何度殺されても愛してる

専業プウタ

第1話スタンリー、私と離婚して!

「スタンリー、私と離婚して!」

「ルミエラ! 突然、何を言い出すのだ? クリフトは渡さないぞ」


「渡さない? あれだけ、跡取りには相応しくないと言っておいて? あなたは父親失格よ⋯⋯育てる自信がないのなら、クリフトを手放して」


 13歳になるクリフトには発語がなかった。


 夫のスタンリー・モリレード公爵は、それが私の育て方のせいだと罵った。

 私と彼が結婚した9歳時点でもクリフトは一言も言葉を発したことがなかったのにあんまりだ。


 私の剣幕にスタンリーが一瞬たじろぐのが分かる。


 このまま一生言葉を発しないかもしれないクリフトを跡継ぎにする自信がないのだろう。


 黒髪に澄み渡る海のような澄んだ瞳を持ったクリフト。夫のスタンリーと外見こそ似ているが、私の中では彼とは切り離された別の存在だ。


 クリフトが私の目をじっと見入る。


 一言も話さないけれど、何もかも理解しているのようなそのアクアマリンの瞳に魅入られそうになる。


「話したくないのなら、何も言わなくても良いのよ。あなたはいるだけで、宝石のような存在なのだから」


 クリフトは相変わらず全く何も話さないままだった。


 しかし、いつもと違ったのは私を抱きしめ返してきたことだ。


 まだ成長途中の大きさの手が背中に回るその瞬間、私は何でもできると思った。


(これで、私は生き残れるはず⋯⋯)


 私は今、小説『アクアマリンの瞳』の中にいる。

 小説の主人公は、16歳のクリフトだ。


 3年後、クリフトはこの公爵邸の人間を惨殺し、悪政で民を苦しめるレイフォード・レイダード国王を倒し聖女マリナと平和な王国を築く。


 小説の中のクリフトは非常に弁が立つ。


 演説が抜群に上手くて、反逆さえも正当化し民衆からは英雄と讃えられるのだ。

 

 モリレード公爵家の人間は、後妻である私ルミエラを中心にクリフトを虐待した。


 言葉を発せない少年は自分がされた事を他の人間に説明する事はできない。


 彼は人々のストレスの格好の捌け口になり、彼の父親であるスタンリーは彼を庇う事はなかった。


 私は、小説開始の3年前の世界にいる。


 そして、3年後にクリフトに殺される予定だ。


 ちなみに私は後妻なので、クリフトと私に血の繫りはない。

 

 夫にクリフトの件で責められる度に、彼を虐待してきた記憶がある。


 私は前世の記憶を3日前に取り戻すと同時に、虐待をやめた。

 

 そして、既にクリフトにとって憎む環境であるこのモリレード公爵邸を出ようと決意したのだ。


 「跡継ぎが欲しいのならば、3日前に貴方の寝台に寝ていた女にでも頼んでくださいな」


 捨て台詞を言って、クリフトの手を引いて公爵邸を出る。


 これからは私は全力で彼を愛するつもりだ。

 彼を傷つける全てのものから彼を守ってみせる。


 私は前世でもシングルマザーとして言葉を発さない子を育ててきた。

 

 「冗談じゃない。お前らみんな死ね」


 13歳、声変わりを済ませていない少し高めの声がして振り向く。

 そこには、明確に殺意を持ったアクアマリンの瞳があった。


 公爵邸の護衛の騎士の腰から剣を抜いたクリフトは、次々と人を斬っていく。

 血飛沫が顔にかかり、私は自分の選択が間違えたことを知った。


 途中までは、クリフトも私と逃げる事をよしとしていた気がする。


 でも、今は何が間違ったかなんて考えている暇はない。

(とにかく、逃げないと⋯⋯)


 咄嗟に私は荷物を投げ捨て、逃げようとする。


「逃がすかよ」

 氷のような冷たい声と共に背中を刺された。


 鈍い痛みと共に意識が途絶える。

(私⋯⋯死んだ?)


♢♢♢


 うっすらと、目を開ける。

 カーテンから差し込む陽の光が眩しい。


「奥様、今日は奥様の20歳の誕生日です。早速、準備に取り掛かりましょう」


 メイドのエリカの言葉に、私は心臓が止まりそうになった。

 私は死んだ3日前に戻っている。

 

