第6話

ホテル・セレーネーに着き、チェックインを済ませた。

 ホテル内は冷房が効いていて快適だ。自分達が住む世界のホテルと内部構造はあまり変わらない。

 自分達が泊まる部屋の前に着いた。

 俺は受付で受け取ったカードキーをドアの機械にかざそうとした。

「エマがする」

 エマは必死に跳ねて、俺が手に持っているカードキーを取ろうする。

「はいはい。機械にかざせよ」

 俺はエマにカードキーを手渡した。

 エマは機嫌よくカードキーを機械にかざした。

 カチッと、施錠が解除された音が聞こえた。

 俺はドアノブを回して、部屋の中に入った。エマとキッキも部屋に入る。

 部屋の中は値段の割りに豪華だった。ベットもちゃんとしたものだし、テレビもある。

それに小型の冷蔵庫もある。冷蔵庫の表側には「中に入っている飲み物は自由にお飲みください」と書かれたシールが貼られている。

 冷蔵庫を開けた。中にはジュースや水などのペットボトルや缶が大量に入っている。これが無料はありがたい。

 俺はボストンバックを床に置いた。

「だいぶー」

 エマとキッキはベットに飛び込んだ。

「きもちいーねちゃいそう」

「キッキウー」

 エマもキッキも今にも寝そうな勢いだ。これはまずい。このまま寝られるとちょっとの間起きない。

「寝るのか?美味しいご飯はいいんだな?」

「だめーごはんたべる。はやく、いこう。キッキいくよ」

「キウ」

 エマはベットから降りて、背負っていたリュックを床に置いた。

 キッキはエマの頭の上に飛び乗った。


 16時前。

 昼食を食べ終えて、時計台の下のベンチでリゲルさんが来るのを待っている。

 隣で座っているエマはうとうとしていて今にも寝てしまいそうだ。エマの頭の上に乗っているキッキはもう数分前から寝てしまっているが。

 それにしても、あれほどの量を食べてしまうとは思わなかった。確実に俺の倍以上を食べていた。そんな小さい身体のどこにあの量が入るんだ。不思議でしょうがない。

「ジェードさんですか?」

 作業服を着た男性が訊ねて来た。髪の毛は黒く短髪。体格は中肉中背。とても優しそうな顔をしている。

「はい、そうです」

「よかった。夜飾士のリゲルです」

「あ、リゲルさんですか。失礼致しました。記者のジェード・ドレイクです」

 俺はベンチから立ち上がって言った。

「こちらこそよろしくお願い致します」

 リゲルさんは握手を求めてきた。俺はそれに答えた。

 リゲルさんの手はペンだこが何個があって、凸凹していた。美しい手だ。必死に仕事に取り組んでいる証拠。適当に仕事をしていたら絶対に出来ないもの。リゲルさんは本物に違いない。そして、この街の人々はリゲルさんの仕事に心打たれているだろう。

