第7話

昼食を食べ終えて、フギンがいつ来てもいいように出かける準備をして、リビングのソファに座っていた。

 今日、目が覚めてから、ずっと昨日の事を思い出していた。そして、もうこれは現実だと認めた。そうする事でしか平常心を保てない。

 夏休みの間、魔王の娘・キアラをアイドルにする為に頑張るのだ。これはキアラの為だけではない。僕の為でもあり、全人類の為でもある。

 14時になった。それと同時にインターホンの音が聞こえる。何という時間の正確さ。ロボット並みの正確さだぞ。

 リビングから出て、玄関に走って向かう。

 玄関に着き、靴を履かずにドアを開ける。外にはフギンが立っていた。そして、フギンの後方には黒色のリムジンが停まっている。近所の人達は不思議そうにリムジンを見ている。あ、これで僕の近所の評判が変わる。やだな。本当にやだな。

「お迎えに来ました」

「はい。靴を履くんで待ってください」

「承知です」

 靴を履いて、外に出て、施錠をする。

「ではお乗り下さい」

 リムジンに乗る為に後部座席のドアへ走って向かう。

 後部座席のドアは開いていた。あとは乗るだけ。

 近所の人達の視線をかなり感じる。

 僕は自分から視線を合わせて、普段以上に頭をペコペコ下げてから、リムジンに乗り、ドアを急いで閉めた。

 なぜだろう。なにも悪い事も緊張もしていないのに心臓がバクバクしているのが分かる。何とも言えない切なさというか、虚しい感じだ。

「それではファミリア・プロモーションに向かいますね」

 助手席に座ったフギンは言った。

「どうぞ。向かってください」

 リムジンは動き始めた。今の僕は高級車に乗っているよりは犯罪を犯してパトカーに乗せられた犯罪者のような気分だ。生きている心地がしない。

「あのー本当に夏休みの間の僕のスケジュールを抑えるなんて事が出来るんですか?」

 フギンさんに質問した。

「はい。任せてください」

「なんでそんなに自信があるんですか?」

「わたくし達には力がありますから」

 ちょっとその言葉を聞いて、不安になってきた自分が居る。

「暴力は駄目ですよ。魔力も」

「分かっています。わたくし達が使うのは影響力と財力です」

「影響力と財力ですか」

 なんか言っている事が汚い金持ちのような感じがする。はっきり言って、成功する気がしない。昨日、少しでも信用しようとした僕が悪かった。

「はい。絶対に大丈夫です」

 ――10分程が経ち、リムジンは停車した。

「着きましたのでお降りください」

 後部座席のドアが自動で開いた。

 僕は恐る恐るリムジンから降りた。視線の先にはファミリア・プロモーションの建物が

見える。

 来てしまった。来てしまったよ。いつものように来ているこの場所が今日に限ってはとても怖い。怖すぎのだ。

 助手席からフギンが降りて来て、僕の隣に来た。

「それでは行きましょう」

「は、はい」

 僕とフギンは歩き出した。なんとも足がおぼつかない。数十メートルの距離が何十キロも遠くに感じる。

 入り口の自動ドアが開く。僕とフギンは中に入った。

「おはようございます」

 受付嬢の大野さんが笑顔で挨拶をしてきた。

「どうも」

 僕とフギンは受付に向かう。

「おはようございます。仁哉君。お隣の方は?」

「えーっとですね」

 人間じゃありませんとは言えない。いきなり大ピンチだ。どうする、僕。いや、どうするの、フギン。

「わたくし、こう言うものです」

 フギンはスーツの胸ポケットから名刺を取り出して、受付の机の上に置いた。

 大野さんはフギンが置いた名刺を手に取り、目を通す。

「SD72コーポレーションの副社長の不破銀一(ふわぎんいち)……え、えー失礼しました」

 大野さんは立ち上がり、頭を下げた。

「本日は社長様と商談させていただきたく来ました。アポイントを取らずに来た事をお許し下さい」

 フギンは大野さんに頭を下げた。

「頭を上げてください。すぐに社長に連絡するのでお待ち下さい」

 大野さんは慌てて、内線の受話器を取った。

「フギンさん、お聞きしたい事があるんですが」

 大野さんに聞こえないように小声で訊ねた。

「こちらの世界では不破とお呼びください。そして、なんでしょう」

「わ、わかりました。それで、SD72コーポレーションって本当ですか?」

 SD72コーポレーションと言えば様々な分野で業績を残している日本有数の大企業だぞ。そこの副社長をフギンがやっているだと。

「はい。本当です。人間界をしんりゃ……いえ、人間界と二ウムヘルデンの架け橋になる為に作った会社です」

 おい、確実に今侵略って言おうとしたよな。ちゃっかりしてるな。本当に。

