ドールハウスの家族

湾多珠巳

A Family in a Doll House 1


 仕事から帰ってアパートの扉を引き開けると、ドア備え付けのポストに何かが入ってるのに気づいた。封筒が一通。手に取るとごろっとした感触がある。何か筒のようなもの。鉛筆よりも太めの何かに便箋を添えたような感触だ。

 宛名を見ると父だった。別に誰の視線を意識したわけではないけれど、努めて表情を消して部屋に入り、ヒールを蹴とばすように脱ぎ捨てて、キッチンテーブルの上に中身を空けてみる。

 かつんかつんと硬い音を立てて、木でできた何かが二つ、クロスの上に転がった。ひと目見て固まってしまった。人形だ。ドールハウス用の、木の人形。ただし、頭と胴体が切り離されている状態の。

 私はそのドールをよく知っている。もともとは小さなおうちと家族の人形とのセットだった。現物は今も書きもの机の横に飾ってある。ミニチュアの家族たちも昔のままの姿だ。

 ずっと大事にしてきたものだけれども、元々私のものではなかった。姉の形見なのだ。今は亡き姉が、誕生日に母に買ってもらったとかで、その昔、自慢げに部屋に飾ってあったもの。本人の言い置きもあって、セットごと私がもらい受けることになった。私が中二の秋の話だ。

 けれど、自室に安置したそのすぐあとに、父親役のドールだけ姿を消した。唐突な消え方で、不注意による紛失などではありえなかった。探しても見つからず、父も母も知らないという。

 それが今になって? 封筒には短い手紙が添えてあり、母の遺品を整理していたら、鏡台の引き出しから出てきたという旨がしたためられていた。ほんとうにそれだけの、最低限の連絡だった。

 つまり、母がずっと隠していたということ? なら、その昔に私の部屋から父親ドールを持ち出したのも母? だったら、このドールの、首が引きちぎられたような姿は――

 控えめなノックの音が聞こえてきて、私は物思いから醒めた。秋の夕日はとっくに落ちていて、部屋の中は電灯もつけないまま。街灯やなんやの薄明かりだけで、長らくぼんやり座り込んでいたらしい。

「……チアキ?」

 ドア越しに私の名を呼ぶ声がして、一度は止まったノックが、今度はいくらかせっかちなテンポで再開された。誰かはわかってる。そのせいもあって、あえて急がずにのろのろと立ち上がると、急激に切迫度が上がって、ほとんど半狂乱みたいな感じでドスンドスン扉が鳴りだした。

「ちょ、な、何ごと!?」

 慌てて開けてみると、怖いぐらい深刻な表情のミノリが無言で立ちすくんでいて、私の驚いた顔を見るや否や、無言でひしっと抱きついてきた。

「え、どうしたの? 何かあったっ?」

 そう尋ねても、ちょっと恨みがましくひとにらみするだけで、すぐいやいやをするように首を振りながら私の黒コートに顔を擦り付けてくる。その時になって、まだ上着も脱がないままでいた自分の姿に気づく。それはともかく、そんなにべったりされたらファンデが付くんだけど。

「ほら、大丈夫だから。入って落ち着こ。ね?」

 そう言ってとりあえずミノリを中に引き入れる。本人は浅く頷くと、なおも私に密着しながら、よろよろと扉をくぐった。ドアを閉めてチェーンをかけても、土間に立ちつくして、しばらくしがみついたまま。二人それぞれの、微妙にノートの違うオードパルファンが、安アパートの冷気の中でつかの間睦み合うように交叉した。

 どうも、私が在室しているのは間違いないのに、すぐに返事をしなかったもんだから、急に心配になって何かのスイッチが入ったようだ。

 ミノリは部屋に落ち着いた後でも何も話さなかったし、私もそれ以上説明を求めたりはしなかった。私たちはまだそれほど長くない。とある共通の友人がいて、ちょっと前までミノリはその人とパートナー関係だったのだけど、相手の事情により――ありていにいえば、その人がミノリを振った形で――関係解消して今は私とくっついている、という間柄だ。

 確かその人もここと似たようなボロアパート住まいだったように思うけれど……いや、そういえばあの人、会うたびに手首に包帯とか巻いていたような気が……まさかこの子と暮らしている時に、自殺騒ぎでもやらかしたんだろうか? そういうキャラだったっけ?