「その子はお子さんですか?」

「はい。娘のエマです」

「エマだよ」

「こら、失礼な言い方止めなさい」

「ごめんなさい」

 エマはベンチから立ち上がって、頭を下げた。頭の上のキッキは絶妙なバランス感覚を発揮して落ちないでいる。

「いいですよ」

 リゲルさんは微笑んだ。

「本当に子供も同伴してよかったんですか?」

「大丈夫ですよ。みんな子供が好きですし。それに子供にこそ私達の仕事を見てほしいんです」

「そうですか。ありがとうございます」

「では夜飾士の仕事場に行きましょうか」

「はい」

 俺達はリゲルさんの仕事に向かい始めた。


 リゲルさんの仕事場は時計台からさほど距離は遠くない場所にあった。

 仕事場の建物は三階立てのビル。ビルの表面には芸術的な絵が描かれている。入り口の標札には「夜飾士・スタジオ」と書かれている。

「ここが仕事場です。ちょっと派手ですよね」

「……いや、なんと言うか。幻想的ですね」

「幻想的ですか。嬉しい感想です。それじゃあ、中に入りましょう」

「は、はい」

 自動ドアが開く。俺達は中に入った。

 キッキはビルに入ってすぐにネックレスに姿を変えて、エマの胸元で揺れている。

「げんそうてきってどういういみ?」

「……絵本とかの世界みたいって事だよ」

「ふぁんたじーっていうこと?」

「そう言う事」

「へぇーげんそうてきか。エマ、かしこくなった」

「そうだな」

 俺はエマの頭を軽く撫でた。

「えへへ」

 エマは嬉しそうに照れた。可愛いやつだ。このまま素直に育ってくれればいい。エマの一番いい所は素直さだから。まぁ、他の部分も最高だが。世界一の娘だ。ちょっと待て。これは親ばかか。親ばかなのか。冷静になれ。冷静になれ、俺。

 ビル内は外壁と違ってシンプル。受付と応接スペース。そして、上階に行くための階段。

「おはようございます」

 受付嬢二人が挨拶してきた。

「どうも」

「おはようございます」

 エマは元気よく挨拶を返した。

「エマ、上の階で皆さん仕事してるから声は小さくな」

「あ、ごめんなさい」

 エマは受付嬢二人とリゲルさんに頭を下げた。

 受付嬢二人はエマに向かって微笑んでいる。

「いいんだよ。元気な事は」

「……うん。じゃない、はい」

「礼儀正しい子だ。それじゃ、上の階に行きましょうか」

 リゲルさんはエマの頭を撫でた。

 俺達は階段を上り、2階に着いた。1階はすぐに受付があったから気づかなかったが奥行きを感じる。部屋数は10以上はあるだろう。壁面には来月行うであろうイベントのポスターや「あの夜空を再び」と書かれたポスターが所狭しに貼られている。一階とは全く雰囲気が違う。ここは仕事場だ。

「こっちです」

 リゲルさんの後に着いて行く。

 夜飾師。夜空を飾るように星などを描く仕事。このマーレンナハトにしか存在しない仕事。その貴重な仕事の仕事風景を取材出来る。これほど嬉しい事はあまりないだろう。顔には出していないが興奮している。

「ここです」

 リゲルさんは突き当たりの部屋の前で止まった。

「は、はい」

「では入りましょうか」

「よろしくお願いします」

「おねがいします」

 リゲルさんはドアを開けて、部屋の中に入った。俺達も後に続く。

 部屋の中には10人程の作業着を着た男女が椅子に座って、パネルに絵を描いている。年齢は俺と同じぐらいかちょっと下ぐらいの人々ばかり。

 部屋の奥の壁には大型のモニターが設置されている。モニターには夜空のようなものが映し出されている。

「みなさん、ちょっと作業をスットプ」

 リゲルさんは作業中の人々に言った。

 作業着の人々の手が止まった。そして、全員がこちらに視線を向ける。

「こちらが本日から数日間、我々の仕事を取材してくれる記者の方と小さき助手さんです」

「記者のジェード・ドレイクです。本日から数日の間よろしくお願いします」

「えーっと、小さきじょしゅのエマ・ドレイクです。よろしくおねがいします。って、ちいさきじょしゅってなに?」

 エマは訊ねて来た。

「あとで教えるから。頭下げて」

 俺とエマは頭を下げた。

「この人達が記者さんね。よろしく」

「エマちゃん可愛い」

「うちの子と同じぐらいなのにしっかりしてるな」

 夜飾師の人達は椅子から立ち上がって、拍手して迎え入れてくれた。どうやら歓迎されているみたいだ。いい人ばっかりのようだ。本当によかった。もし、雰囲気の悪い所だったらどうしようかと不安だった。けれど、この人達なら大丈夫。安心して取材出来る。

