第3話 濡れた青年、風邪を引く

「……あの、ところでそれ、どうするんですか?」


 徐々に集まっていた人々が去っていく中、シトラは興味本位で青年に問いかける。

 すると青年は困った様子で眉を歪め、自身が赤い妖精からもらった宝石を手のひらの上で広げた。


「これかい? うーん……どうしようかな。あれほどの魔力で生み出された代物だし、何か大きな力が込められていそうだが……」

「もの凄く扱いに困りますよね……」


 シトラは微妙な表情を浮かべ、青年とお互いの顔を見合わせる。

 と、クシュンと青年が大きなくしゃみをした。


「あ、それより早く身体を拭かないといけませんね。このままだと風邪引いちゃいますし」

「そうだね。しかし、こんな格好で帰るのもな……」


 青年は眉を寄せ、水滴の滴る服の袖を顔の前まで持ち上げる。


「ですよね……」

「まあ、どこか適当な場所で服を買って着替えるとするよ」


 そう言って青年は服屋とは正反対の方向に向かって歩き出す。その後ろ姿にはどことなく哀愁が漂い、シトラは慌てて駆け寄って声を掛けた。


「あの、それなら私、服屋に案内しましょうか? ここから、すぐ近くですし」

「……いいのかい? 迷惑でないのなら、ぜひ頼みたいが」

「はい。こういう時は助け合いですからね」


 こうしてシトラは青年に服屋を案内し、そこで買ったタオルで身体を拭いて着替えも終えた青年と、また中央広場に戻ってきた。


「では、私はここで。いちおう、すぐに身体を温めてくださいね」

「……あ、ああ。ありがとう」


 シトラが声を掛けると、なぜか青年は歯切れの悪い言葉を返す。

 怪訝そうに青年の顔を見ると、頬が真っ赤に染まっていた。額には汗もにじみ、立ち姿も少しふらついている。


「……あの、大丈夫ですか? 一人で帰れます?」

「た、たぶん平気だ。キミもそろそろ帰らないと、もう空が暗くなってきたぞ」

「え?」


 シトラが空を見上げると、オレンジ色の夕焼けが広がってはいるが、青年の言うように暗くはなっていない。


「……いや、まだ全然明るいですよ? あなた、視界が暗くなるほど体調が悪化してるんですか?」

「え? そ、そんなはずは……」


 動揺する青年の身体がふらりと揺れ、シトラは急いで青年の肩を支える。


「ほら、やっぱり。私に掴まってください? もう少し先のところに私の家がありますから」

「い、いや、それには及ばない。それに女性の家に男が入るのは──」

「病人が何言ってるんですか。いいから気にせず掴まってください。ゆっくり歩きますよ」


 拒否しようと抵抗する青年を、シトラは容赦なく支えて歩き出す。

 外見だけでは分からない体格のよさや胸板の厚さがあったようで、手のひらから伝わる感触に、シトラは青年とは別の意味で顔を赤く染めていた。

 花売り店カルステアまで戻ると、その頃にはすでに周囲のお店はほとんど店仕舞いを終えてしまったようだ。

 シトラはその光景をみて、ふうと息をつく。


「……パトラおばさんもロイさんも、もうお店を閉めてますね」

「じゃ、じゃあ……本当に……?」

「はい。あなたを私の家に泊めます。……まあ、二、三日もあれば治りますから。教えていただければ、ご実家の方には私から連絡しますよ」


 シトラは青年に優しく笑いかけると、鍵を開けて家に入った。

 ゆっくり二階に上がって自分自身のベッドに青年を寝かせると、そっと布団を身体に掛ける。

 その頃には青年はようやく観念したのか、それとも疲れてしまったのか。何も言わずに大人しく身体を横たえた。


「では、ちょっと待っててくださいね? お水持ってきますから。眠ってしまう前にそれだけは飲んでください」

「……ああ。分かった」


 シトラはすぐに階段を降りて台所に向かい、蛇口をひねってコップに水をそそぐと青年が眠る自身の寝室に入っていく。


「まだ起きてますか? 持ってきましたよ、お水」

「ん……ああ、ありがとう。もらうよ」


 そう言って目を瞑っていた青年が自身の身体を起こそうとして、シトラはそれをさりげなくサポートする。水の入ったコップを青年に渡すと、青年はゆっくりと飲み干していった。


「……大丈夫ですか?」

「まあ、なんとか。しかし、まいったな……。たぶん今頃、知り合いが僕を探し回っているだろうに」

「でも、今動くのは危険ですよ。こんなにすぐ体調を崩すということは、相当に身体が弱っているはずですから」


 と、シトラは青年が無理をしないように釘を刺す。

 青年は神妙な表情で深いため息を吐き、シトラにコップを返しながらコクリと頷いた。


「そうみたいだね。……すまないが、紙とペンはあるかい? 甘えてばかりで申し訳ないのだが、騎士団の知り合いに手紙を届けたいんだ」

「はい。構いませんよ。……えーっと、たしかここに……あ、ありました。こんな紙しかないですけど、大丈夫ですか?」


 シトラがそう言って渡したのは、いつもシスターへの手紙に使っている白い用紙だ。下敷き代わりに小物入れの木箱の蓋も青年に手渡した。


「ああ、充分だとも。すぐに書いてしまうから、暗くなる前に届けて欲しい。……本当にすまないね」

「いえいえ。気にしてませんよ」


 シトラはふふっと笑いながら青年が書いた手紙と木箱の蓋を受け取り、折り畳まれたその紙をチラリと見た。

 そこには、『アルト』と青年の名前らしきものが書かれている。


「アルトさんに渡すんですか?」

「いや、僕の名前がアルトなんだ。渡すのは騎士団の者であれば、誰でも構わないよ。見せればきっと伝わるはずだから」

「分かりました。では、すぐに行ってきますね。……おやすみなさい、アルトさん」


 シトラは青年に小さく手を振り、急いで寝室から出る。

 扉を閉める前にチラリと振り返ると、青年も穏やかに笑って布団の上に置いた手を小さく振っていた。






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