 あれこれ想像しながら、保護者役の気分でミノリをキッチンテーブルへ座らせたもんだから、そこにマズいものがあるのをすっかり失念していた。

「……これ」

 急に関心がそちらへ向いたような声で、ミノリがドールの惨殺死体を指さした。私の顔は、あからさまに「しまった」という表情であったかもしれない。ミノリはじっと私の目をのぞき込んで、言葉を待っている。

 日ごろから極端に無口で、それほど内面に踏み込んでくるような行動は取らない性格なのに、この場はあえて踏み込むべき問題だと、一瞬で見抜いたようだ。それどころか、この首斬りドールに潜んでいる年季の入った闇の存在まで、それとなく見透かしているような趣さえある。

 とは言え、今この場で言葉だけで説明しても、ミノリにはことの次第をうまくわかってもらえそうな気がしないのも確かだった。

「ミノリ」

 だいぶん沈黙が続いてから、私はようやく心を決めた。

「次の日曜日、空いてる? 一緒に来てほしいところがあるの」

 ミノリが大きく目を見開いた。

「楽しいデートにはならないかもしれないけど……ミノリにはきちんとしておきたいから」

 本心で言ったつもりだった。〝何となく〟つきあい始めて半年ほど、そろそろお互い見せるものを見せ、知るべきことを知る時期だとも思っていた。

「じゃ、九時に駅のロータリーでね」

 だから、ミノリが少しだけ口元をほころばせたのを、私は了解のサインと取った。そしてそれは、あながち浅はかな判断というわけではなかったはずなのだ。



 そんなわけで、日曜日、駅東口のロータリーの端で、私が愛車のデミオの運転席から手を振ってやった時、ミノリは瞬時に動きを止めて表情を消し、それはそれは長い間、じーっとこちらに視線を当て続けてくれたものだった。

 私がすっぴんだったからだ。

 私たちの世界で「すっぴん」とは、つまり女性らしいメイクも服装もなしで、傍目にも普通の男とわかるよう、身なりを整える――というか、〝装いへの気合をゼロにすること〟を意味する。

 ミノリは割とはっきりフェミニンなファッションだった。黒字に小花柄のロングワンピースと、白いカーディガンを合わせた服装は華やかとはいえないにしろ、こげ茶のたっぷりしたリボンをあしらった麦わらカンカン帽にラメ入りのショルダーとか、この子にしちゃかなり気合入れた方じゃないだろうか。

 何をどう解釈したのかはともかく、今日のこれを〝用事っぽいデート外出〟だと思っていたのは間違いなかった。はっきり言うが、私は〝デートっぽい用事外出〟だと思っていた。

 正直、その場で「私もメイク落として来る」とか言い出されずに済んでよかった思う。今日の〝用事〟には、ミノリは女装姿でいてくれた方が都合がいいからだ。

 とはいえ、助手席に乗り込んでからのミノリは、かなりの時間むくれたように黙り込んでいた。黙っているのはいつものことだけれども、今日のこれはトゲがある。念波で触手を形成してねちねちとこちらをつつきまわしているのが、皮膚感覚でわかるのだ。

「悪かったってば」

 十五分ほど走らせてから、そろそろ頃合いかなという空気が見えたところで、私は口を開いた。

「そこまで期待してたとか思ってなかったし。っていうか、どういう外出と思ってたわけ?」

「……別に。でもデートって……」

「『楽しいデートにはならないかも知れないけど』って言ったじゃない」

「『ならないかも知れないけど』……精いっぱい努力して……きっと楽しくしてくれるって……」

「……ああ、そういう解釈か……」

 つまり反語表現と受け止めたわけだ。

 それほどロマンチストにも見えないのに、ミノリは時々妙に甘々なところがある。そこが可愛いと言えば可愛いんだけど、ツボが読みづらくて難儀することもしばしばだ。

 軽く咳払いして、マジメに話す顔になる。いくらか残念な気持ちもあるものの、ゆっくりじゃれ合っている余裕はないのだ。

「実はこれから私の実家に行くんだけど」

 そう言って傍らを見やると、思いの他ミノリは平静な顔。そのへんまでは読んでいたということだろうか。だったら、と思いかけて、私はすぐに考え直した。

 共通の性的嗜好で結ばれた同性パートナーだからと言って、家庭環境や半生まで似通っているとは限らない。女装者でビアンだからと言って、その人が幼年期に無理解な家族との軋轢を経験したとは限らないし、成人後もなお、実家帰りをデート気分で楽しむ心境になれなくて当然、などと決めつけられるものではないだろう。私は今年三十三、ミノリは二十九。四歳も違えば、今日びの世の中、家庭ごと価値観に断絶があってもおかしくはないのだし。