「では、夜飾師の仕事内容を軽く説明していきますね」

「お、リゲルが熱弁するぞ」

「よぉ、リーダーだ」

 夜飾師の人達がリゲルさんに茶々を入れている。この人達はよほど仲がいいのだろう。

「うるさい。仕事量増やすぞ」

「すんませんでした」

「怖い怖い」

 夜飾師の人達は作業に戻った。

「すいません。こんな奴らで」

「いいえ、素敵な人たちばかりで」

「……ありがとうございます。それでは説明させていただきますね」

「はい。よろしくお願いします」

「仕事内容はここで星などを描き、投影機に星などを読み込ませて、遮光板で出来た人工の夜空に映し出りする事です」

「そうなんですか」

「あそこのモニターに映し出されているものが本日の夜空です。どうです、描いてみます?」

「えぇ?あの絵は苦手なので遠慮します」

 絵を描く事ほど苦手なものはない。国際警察だった時あまりの絵の下手さから犯人の似顔絵を描く事を禁止されていた。エマから絵を描いてと言われ描く事があるがほとんど何を描いているか分からないと言われる。

「そうですか」

「じゃあ、エマがかく」

 エマは手を上げた。

「そうかい。じゃあ、ここに座って」

「はーい」

 エマはリゲルさんの指示通りに近くにあった机の前の椅子に座った。

「このペンで好きな絵を描いてごらん」

「はい」

 エマはパネルの絵を描き始めた。

「大丈夫なんですか?子供の絵ですよ」

「大丈夫です。絵はそのまま使わないんで。描いてもらったあとにこちらで処理して、星座にしますから。それに子供の発想力には我々が気づかされる事もあるので」

「そうですか」

「そうですよ。心配なさらずに」

 リゲルさんは微笑んだ。

「はい。ポスターに書かれていたあの夜空を再びとは?」

「あれはですね。今まで描いてきた夜空を博物館で展示するんです。他にも描いた夜空をプリントしたグッズなどを販売したりする予定です」

「へぇー有効活用って事ですね」

「そうです。一回だけって言うのは勿体無いですからね」

「たしかに。記念日や誕生日の夜空とか人気ありそうですもんね」

「ハハハ、よくお分かりで」

「あ、夜飾師が出来たきっかけはご存知ですか?」

 マーレンナハトに来る前に資料などを調べたりしたが、しっかりとした事が書かれていなかった。だから、この仕事を生業にしている人だったら教えてもらう事が出来るのではないかと思って訊ねた。

「はい。もちろん知っていますよ。この仕事は先代の社長が他の世界に行った時に夜空を見て、感動して、この世界でも夜空を作る事はできないかと考えたのきっかけです」

「そうですか。先代の社長は素敵な方だったんですね」

「そうだと思います。我々もこの仕事があってよかったと思います。この世界にはあまり娯楽がないのでストレスが溜まりやすいんです。人って楽しい事がないと俯いてしまったりして暗くなるじゃないですか。だけど、美しい夜空があれば自然と上を向くと思うんです。上を向けば、少しずつ気持ちが明るくなるかもしれない。夜空を見ることが生きていく為の楽しみになるかもしれない」

 この世界では太陽だけが人々を照らしているのではない。夜飾師が作った夜空の星達も人々を照らしている。それも心を。

「この仕事が大好きなんですね」

「はい。でも、辛い事もありますよ。いい夜空を書かないと怒られますから。毎日試行錯誤ですよ」

「それは辛いですね」

「できたー」

 エマは両手を挙げて言った。

 描くの速くないか。それほど長話してないぞ。本当にちゃんと絵を描いたのか?

