智也【九】
「──お前、正気か? あいつは俺たちに愛想を尽かしただけじゃない。平気で初対面のおっさんと遊び回るような女なんだぞ」
そうじゃないって! あーちゃんがどんな失敗をしたかなんて、今は関係ない! それよりも目の前にいる敵、僕を殴り返せ!
「勇ちゃんも、あーちゃんを女性だって認めてるんだね」
「そういう問題じゃねえ。あんな女のどこがいい?」
「どこが? 愛嬌があって、一緒にいると元気をもらえるところかな。それに何より、あーちゃんは僕たちの大事な幼馴染だよ。放っておけない」
勇ちゃんの肩が一瞬だけびくりと動いて、僕は思わず身を固くした。本当に殴られると思ったからだ。しかし勇ちゃんは勇ましく拳を握るどころか、どこまでも偽物の平和主義を押し通そうとする。
「お前まさか、あいつとやりたいだけなんじゃ……」
馬鹿じゃないの? そんなの当たり前だって。もちろんそれだけじゃないけど、好きな子に触れたいと思わない男なんているの? もしいるなら、僕よりそっちのほうがずっと不健全だよね? そんなことを言うんだったら勇ちゃんはどうなのさ。
「違う、僕は本気だよ。それを言うなら勇ちゃんこそ、中学のとき、海から上がったあーちゃんの身体をジロジロと……」
「うるせえ! お前、やりたすぎてマジでイカレたのか? 取りあえず落ち着け。あんなやつでサカってないで、あっち行って抜いてこい」
もうやめてよ。僕たち命懸けで、溺れたあーちゃんを助けたよね。あのときの勇ちゃんは本当にカッコ良かったよ。真っ先に服を脱いで海に飛び込んで、パニックになったあーちゃんに暗い沖でしがみつかれても、少しも取り乱さず最初から最後まで冷静だった。早くあのときの勇ちゃんに戻ってくれないと、僕だってこれ以上手加減は……。
「勇ちゃんだって、さっきからずっと変だよ。どうしてそんなにムキになるの? 僕が誰を好きになろうと勝手だし、あーちゃんのこと嫌いならほっとけばいいじゃん。それともまさか、僕に取られるのが怖い?」
いきなり勇ちゃんの腕が伸びてきて、僕の襟を勢いよく摑んだ。一瞬、息ができなくなって怯んでしまったが、ここまできてだらしない顔を見せるわけにはいかない。
「寝言は寝て言えって。あんなやつ、頼まれたって願い下げだ」
言ったな? あとで吠え面かくなよ。本当は張り倒してでも僕を止めたいくせに!
「トモ、お前どうしたんだよ。本当にあいつでいいのか? たとえうまくいったとしても、あいつはまたお前を置いてどこかへ行っちまうかもしれないんだぞ。あいつは──、亜美はそういうやつだったんだよ。俺たちが好きだった亜美はもういない」
うるさい! 誰があーちゃんをそんな風にしたと思ってる? あーちゃんを繋ぎ止めておけなかったのは、僕と勇ちゃんのせいだろ? 夜の海は危ないって知っていながら、沖に行かせちゃったのは僕らのせいだろ!
「そんなことにはならない。僕は、勇ちゃんとは違う」
「俺とは? ふざけんなよ!」
怒鳴り声と共に突き飛ばされ、情けないことに僕は砂の上へ仰向けに倒れた。ふざけてなんかいない。僕は今、この上なく真剣に僕たちの未来を考えている。勇ちゃんなんかよりずっとずっと、正気で冷静だ。
後悔のない未来。この夜のため心に刻んだ覚悟を思い出すと、身体が勝手に動いた。勢いをつけた上半身が、勇ちゃんの鍛え抜かれた腹筋目がけて吸い込まれていく。信じられないことに、僕の渾身の体当たりはあの勇ちゃんをよろめかせ、遂には尻餅をつかせた。
「あーちゃんは絶対に渡さない!」
勢いのまま勇ちゃんの腹に馬乗りになると、火山の噴火を思わせる怒声が目の前で噴き上がった。
「俺がトモなんかに負けるわけねえだろ!」
勇ちゃんの噴火は、声だけではなかった。僕はもの凄い力で腕を摑まれ、あっという間に砂の上に引き倒された。気がつくと天を見上げていて、僕の腹の上には勇ちゃんがずしりと乗っかっている。
とうとう殴られる。そう直感した矢先、あまりの眩しさに両腕で顔を覆った。殴られて意識が飛んだわけではない。特大の尺玉が、僕の見上げる夜空の先で大爆発を起こしたのだ。
恐る恐る腕を退けると、勇ちゃんが見たこともないような形相で僕を見下ろしていた。引き絞った右拳は、まだ肩の側で止まっている。
「あんたたち、何やってんのよ!」
どこからか懐かしい声がして、僕と勇ちゃんは強烈な磁力に引きつけられたかのように声の方へ目を向けた。松林の暗がりから、見慣れた格好のあーちゃんが裸足で駆けて来る。学校の制服姿でも、背伸びした大人っぽい服装でもない。僕らと馬鹿騒ぎするときの動きやすいショートパンツに、手に持っているのは中学の頃も履いていたパステルカラーのスポーツサンダル──。
どうも様子がおかしい。あーちゃん、泣いてるの? 僕はちゃんと約束を守ったよ。勇ちゃんを誘って、望み通りこうして三人で集まることができたよね。それなのに、何か気に入らないことでもあった?
勇ちゃんとの会話を聞いていたなら、びっくりさせちゃった場面もあったかもしれないね。それらは決して、あーちゃんを泣かせるつもりで言ったわけじゃないから。でもね、これで終わりじゃないんだ。僕は、あーちゃんや勇ちゃんが思っているほどお人好しじゃないからね。
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