聖樹(仮)ですが大魔法使い(予定)と一緒に卒業試験受けることになった

あさぎ那知

第1話 天花舞う世界で見たものは①

―何でこんなことになったんだろう。


 凍てつく森の中を少女が駆ける。静まり返る世界で、少女の荒い息づかいがいやに目立つ。深々と降る雪が視界を奪い、白く広がる世界が方向感覚さえも奪っていく。


「はぁはぁ…っ!誰かっ…!」


−「どうしてこんなことに…」

−「全てうまくいっていたのに!」

−「お前さえ現れなければ!」


−どうして、どうして。

−私、悪いことしたのかな。

−何も分からないの。


−「消えてくれるね、リーリエ。」


−嫌!死にたくない!


 風切り音とともに、少女の若葉色の髪の毛が一房宙に舞う。それでも少女は足を止めない。足をもたれさせながらも、必死で前に進む。今止まってしまったら、数秒もかからずに腹を空かせた魔獣の餌食になるだろう。


−もう足が動かない。ここまでなのかな。


「あっ!」


 段差に気づかずに足を踏み外してしまった少女は小さく声を上げ、襲ってくるであろう痛みに備えて固く目を瞑った。次の瞬間、大地を揺らす程の轟音と肌を焦がす程の熱、少し遅れて耳をつんざく獣の断末魔が響き渡った。


「お前、こんなところで何してんの。」


 意識を失う間際にリーリエが見たものは、温かい春の陽射しを思わせる淡い金色の髪と暁光を閉じ込めた美しい瞳だった。



 温かい木洩れ陽の下、その日も教会には巡礼者が絶えない。壮厳な石造りの大聖堂の塔は目がくらむ程の高さを誇り、中央のバラ窓以外にもステンドグラスをふんだんに取り入れているため、堂内には色彩豊かな光が降り注ぎ、神秘的な雰囲気が満ちている。大聖堂から続く回廊は、建国伝説にまつわる聖遺物を納めた小聖堂や図書館を繋いでおり、熱心な信者達の姿が多く見られた。


 大聖堂の裏手には香りのよいハーブや薬草が生えた小道があり、そこを進むと迷路庭園へとたどり着く。迷路を抜けた先には教会が管理する果樹園が広がっており、その日は奉仕者達が葡萄の収穫をしていた。


 巡礼者が見当たらないのをいいことに、草の上に寝そべる少女の姿がある。その傍らには法衣を着た女性がおり、少女の艷やかな髪をといていた。


「天気がいいなあ。風も気持ちがいいし、街を散歩したりお買物に行きたくなるような日だね。歩きながらいろいろなお店を見て、それから…」


 そこで空想に耽るのをやめ、少女は起き上がって頭上を覆う巨木を見上げた。いつ見ても葉が茂る枝には小さな蕾がつきはじめている。


「ね、聞いてる?」

「聞いてるわ。リーリエは本当に教会の外が気になるのね。」

「もちろん!だってここよりも人が沢山いて、賑やかで楽しいんでしょ?」

「賑やかには違いないけれど、私はここが好きよ。快適で。それに、外は今冬のはずだから、こんな風に日向ぼっこなんて無理ね。」

「冬…」


 二人がいるのは迷路庭園の中央、教会が聖なる樹として祀っている大木がある聖域だ。教会全体に神官達が結界術を施しているため、結界内は常に過ごしやすい気候が保たれていた。リーリエは空を見上げてみたが、そこに冬の気配はまるでない。


「ね、カメリアは街から来たんだよね。いつか私のこと、遊びに連れ出してくれる?」


 リーリエは控え目に法衣の袖を引いてそう言った。カメリアと呼ばれた法衣姿の女性は返事をすることなく、子どもにするようにリーリエの頭を撫でた。


「あっ、違うの!そんなこと無理なのは知ってるし、言ってみただけで…」


 カメリアが答えないことを否と捉えたのか、リーリエは弁明しようとするが、その蜂蜜色の瞳はうっすら涙ぐんでいる。


「リーリエ」

「ごめんね、カメリアを困らせたい訳じゃないのに…」

「リーリエ、確かに難しいし、もしかしたらそんな日はこないかもしれないけれど、でも、あなたの教育係としては、本当は外の世界も見せてあげたいのよ。」


 その言葉を聴いたリーリエは、起き上がってカメリアの顔を覗き込む。


「…っ!ほんと?」

「もちろん。課外授業ってやつね。」

「いつか行こうね!」


 そう言って二人は笑いあった。きっとそんな日がくることはなくても、他愛もない話をするだけで幸せだったのだ。



―あぁ、いつかのカメリアのあの言葉、楽しみにしてたのにな。それからどうなったんだっけ?…あれ、そもそも私どうなったんだっけ?