「エリカ⋯⋯ごめん。私、公爵夫人になったからって、急に態度を変えて嫌な奴だったよね」

 私には謝りたい人が沢山いる。

 その中の1人が元同僚のエリカだ。


 彼女とは公爵邸に雇われた時から、一緒に住み込みで働き苦楽を共にしてきた。


 ミランダ・モリレード公爵夫人が亡くなり、当時16歳だった私をスタンリーは妻に迎えた。


 平民出身のメイドが公爵夫人になるというシンデレラストーリーは王国中を熱狂させた。


 流れるような銀髪にエメラルドの瞳をした若く美しい身寄りのない16歳の少女は、突然お姫様のように扱われるようになった。


 見た目だけが取り柄の私が、スタンリー・モリレード公爵と結婚できたのは幸運だと周囲は噂した。


 主人公のシンデレラになった私は調子に乗りまくった。


 今まで同僚だったメイドを邪険に扱い、少し気に入らないことがあればムチでふくらはぎを叩いた。


 人に少しの権力を与えると、その人の本質が見えるというが私の本質は最低だ。


 なぜスタンリーが私を妻として迎えたのかは、はっきりしていた。


 彼は美しく若い女が好きだった。


 死んだミランダ公爵夫人は隣国バリアトの元王女で、彼と彼女の結婚はカルロイス・レイダード国王からの命令でした政略的なものだった。


 彼は美貌も若さもない妻が死んだ後は、自分好みの女を娶りたかったのだろう。


 そして、私はこのモリレード公爵家の秘密である当時9歳のクリフトが一切発語がない事を知っていた。

 

 身寄りのない私は逃げ出す実家もなく、問題のあるクリフトに献身的に関わる事を期待されていたのかもしれない。

 

 「奥様?」

 

 エリカの瞳が揺れている。


 明らかに私の変化した態度に戸惑っているのが分かり、私は過ぎた日々は取り戻せないことを悟った。


 今日は私の20歳の誕生日。


 夕方からの舞踏会の打ち合わせをしようとスタンリーの寝室を訪れたら、浮気現場に遭遇した日。


 そして、不倫相手のメアリア子爵令嬢と揉み合った時に転び頭を打ち、前世の記憶を取り戻した日だ。

 

 「クリフトはどうしてる? 一緒に朝食をとりたいわ」

 「坊っちゃまは先程部屋に行きましたが、おりませんでした⋯⋯」

 「何ですって?」


 私は寝巻き姿で部屋を飛び出した。

 私は本当に最低の母親だった。

 

 クリフトが自分の思い通りにならないからと当たり散らしただけでなく、彼をネグレクトしていた。


 「クリフトー! クリフトー!」

 私の誕生日、舞踏会を開催したがクリフトは体調不良という事で欠席させた。


 もちろん、それは彼に発語がない事を周囲に隠すための嘘だ。


 私はてっきりその間、クリフトが部屋でじっとしているのだと思っていた。

(どこかに出かけていたの? 一体、どこにいるの?)


「ルミエラ夫人、どうかしましたか?」


 邸宅を出て自慢のバラ園の横を通りかかった時、なぜだかクリフトとレイフォード王子が剣を交わしていた。


 レイフォード王子は私の1歳下で、小説通りにいけば来年王位を授かり国王になるお方だ。


 小説だとかなりの悪王だったが、そのような悪い方には見えない。


 日差しに照らされるプラチナブロンド髪に、王家の血筋の証であるアクアマリン色の瞳⋯⋯本当に美しい方だ。


 クリフトとレイフォード王子は従兄弟関係に当たるが、剣術の稽古を共にする程仲が良いとは思わなかった。


「あ、あのクリフトを探していて⋯⋯このような不躾な姿で申し訳ございません。レイフォード・レイダード王子殿下に、ルミエラ・モリレードがお目にかかります」

 

 朝方にも関わらず、護衛も付けずに公爵邸を訪れたレイフォード王子。

 彼の目的はクリフトと会うことだとしたら、隠れるように会っているのはなぜだろう。


 2人が仲良しだとは、にわかには信じがたい。

 レイフォード王子はクリフトの剣で3年後には命を落とすはずだ。


「お母上は優しそうな方ではないか。心配を掛けてはいけないよ」


 レイフォード王子はふわっと笑って、クリフトの肩を叩いた。

 瞬間、クリフトから殺気を感じたのは気のせいとは思えない。


「レイフォード王子殿下、良かったらこの後、朝食でもご一緒しませんか?」


「そうだな、そうしよう。そなたと1度話してみたかったのだ」


 レイフォード王子は柔和な表情で剣をおさめてそっと私をエスコートした。


 私はふと新たな生存計画が思い浮かんだ。


 前世で一生言葉を話せない子を育てた経験からか、自分はどのような生命にも愛を注げると思っていた。


 しかし、突然殺しにかかってくる子からは離れた方が懸命だ。


 私はダイニングルームと寝室を間違ったふりをして、夫の不倫現場をレイフォード王子に見せて今日中に離婚することにした。


 死の運命にあるモリレード公爵邸宅から出て行くことさえできれば、私は生き残れるはずだ。

 


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