは分かる。でもね。丹波はアウトリュコスなの。犯罪者なの。それだけは忘れちゃいけない。丹波のせいで傷ついている人が大勢居るって事を」
「……はい」
たしかにそうだ。どれだけ傷つけられたとしても、他者を傷つけていい理由にはならない。
「そうですね。同情はしません」
「えぇ。この情報はあとで他のメンバーにも共有しておく。2人はもう上がっていいわ。お疲れ様」
「は、はい。お疲れ様です」
「お疲れです」
僕と莉乃姉は影草さんに頭を下げた。
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