第4話若い女が良かった⋯⋯。(スタンリー視点)

 全てが決められたレールを走る自分のつまらない人生にルミエラは突然現れた。

 愛のない政略結婚をして、クリフトが生まれ淡々と仕事をこなす毎日でささやかな楽しみがあった。


 銀髪に澄んだエメラルドの瞳を持った少女は今日も聖母のように美しい。


「ルミエラ、そのような事はしなくても良いのだぞ」

「おはようございます、公爵様! でも、見た目も鮮やかな方がクリフト坊っちゃまも食欲が湧くと思いますし⋯⋯」


 クリフトを部屋に閉じ込めている間、彼の食事は部屋の前に置くことになっていた。


 ほとんど食事をしない彼に対して、シェフの料理は適当になっていた。


 公爵令息に対してスープ一杯⋯⋯それでもクリフトは一口も付けずに突き返してくる。

 正直、クリフトに怒って良いのか、息子にそのような雑な食事を出すシェフに怒って良いのか分からなかった。


 ある日、シェフから受け取ったスープ一杯の食事をコース料理のように綺麗に並べて出すルミエラを見かけた。


 ルミエラは床に座り込み受け取ったスープから野菜や肉を取り出し、持ってきた皿にまるでコースとして用意されたように真剣に並べている。


 クリフトは喋らないから、彼女の行いに感謝を伝える事はないだろう。


 そして、クリフトはどう生きているのか分からないくらい料理に手も付けない。


 それでも毎日のように無駄な努力を重ねるルミエラを可愛いと思った。


 結婚もしていて、30歳を手前にした自分が14歳の女の子を愛おしいと思うとは自分でも気持ち悪いと感じた。


 俺と彼女は15歳も歳が離れていた。


 彼女は両親を戦争で失っていて身寄りがなく、公爵家に13歳の時にメイドとして住み込みで働きにきた。


 非常に働き者で誰も見ていなくても、常に汗を流しているのが印象的だった。


 そして、その姿は誰よりも美しかった。


「気持ち悪い。今日もジロジロと若いメイドを見つめていたでしょ」

 食事の手を止めて、突然、妻のミランダは俺を責めてきた。


 政略結婚で結婚して俺に興味がないと思っていたミランダが初めて俺に意見した。

 俺は気がつくと彼女の頬を打っていた。


「クリフトの事も腫れ物みたいに扱って⋯⋯私には暴力を振るって、自分は若いメイドに夢中! 本当に下品な人!」


 ミランダは王女として甘やかされて育てられただけあって、人の気持ちを抉るような言葉を平気で吐くような女だった。


 俺は自分がルミエラを目で追ってしまう事を恥じていた。


 1番指摘されたくない部分を突かれた俺は、彼女に言ってはいけない言葉を吐いた。


「下品? クリフトのようなまともじゃない子しか産めない半端者のお前に言われたくないね」

 その日、なぜ部屋から滅多に出ないクリフトが俺たちの会話を立ち聞きしていたのか分からない。


 ダイニングルームの扉は開いていて、9歳のクリフトが俺たちを観察するように見ていた。

 それに気がついたミランダは彼に近づくと、跪いて謝っていた。


 何に対して謝っていたかは分からないが、俺はそれからミランダとクリフトを徹底的に避けるようになった。


 1週間後、ミランダは首を吊って自殺した。


 俺はクリフトには母親が必要だと言い訳するように、当時16歳だったルミエラと結婚した。

 

 メイドの時はキラキラ輝いて見えた彼女が、結婚すると途端に豹変した。


 彼女は買い物三昧の生活をし、外商を邸宅に呼んでは宝石を買い漁った。

 俺と会話をする時はいつも心あらずで、彼女の頭は公爵夫人になり贅沢することしか考えていないのだと失望した。

 

 気に入らないメイドはムチで叩いて、天使のような顔をしていた彼女が悪魔に見えるようになった。


 俺の心はだんだんとルミエラから離れて行った。



「公爵様、思い出をください。ずっと貴方様に憧れてました」

 メアリア子爵令嬢が俺に気があることは知っていた。


 俺が初恋だったと恥ずかしそうに伝えてくる彼女の銀髪を見て、これがルミエラからの言葉だったらどれだけ良いかと想像した。

 彼女はまだ16歳で、借金の肩代わりに2回りも歳上の商人に嫁がされる。


 その事実が、身寄りのないルミエラが15歳も歳上の俺に求婚されて好きでもないのに結婚したのと重なった。


 メアリア子爵令嬢との情事が発覚して、ルミエラに軽蔑されるのかと一瞬多くの言い訳が頭を巡った。


 「若い女が良かった⋯⋯」最初に浮かんだ言い訳に思わず苦笑いが溢れた。


 ルミエラはまだ十分若い、この言い訳は歳が離れているという彼女への引け目を覆い隠すためのものだ。

 

