第17話 大蜘蛛の本性
月守 翼。ヒメよりも2歳年下の、異母弟だ。霊力はそこそこ高いが、ヒメほどじゃない。
ちょっと前までは月守家の跡取りとして特別扱いだったが、おじいちゃんが去った後のあの家は落ちぶれて、今はアパート暮らしだという。
「お前のせいで……っ!お前のせいでぼくたち家族がどんな目に遭ったか!」
翼は私に対し、並々ならぬ憎しみの籠った目を向ける。
「どうして、翼」
「お前みたいな女に名前を呼ばれる筋合いはない!お前のせいで、ウチが没落寸前でっ!狭いアパートで暮らす羽目になって!お姉さまも壊れてっ!」
「えっ、と。ヒメが?」
しかし、桜菜さんにまでひどいことを言ったあのこを、庇う理由もないのだが。
「お前は、その大蜘蛛と組んでぼくたちを破滅させようとしているんだ!」
「そんなこと……っ」
「お前らを、悪しき妖怪として断罪してやる!」
意気揚々と指を指してくる翼にどうしようか悩んでいると、しずれが私たちの間に入り、ニカッと笑う。
「どうやって?蜘蛛を……?勝手に悪者にされては困る。お前たちもせっかくのチャンスを愚かにもふいにするとは」
そのしずれの言葉に、翼は訳が分からないと言う表情を浮かべる。
「霊力の強い家と言うものは、妖怪に花嫁として迎えられたり、妖怪の恩恵を得られたりと利点が多い。だが同時に、妖怪に怨まれている家も多い。昔はその霊力を使い、妖怪と対立していた家もある」
それは確かに、あり得るよね。
「その子孫が妖怪から見捨てられたのなら……。鬼から、家や土地の守護を担う蜘蛛や、神がかった蛇からも見捨てられたのなら……。既に妖怪に対抗する術を失い、その美味い汁だけを啜って弱体化した人間たちは人間を恨みに持つはぐれ妖怪たちや、人間と手を組みながら影ながら狙っている妖怪たちから狙われる。それでも鬼の花嫁を抱えているうちだけは守られる……だが」
それをみすみす手放したのは、完全にヒメの自業自得から。そしてヒメと共によってたかって私を虐めてきた翼を庇う理由などない。
「あの小娘はなかなか残念な女だ。そして鬼の長の特別サービスで、例の鬼に引き合わされたはずだ。そのせいで今から絶望して壊れたとしても、小娘自身の落ち度だ」
その例の鬼とは、あのヒメでも壊れるほどだなんて。通りで今まで会いにもこなかったはずである。
「先が思いやられるな。ま、鬼の長の花嫁に手を出した以上その縁談はもう断ることはできない。どうあっても、あの小娘は嫁がされる」
本来花嫁に与えられるはずだった権利を自ら手放したのは、ヒメ自身に他ならないから……。
そしてしずれが翼に向き直り、冷たい目で言い放つ。
「ふゆはのせいにするな。全てはお前たちが招いたこと。大蜘蛛を化け物とするのなら勝手にせよ。訴え出たいのなら好きにすればいい。だが、ふゆはには二度と近づくな」
しずれが翼を威嚇するように睨めば、翼がびくびくっと震える。
「この程度でも委縮するとは。人間は元々脆弱な生き物だとは言え……随分と弱くなったな」
そう語るしずれの口調は、どこか悲しそうであった。それは蜘蛛たちが、人間に近いところで暮らしてきたからゆえに、情をかけてくれていたからだろうか。
「鬼に、大妖怪たちに媚びへつらいそれに対抗すべき技も失っていき、その庇護下に入った。それもこれも、ある意味鬼の目論見通りと言うことだ。ま、俺はふゆはと過ごせればそれでいい。同胞たちや眷属たちも平穏に過ごしていけるのならば、別に鬼の目論見などどうだっていい」
「この、悪鬼め!」
「俺が?確かに鬼と名付けたのは人間だが……しかし鬼に比べりゃ、随分とお手柔らかに相手してやってると思うがな」
「うるさいうるさいうるさい!お前らの悪事を、ほかの家にも訴えてやるからな!?」
「訴えたとしても力を失い、鬼の長や大蜘蛛の長、蛇爺の機嫌まで損ねたお前らに目を向ける家などいない。妖怪もまた、鬼の長を敵に回した者たちに手を貸さない。むしろ……だからこそはぐれ妖怪たちに狙われることにもなる」
そして彼らに、そのはぐれ妖怪たちをどうこうできる力はない。どちらにせよ、彼らはもう手詰まりなのだ。
「あの、しずれ」
「それがこやつらの招いた業だ。反省しない者に関わっていても意味はない」
そう言ってしずれが私の腰に腕を回し、踵を返すようにくるりと身体を回転させられる。
「さ、帰ろうか」