 そこでリーリエの意識が覚醒する。ひとまず魔獣の餌食にならなかったことに胸を撫で下ろしてから、自分の置かれた状況を把握しようと辺りを見回した。


―取りあえず生きてるみたい。ここはどこなんだろう…。


 彼女がいるベッドの側には大きな格子窓があるが、そこから見えるのは曇天の空だけだった。深い赤を基調にまとめられた室内はベッドの他には猫脚のチェアセットと硝子製のテーブルくらいしか家具がない。暖炉の火は煌煌と燃えており、部屋の中は充分暖かかった。


―誰かが運んでくれたんだよね…。あれ、私、気を失う前に誰かに助けてもらったよね。ここに連れてきてくれたのもその人なのかな、まだお礼言えてない…


 リーリエが森での出来事を思い出そうとしていると、控え目なノックの音とともに一人の少女が入室する。その手にはトレーを持っている。


「あら、目が覚めた?ちょうど温かいタオルとホットミルクを持ってきたところなの。あなたがここに運ばれてきたとき、冷たすぎて氷像かと思っちゃったわ!」


 彼女は「人を呼んで来るわね。」と足早に去ってしまったため、リーリエはまた部屋に一人になったしまった。先程の女性が持ってきたタオルを手に取り、その温かさに触れてほっと息を吐いた時、リーリエは自分がずいぶん緊張していたことに気付いた。


―考えなくちゃ。私がこれからすべきことを。


 二度目のノックで部屋に入ってきたのは、高年ながらもしゃんとした佇まいの男性と、リーリエが森で出会った青年だった。


「こんにちは、お嬢さん。そのままで結構。私はオルキデア・ローウッド。ここで応用魔法学の教鞭をとっている。」


「助けていただきありがとうございました。私はリーリエと申します。…教鞭ということは、ここは学校なのですか?」

「いかにも。ここは魔法士官学校グリットリア学園である。それから、君をここまで運んだのは我が校の生徒のアルフレドだ。」

「魔法…」


 アルフレドと呼ばれた青年は、入室してからずっと所在なげな様子で壁に背を預けて腕を組んでいた。リーリエはベッドを出ると、彼の方を向いた。


「アルフレドさん、危ないところを本当にありがとうございました。」


 リーリエは深くお辞儀をして感謝の意を伝えた。


「どーいたしまして。別にお前を助けようと思ってしたことじゃない。俺の討伐実習があのエリアだっただけ。」

「それでも、私はあなたのおかげで今も生きているんです。だから、ありがとうございます!」


 リーリエはアルフレドに重ねて礼を伝えるが、彼が次に発した言葉に耳を疑う事になる。


「はいはい。ていうか、あんなペラッペラの服で雪山行くとか馬鹿かよ。そもそも弱いやつが魔獣生存区域に入ってんじゃねぇよ面倒だろ。」

「え、」

「…馬鹿者はお前だ!言葉遣い!態度!レディを萎縮させるようなことをするでない!」

「痛っ!」

「そもそも、お前が拾ってきたんだから、きちんと面倒を見るべきだろう!」


 アルフレドの言葉にリーリエが固まっている間に、ローウッドが彼の言動を咎め、なんなら鉄拳制裁も行った。しかし、リーリエは自分の命の恩人から、会って早々に馬鹿呼ばわりされた−しかも、彼女が聖堂内の彫刻の様だと思うくらい美しい見た目からは想像できないそのガラの悪さに、すっかり動揺してしまった。そのため、ローウッドにもまるで犬猫のような言われようをしていることまでは全く頭に入ってこなかったのだ。

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