「私たちの夫婦関係は既に破綻しています。お気になさらないでください」


 ルミエラの言葉に酷く虚しい気持ちになった。

 彼女が俺を夫として尊重した事はなかった。

 ただ、贅沢をさせてくれるおじさん程度にしか思われていなかったと思う。


(夫婦関係? 君が少しでも俺に歩み寄ってくれたなら⋯⋯)

 

 その後のルミエラの様子はいつもと違っていた。情の深い俺が愛した彼女が戻って来たような感じがした。


 クリフトの事を深く思いやる言葉と、彼女のエメラルドの瞳からは愛情が溢れ出ていた。


「スタンリー、お互いクリフトの親として恥ずかしくないように過ごしましょう。私たちの関係は解消するの。これ以上続けても無意味だわ」


 まるで死刑宣告のような残酷な言葉を吐くルミエラは俺の愛した聖母の笑みを浮かべていた。

 「離婚はしないぞ。世間体が悪いからな」

 自分で発した声が驚くように震えている。


 ルミエラが好きだった。


 彼女への気持ちは冷めたような気になっていたのに、俺の好きだった彼女の残像が見えただけで一気に気持ちが再熱する。


 恐らく今まで生きて来た中で唯一した恋だ。

 簡単に捨てられるものではなかった。


 ルミエラの前では恥ずかしい程、俺は単純な男になってしまう。


 それでも、愛されてない事が分かってて彼女を繋ぎ止めるのに縋ることはできなかった。

 プライドが邪魔して出た言葉は彼女を縛りつける言葉。

 その言葉に彼女は顔を顰めるよりも悲しそうな顔をした。


 昨晩、目を瞑りルミエラだと思って抱いた女は何を勘違いしたのか俺の元に戻って来た。

 

「公爵様、私の方があなたを幸せにできます。お願い、私を愛して」


 俺に縋りながら啜り泣くメアリア嬢を引き剥がしたい衝動に駆られる。


 純粋そうに見えた彼女に隠しきれない下心を感じた。

 一旦、退場したように見せかけて出てくるタイミングを見計らっていたのだ。


 どうしてもっと早く気がつかなかったのだろう。

 彼女がルミエラの誕生日の前日の晩を狙って、俺を訪ねて縋ってきたのはわざとだ。


 女とはなんと恐しい生き物なのだ。


 彼女は俺とルミエラの関係が破綻するように誘導して、次の公爵夫人の座を狙っていただけだ。


「本当に、公爵殿下と夫婦だった時間は何だったのでしょう。あなたは若ければ誰でも良い方だったのね」


 俺の葛藤も知らない自分勝手なルミエラの言葉に怒りを感じたのに、彼女が涙を浮かべているのが分かって非難できなかった。


「君の言う通り、俺たちが歩んできたのは無駄な時間だったのかもな。それでも俺は君と離婚するつもりはない」


 俺は静かにメアリア嬢を引き剥がしながら、ルミエラを見つめ続けた。


 ルミエラは、結局、少しも自分のものにはならなくて悪魔のような正体を持つ癖に聖母のような面を見せて惑わす女だ。


 彼女のことは思い出として片付けた方が良いと頭の片隅で思っていても、手放す気にはなれない。


 彼女は自分の手に負えるレベルの女とは思えない。

 俺を、出口のない森に迷わせる恐ろしい女だ。


「私はもうあなたに期待していないけれど、クリフトには恥ずかしくない親でいて⋯⋯」


 美しく微笑んだ彼女はクリフトの手をとり自室に戻っていった。


 その姿を無表情で見つめているレイフォード王子には違和感しかない。


 彼がなぜ早朝からお忍びのようにこの邸宅を訪れているのかも不明だ。


 ルミエラの誕生日の舞踏会は夕方からで、彼と彼の婚約者であるタチアナ嬢を招待している。


「公爵様、昨晩のように私を『あなたを愛するルミエラ様』と思って抱いてくれて構いませんよ」

 引き剥がしても、すり寄ってくるメアリア嬢にゾッとした。

 そして、彼女は俺の妻よりも余程俺をよく見えている。

 

「ルミエラの代わり? 誰もルミエラの代わりなどできない⋯⋯君はもう2度と俺の前に姿を現さないでくれ。そもそも、そういう約束だし目障りだ」

「酷い人!」

 メアリア嬢の涙を見ても、俺は何も感じなかった。

 酷いと言われれば、その通りで俺は酷い人間だ。


 メアリア嬢が立ち去るのを確認をして、俺はレイフォード王子と向かい合った。


「レイフォード王子殿下⋯⋯舞踏会は夕刻からのはずですが⋯⋯」


「クリフトとの約束があったのだ。それにしても、中々面白い場面が見れた。人生、何が起きるか分からないな。それでは、また後ほど会おう」


 たかだか19年しか生きていないのに悟ったような事を言いながら、レイフォード王子は出て行った。



 

 

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