ぶわさっと蜘蛛の脚を広げ、威嚇するように圧を放ちながら、たゆらさんとともに隠れ帯に分け入った。
翼は追ってこなかった。叫びもしない。それが大蜘蛛の力……と言うことなのだろうか。
そしておでかけから帰宅して結果を聞きに押し寄せてきお姐さんたちに無事強奪された私に対し、しずれが少々沈んでいるところである。
それでも、本日の戦利品の糸や布を見せたり、お土産のクッキーをお姐さんたちやちび蜘蛛ちゃんたちに配ってあげれば、とても喜んでくれた。もちろんおじいちゃんにもクッキーをお裾分けすれば、優しく頭を撫でてくれた。
因みにたゆらちゃんもちび蜘蛛の姿に戻りしれっと混じっていた。ねこさんは大きな姿だけなのか、そっと隣にいたのでお裾分け。
しずれとのおでかけも楽しかったし……最後にあんなことがあっても、みんなの喜ぶ姿を見たら、全て吹き飛んでしまった。
――――そうして、数日後。私は遂に仕上げたあるものを持ち、しずれの書斎を訪れた。
「あの、これを……」
勇気を振り絞り、ハンカチを差し出した。
「お姐さんたちに教えてもらって、刺繍……したの!」
「あぁ……もしや、あの時かった糸で?」
しずれも気付いてくれたみたいだ。
見ればその水色のハンカチには、あの光の当たり加減によって色合いが変わる不思議な糸で蜘蛛の刺繍がされている。
「その、しずれの蜘蛛の姿は見たことがないので、似ているって言うオオオニグモの、さゆちゃんに本性に戻ってもらって、モデルになってもらったの」
「あぁ、そうだな。大きさが違うだけで俺の本性はオオオニグモそのものだ」
そう。違うのは、色だけだとお姐さんたちも言っていた。
「お姐さんたちに比べたら、まだまだだけど」
「いや、嬉しい。とても良くできている」
「……っ!」
そう答えてくれるしずれの微笑が美しすぎて、息を飲む。
「大切にしよう」
「うん」
喜んでもらえて……嬉しい。
「……そう言えば、ふゆははまだ俺の本性を見たことがなかったな」
「……うん」
「……見たいか?」
不意の誘いの答えは、もちろん決まっている。
「……うん、見たい」
刺繍を施しながらも、真っ白な大蜘蛛は、実際はどんな感じなのだろうと、気になっていた。
「恐ろしいかもしれないぞ」
「でも、さゆちゃんをおっきくした感じ……だって聞いたから」
「……まぁ、そうだな。色は違うが」
「きっと、もっふもふだと思うの……!!」
かわいい……と言えば、しずれは嫌がるだろうか……?
でも……少し照れたように見てくるしずれはやはりかわいらしい。
「では、見るがいい。今本性に戻るから、少し部屋の外で待っていてくれ」
「……外で?」
「一度服を脱ぐから」
「ひぁっ!?」
思わず頬が紅潮する。そう言えば……蜘蛛の姿になる時は、さゆちゃんもにゃーちゃんも、屏風や物陰に隠れてから出てきてくれたっけ。
そして、部屋の外で暫く待っていれば。
『ふゆは、入ってくれ』
中からそうしずれが呼び掛けてきたので、そっと襖を開ければ……圧巻であった。
『毛むくじゃらだろう』
そうしずれが笑うが……。
「もっふもふ……」
そう表現する方が合っている。どこまでも雪のように白いもふもふ。
『まぁ、そうだが。目とか恐くないのか?』
ヒト型の時とは違い、八眼あるのだが……。
「青くて、優しいしずれの目だよ」
それが八つもあれば、見つめられた時にどの目を見ればいいのか、迷ってしまいそうだが。
『む、そうか』
しかし同時にしずれが安心したように息を吐いた。そして……うん……ずっと、しずれの本性を見てから、やってみたいと思っていたことを、恐る恐る口にしてみる。
「……あの、なでなでしていい?」
『それはもちろんいいが』
しずれがもふっと脚を出してくれれば、それにもふりと抱き着く。
「温かい」
そうして、しずれの脚がこちらへと胴体に招くのについていけば、もふもふの中に埋まるように身体を預ける。温かくて、ふわふわで、優しくて……何だか安心する。そして……どうしてか睡魔が襲ってくるが……それでもしずれの腕の中なのだから、安心である。
「まさか、この姿でも全く恐れないとは。やはりふゆはを迎えて良かった」
そう、うとうととしながらも、しずれのそんな声を聴いた気がした……。
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