「そ、そうですか」

 フギンの自信はこれだったのか。こんな最強のカードを持っていたなんて。なんでも、

どうにか出来そうじゃん。

「お待たせしました。社長が是非お話を聞かせて頂きたいと。今すぐ、お迎えに来ます」

「迎えには来なくて大丈夫です。社長のもとに案内してくれますよね。真音君」

「は、はい」

「そうですか。それじゃ、仁哉君、お願いしていいかしら」

「はい。大丈夫ですよ。IDカードください」

 大野さんは僕にIDカードを手渡してきた。その手は目視出来るぐらいに震えていた。

 震えるのは仕方が無いだろう。日本有数の大企業の副社長が来れば。そして、その副社長と普通に接している僕を見れば。

「ありがとうございます」

 僕は大野さんからIDカードを受け取った。そして、フギンと一緒にセキュリティーゲートへ向かう。

 セキュリティーゲートに着き、カードリーダーにIDカードを当てる。そして、僕とフギンはセキュリティーゲートを通る。その後、エレベーターに乗り、10階のボタンを押す。

 エレベーターが上昇していく。

 フギンが人間の姿に化けているからあまり違和感を感じないが普通ならおかしい状況だ。

だって、魔族と一緒にエレベーターに乗るなんて。

 エレベーターが止まり、ドアが開いた。

 僕とフギンはエレベーターから降りて、会議室に向かう。

 会議室の前に着き、会議室のドアを三回ノックした。

「真音仁哉です。SD72コーポレーションの不破銀一様をお連れしました」

「は、はい」

 父さんの声が会議室の中から聞こえる。そして、たどたどしい足音も。

 ドアが開き、父さんが現れた。

「は、始めまして。ファミリア・プロモーション社長の真音久道(まおとひさみち)です。本日は来ていただきありがとうございます」

 父さんはフギンに頭を深々と下げた。

「SD72コーポレーションの不破銀一と申します。本日はアポイントも取らずにお伺いした事をお許しください」

 フギンは父さんに頭を下げた。

 なんと言うか、この大人の世界に僕が居るって、ちょっとしんどいな。息が詰まる感じがする。

「いえいえ、頭を上げてください。どうぞ、中に入ってください」

「そうですか。それでは失礼させていただきます」

 父さんとフギンは会議室の中に入った。僕はその後に続いて、会議室の中に入り、音がしないようにドアをゆっくり閉めた。

 父さんとフギンは名刺交換をしてから、向かい合うように椅子に座った。

 あれだよな。こう言う状況は立っていた方が無難だよな。どちらかに座れと言われてから座った方がいいよな。

「それで本日はどう言ったご用件で」

 父さんはフギンに訊ねた。

「簡潔に言うと、我が社と業務提携を結んでいただきたくて来ました」

「業務提携?」

「はい。我が社はエンターテイメントの分野にも力を入れようと思っていまして、長年芸能界で一流の才能を排出し続けている御社の人材育成力を高く評価しており、一緒に手を取り合って、事業を行っていきたいと思っております」

「そうですか」

 父さんは真剣な顔をして考えている。

 うちの会社も大企業だが、SD72コーポレーションは格が違う。うちの会社にデメリットはない。この商談こそが互いに利益を生むやつか。やり手だな。フギン。

「どうでしょう」

「……はい。よろしくお願いします。我が社も進化していきたいので」

「それはよかった。それでは今日中に業務提携についての資料と書類をお送りします」

「はい。ありがとうございます」

 父さんは椅子から立ち上がって、フギンに握手を求めた。

「こちらこそありがとうございます」

 フギンはその握手に答えた。

「それで一つ質問なんですが、なぜ息子の仁哉とお知り合いなんですか?」

 父さんはごく当たり前な質問をした。

「それはですね。私が困っている所を助けてもらって知り合ったんです」

 実際は僕を誘拐して知り合った。そして、僕のスケジュールをどうにかする為にここに来ているだけなんだけどな。

「……そうですか」

「はい。一つお願いがあるんですがよろしいでしょうか」

「なんでしょう」

「真音君。いや、仁哉君を夏休みの間お借りする事はできないでしょうか。いわゆる、出向のような形で。報酬は支払いますので」

「大丈夫ですよ。仁哉の仕事は社員に振り分けるので」

 即OKかよ。唖然とした。

「ありがとうございます。ではよろしくね。仁哉君」

「はい。よろしくお願いします」

 僕は父さんのメンツを立てる為にフギンに頭を深く下げた。

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