「おー上手いじゃないか。絵の才能あるよ」

 リゲルさんはエマの頭を撫でた。

 エマは頭を撫でられて嬉しそうだ。

「ジェード見て」

「お、おう」

 俺はエマの絵を見る。

「どう?じょうずでしょう」

 エマは笑顔で訊ねてきた。

「……上手いな。本当に」

「ほんとうに?」

「おう。なんで、?は言わないよ」

 エマの描いた絵はキッキだった。目を疑うほどに上手い。キッキをそのまま紙に写したかのようにリアルだ。プロの絵描きが描いたと言っても疑わないだろう。お金を取ってもいいぐらいのレベルだ。エマがこんな才能を持っているなんて。

「いぇーい。ほめられた、ほめられた。ジェードにほめられた」

「皆さん作業してるんだから静かにしなさい」

「はーい」

 エマは少し頬を膨らませた。

 ちょっと言い過ぎたか。ここでこのままにしてしまったら、エマは絵を描かなくなるかもしれない。それは駄目だ。人を驚かせる事が出来るものを親が奪ってしまってはいけない。子供の可能性は無限大なのだから。

「エマ、今度お父さんの絵を描いてくれないか?」

「え?ジェードの?」

「そうだ。お父さんな、エマが描いた絵がほしいんだよ。駄目か?」

「……いいよ。でも、ひとつおねがいきいて」

「なんだ。言ってごらん」

「かみとペンとえのぐをいっしょにかいに行って」

「おう。買いに行こう。だから、ここで居る間はちょっと声小さくしろよ」

 俺はエマの頭を優しく撫でた。

「うん。こえちいさくする」

 エマは声のボリュームを下げて言った。とても嬉しいそうだ。機嫌が戻ってよかった。

「……良い親子の関係性ですね」

 リゲルさんは言った。

「はい?」

「いえ、私にも子供が居るんです。男の子なんですけどね。全然言う事聞いてくれなくて。私が仕事のせいにして遊んであげられてないのが原因だと思うんですけどね。お二人の姿を見て羨ましく思ってしまって。すいません」

 リゲルさんの表情はどこか寂しげに見えた。

「……謝らないでください。私も手探りですから。私が言うのもおこがましいとは思いますが子供との仲を良くするにはやっぱりコミュニケーションが大事だと思います」

 子供は親に相手をされていないと言う事には敏感で傷つきやすい。だから、子供は親に相手をしてもらう為にわざと怒られることや不機嫌な態度を取ったりする。自分を見てもらう為に。きっと、リゲルさんの息子はリゲルさんとコミュニケーションを取りたいのだろう。でも、素直に言えないのかもしれない。父親のあの手を見ているから。誰かの為に必死に頑張っている姿を傍で見ているから。俺はリゲルさんの手に触れてそんな風に子供さんが感じているのかもしれないと思った。

「……そうですよね。いきなりすいません」

「全然いいですよ。この子はこの子で直さないといけないところいっぱいあるんでね」

「ジェードもね」

「こら、お父さんにそんな事言ったらだめだろ」

「だってほんとうだもん」

「おやつ買ってあげないぞ」

「……うーん、それはいや。ごめんなさい」

「よろしい」

「ありがとうございます。子供とコミュニケーションとってみます」

 リゲルさんの寂しげな表情はどこかに消えていた。

「はい」

「それじゃ、エマちゃん。ちょっとおじさんがその絵を夜空に映し出す為に加工するから席変わってくれないかな?」

「うん。わかった。じゃない。わかりました。どうぞ」

 エマは椅子から立ち上がり、リゲルさんに椅子を譲った。

 リゲルさんは椅子に座り、作業を始めた。

 これが父の背中と言うやつのなのか。リゲルさんの作業をしている背中を見て思った。俺自身、父がどういうものなのかよく分からない。だって、父親が居ないから。俺の父親は物心着く前に母と俺を捨ててどこかに行ったらしい。あまりにも身勝手な男だ。恨んでも恨みきれない。だから、俺は存在しなかった人と思っている。それが不必要な負の感情を生み出さないようにするための最善の手段だから。

 俺はエマからどんな風に見えているのだろう。誇れる父なのだろうか。それとも、情けない父なのだろうか。それともどちらでもないのだろうか。きっと、その答えが分かるのはエマが大人になってからに違いない。

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