誰も死なない花の戦場 〜花売り少女と幸せの魔法〜
平川 蓮
第1話 花売り店カルステア
ここは、魔法世界サンリーア。
自然豊かな森が広がる、水と緑の惑星だ。
そんな魔法世界で最も大きいリア大陸には、幾度となく隣国に戦争を仕掛けて肥大化してきた機械大国ダルコニアがあった。そして、海を挟んで西側の小さな島には、平和を好むエレース王国があった。
これは、穏やかな暮らしを楽しむ人々が生きるエレース王国の首都、マエナで花売り店を営む一人の少女と、心優しい謎多き青年が出会い、結ばれるまでの恋物語である。
花売りの少女、シトラ・カルステアの朝は早い。
木枠の窓から差し込む朝日に目を覚ますと、瞼をこすりながら身体を起こして、すぐに古い階段を降りて朝食の準備をする。
本日のメニューは、切れ込みの入った丸パンに葉っぱの野菜とコケドリの目玉焼きを挟んだサンドイッチと、温かいミルクだ。
小さな二人掛けの木製テーブルに運び、椅子に座って両手を組み、目を閉じて祈りを捧げる。
「母なる大地に感謝を。よし、じゃあ……あーんっ!」
シトラは思いきりサンドイッチにかぶりつき、もぐもぐと口を動かして唇についた卵の黄身を舌で舐め取る。
それから初めて食事をした子供のように瞳を輝かせ、足をバタバタさせて美味しさを全身で表現した。
「んんーっ! さすが私ですね! 今日も頑張れそうです!」
楽しい朝食が終わるとシトラは洗い物と着替えを済ませて、緑色のエプロンを付けながらキッチンの先にある自身の職場に入っていく。
シトラ自身で作り上げた売り花の道を歩いて、花売り店の出入り口となる木製の扉を開け放った。
「さて、待たせてごめんなさい! 花売り店カルステアの開店です!」
すると、シトラの元気な声に呼応したように、周囲からはお客さんを呼び込む活気に満ちた声が聞こえてくる。
「らっしゃい! 今日の魚は最高だよー!」
「あんた、昨日もそれ言ってなかったかい? ──うちは毎日新鮮な野菜が並んでるよー! 買いにおいでー!」
「お前さんらはまたやってんのかい。こりないねぇ。──おーい! こっちは日用品が揃ってるよ! そこの兄ちゃん! どうだい?」
赤レンガの広い道路を大勢の人々が行き来して、時折立ち止まっては市場を覗く。
あちこちで恰幅のいい女性や体格のいい男性と楽しげな会話が飛び交って、パンや果物などの品物を買いながら、したたかに値段交渉をしているのがシトラの視界に映った。
すぐ隣で野菜売りをしていたパトラおばさんが、ようやくシトラのお店が開店したことに気付いて呆れた様子で言う。
「おや。お寝坊シトラのお目覚めかい?」
その声で周囲で品物を見ていた人々が笑い出し、魚屋のロイも揶揄ってくる。
「今日はまたずいぶんと遅い朝だな! これで何日目だ?」
「うぐっ……」
シトラはバツが悪そうに顔を背けて、「い、一週間ぐらい……?」と首を傾げた。
「一週間っ⁉︎ そりゃあ、最高記録じゃねーかよ! 相変わらず朝が弱えーな!」
「まだ違いますよ! ていうか、しょうがないでしょう! いっつも起きたら寝坊してるんですから!」
やれやれ、と肩をすくめるロイ。
パトラおばさんも額に手を当てて、深いため息をついた。
「まったく……あんたね。そんなんじゃ、そのうちお客さんが来なくなるよ?」
「そ、それは……いやでも、この街じゃお花を買えるのって私のお店だけですし」
と、シトラはあっちこっちに視線を動かしながら自慢混じりの言い訳を重ねる。
「まあ、たしかにこの街は潮風で花なんか育たないけどね」
「でしょう? 私の『あらゆる場所で好きな花を咲かせられる魔法』があれば、お店が潰れるなんてあり得ませんから!」
そう言って胸を張るシトラを見て、パトラおばさんは頭を抱えてしまった。
「というか、パトラおばさんだって『好きな野菜を作れる魔法』で野菜売りやってますし、それは分かってるでしょう?」
「だからって寝坊していいわけないだろう。なのに、あんたって子は……」
「えへへ……」
照れたように頬をかくシトラに、パトラおばさんは諦めたように二度目のため息をついた。
この魔法世界サンリーアでは、誰でも十五歳になると教会で祈りを捧げて、女神様にたった一つだけ、自分だけの魔法を授かることができる。
それで将来が決まるわけではないが、生活に便利な魔法が多いため、大半の者がその魔法を利用して生計を立てていく。
そして、それはシトラも例外ではない。
流行り病で幼い頃に両親を亡くし、教会に預けられて育ったシトラは、少しでも育て親のシスターに恩を返そうとエレース王国や周囲の援助を受けて、二、三年前に花売り店カルステアを開業したのだ。
そうして団欒をするうち、シトラの元に常連客である老人ジルがやってきた。
「やあ、シトラちゃん。カーネーションの花を三本もらえるかい?」
「あ、はーい! では、二シルバーを頂戴しますね!」
シトラが元気よく言うと、ジルは不思議そうに眉を上げる。
「おや? 一本一シルバーじゃなかったかい?」
「いいんですよ! ジルさんはお得意様ですから!」
「あんた、またそんなこと言って。どうせ寝坊でお客さんが離れないか、心配なんだろう? シトラ」
パトラおばさんが呆れながら言い当てて、シトラはうぐっと顔をしかめた。それを聞いたジルは、ポケットから銀貨を取り出しながら苦笑する。
「まあまあ、子供は寝るのも仕事だよ」
「ジルさーん!」
シトラはパトラおばさんをなだめてくれたジルに抱きついて、そんなシトラの頭をジルが穏やかな表情で撫でている。
「まったく。ジルさん、あんまり甘やかすとシトラのためにならないよ?」
「きっと大丈夫さ。ちゃんとシトラちゃんも自分の悪いところは自覚してるだろうから」
「だといいけどねえ」
パトラおばさんは困った様子で頬に手を当てる。
「ところで、ジルさん。今月も奥さんにあげるんですか?」
「ああ。さすがに毎月は渡せないけど、いつものお礼にと思ってね。シトラちゃんのお花は綺麗で長持ちするから助かるよ」
ジルが口元にシワを作って朗らかに笑い、シトラはその言葉を聞いて得意げに胸を張った。
「ふっふっふ。そこは一番のこだわりですからね! まあ、もっと私に魔力があれば、夜に光る花とかも作ってみたいですけど……」
と、シトラは不満に唇を尖らせる。
本当は他にも薬効のある花やシトラのオリジナルの花など、作ってみたい花はたくさんあるのだ。
とはいえ──
「そりゃあ、貴族でもなきゃ難しいだろうね。あの方々はこの国を守るために、魔力の多い者と結婚する決まりだから」
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