「その、うちはもう父親しかいないの。母親は二年前に病気で。あと、子供の頃には三つ違いの姉がいたんだけど……高校生の時に死んでて」

「うん」

 知ってた、というような顔だったんで、さすがに私は訊き返した。

「え、それ、誰かから聞いた? あ、ユリーさんが話したとか?」

「えっ!? いや、そんなわけじゃ……」

 慌てて口ごもるミノリの様子は、素の反応とも演技とも受け取れた。私は一人勝手に、共通の女装仲間でミノリの元カレ……というか、元カノというかに毒づいた。

「もー、ユリーさん、『お前らのつき合いには一切口出ししねーから』とか言っといて……あれ、でも私、ユリーさんに姉ちゃんのこと話したっけ?」

「えと、チアキ……そうじゃなくて、あの……多分、チアキのって、女のきょうだいがいたんだろうなって」

「私が女装始めた理由ってこと? ああ……そんなふうにも見えるのかな?」

 ちらりとミノリを見る。やはり言い訳っぽいというか、ユリーさんをかばいだてしてるようにも見えなくはないけれども、ミノリが純粋に直感だけで、私に姉がいたことを感じ取っていたという話も確かにあり得そうだった。

「まあいいか。うん、そうだよ。私はねえ、姉ちゃんのおもちゃだったの。物心ついた時から。小学校上がるまで、女物の服着てる時間の方が長かったんじゃないかな」

 隣でミノリがこくこくと頷いている。自分もそうだった、という意味があったのかどうかはともかく、何よりも共感の印のつもりだったことは明らかだ。つまり、「それはまた幸せな時間を過ごしたんだねー」という。

 そう、あの頃は幸せだった。

 女の子の姿をすること、女の子として扱われること、そんな他愛のないことが無条件で楽しかった。なぜかは知らない。別に幼少からマッチョイズムを強要されたわけでもないし、男児向けの遊びや行動規範にうんざりしていたわけでもない……と思う。思春期以降ははっきりと「男向け」のものに違和感を感じるようになったのだけれど、それはこんな幼年時代を送っていたからだとも言えるし、結局は何もかも姉があってこその私、とも考えられるわけで。

 でも、そのことは今はいい。今日の問題はそこじゃないのだ。

「ま、実家寄った後ででもまた詳しく話すけどさ……その話は置いといて、これから見ててほしいことってのが……ええと、この前テーブルにあったドール、覚えてる? 首がちぎれてたやつ」

「うん」

「あのドール、姉ちゃんのだったんだよね。で――」

 それから私は、手短に首斬りドールを巡る経緯を説明した。意図的に色んなところを伏せたままではあったけれども。

「別に、誰が私の部屋からドールを持ち出したのかとか、首斬ったのはわざとなのか手違いだったのかとか、どうでもいいっちゃどうでもいいんだわ。ただ……今頃になって、ていうのがね。というか、親父がそんなことをわざわざ知らせてきたっていうのがさ、ちょっと――」

 言葉が袋小路に入ったのを感じて、私は口を閉じた。これ以上を語ろうとすると、あることに触れざるを得ないからだ。姉の死んだ理由と、それにまつわるあれやこれやを。

 その時、ほとんど返事らしい返事もせずに聞き続けていたミノリが、何の前置きもなしに言った。

「呪い、とか思ってる?」

「えっ?」

「今になってドールが出てきた理由。お姉さんの呪いが、今になって発現したせいかもとか、そんな風に思ってる?」

 私は絶句した。急に話が禍々しい方向へ飛んだこともさることながら、なぜミノリがそんな可能性に言及できるのか、にわかには信じがたかったからだ。

 姉が恨みを残して死んだ、なんて、ここまでの話で私は触れてない。

 父と姉が不和だったことも匂わせてないし、何より姉の死がそんなにも強烈な感情を積み残すような死に方だったことすら、ひとことも――いや、ものの弾みで言ったみただけなんだろうか? たまたまオカルトっぽく話を持って行ったというだけの? 確かにこの〝首斬りドール事件〟は、第三者がぱっと見たら、呪いだの怨霊だののキーワードを引っ張り出してきてもおかしくはないけれど。

 でも、そうじゃないとしたら?

 いやでも考え込んでしまう。ミノリは……何を言おうとしてるんだろう? それとも、姉の何かを知ってたりする? 彼女は生まれも育ちもこことは関係ないはず、なんだけど――

 どう返すべきか迷っているうちに、あっさり目的地についてしまい、その話はそのままうやむやになった。

 私にとっては、「呪い」発言の真相なんかよりも、その場所でこれからなすべきことの方がよっぽど重要なイベントだったのだ。

 父との対決、である。



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