第10話殺されそう⋯⋯。

「離婚か⋯⋯何か事情がありそうだな」


 アレクサンドラ皇帝が私の心を読むような目で見つめてくる。

 彼女からしたら、離婚をしたいと言うなんて我儘な女だと思われるかもしれない。


 彼女の結婚は国家間の約束事で、帝国優位で進められた婚姻において人質とも言えた彼女から婚姻解消などできなかったはずだ。

 

 誰がどう見ても針の筵だった結婚生活を継続し、息子を育て上げた彼女に私はどう映るのだろう。


 はたから見れば幸せでラッキーな結婚をしているのに、跡継ぎも生まず自分のことしか考えていない私。


 前世の記憶を思い出しても自分がいつまでも未熟な人間に思えて気持ちが沈む。


「母上、カスケード侯爵はマレンマに暴力をふるっている上に、浮気までしているんです。僕は彼女を助けたいのです」


 私が気落ちした時に、ヒーローのように現れる彼をどうしたら良いのだろう。

 アラン皇太子は皇族にしては純粋過ぎる方かもしれない。

 私の言い分だけ聞いて、全てを信じきっている。


 離婚したいという人間は相手の不倫もDVも平気で自分の為にでっち上げる。

 前世で私は散々そういった依頼主を相手にしてきて、だから離婚歴があると問題のある人間だと見做されると落ち込んだものだ。


 被害者意識が強く、自分のことしか考えていない人間。

 私も前世の自分を顧みると、当てはまってしまう部分がある。


 男と女が生物学的に違うから浮気は仕方のない事で心は君にあると言われても許せなかった。


 目の前の男よりも良い男が自分を愛すると信じ切れた前世とは違い、地味なルックスで蔑まれる時を過ごしている。


 それでも、ミゲルが浮気三昧のDVヤローだというのは事実だ。

 私のような地味女に次の男がいなくても、私は男などいなくても生きていきたい。


「アラン⋯⋯今にもマレンマに婚約者指名しそうな瞳をしているが、大丈夫か? マレンマは既婚者だからな。人妻を婚約者として指名したらスキャンダルになるぞ」


 アレクサンドラ皇帝はアラン皇太子を愛おしそうに眺めながら優しく微笑んでいた。


 彼女は冷血な女と言われているが、息子のアラン皇太子に対しては甘い母親のようだ。彼のことが可愛くて仕方ないというのが伝わってくる。


 魑魅魍魎が渦巻く皇宮では強くあらねばならないのに、汚したくない美しい彼の為には幾らでも自分が汚れようとする決意が伝わってくる。


(アラン皇太子に手でも出したら、殺されそう⋯⋯)


「そのような事考えてはいません。僕はただマレンマには幸せに笑っていて欲しいだけです」


 アラン皇太子が曇りのない目で真っ直ぐ伝えてきた言葉に私は泣きそうになった。


 「幸せに笑っていて欲しいだけ」そのように他人を想える彼が眩しくて、人として好きだと思った。

 心からの言葉というのは、自分では手の届かない心の奥まで届くようだ。


「分かった。マレンマを行政官に推薦するよ。早めに勤務できるように取り計らう」

「ありがとうございます。アレクサンドラ皇帝陛下」


 私は職を得られそうで、ホッとした。

 仕事さえあれば、離婚しても自分のアイデンティティーを保てそうだ。


 その後は3人で楽しく朝食を済ませた。


 息子を溺愛しているアレクサンドラ皇帝に揶揄われて、あたふたするアラン皇太子を見ていると心が温かく満たされるのが分かった。


 アレクサンドラ皇帝とアラン皇太子が行事があるというので、私は今日はとりあえず家に帰り今後の対策を練ることにした。


 「マレンマ、馬車まで送らせてくれないか」


 子犬のような目で見つめてくる殿下の申し出を断れるはずもなく、私は彼にエスコートされるがまま馬車まで歩いた。


「アラン皇太子殿下はアレクサンドラ皇帝陛下といると、なんだか可愛らしいですね」

 私は自分のした発言が失言だとは思っていなかった。

 ただ、和やかな朝食の時間と就職も決まりそうなことで気が緩んでいた。


 殿下が足を止めて私と真正面に向き合う。

 じっと射抜くような目で見られて、その瞳からはやや怒りを感じた。


(「可愛い」ってこの年頃の男の子にはまずかったかしら)


 突然、首にピリッと痛みが走ったかと思うと殿下に首を吸われていた。

(な、何? 吸血鬼?)


 アラン皇太子は予想外の行動をとってくる時があり、度々私を驚かせる。

 首元から離れた殿下はなぜか顔を真っ赤にして照れた顔をしていた。


「キスマークの付け方、あっているだろうか? 指南してくれないか?」

「えっ? キスマーク?」

(もしかして、キスマークを私の首筋に付けていたの?)


 笑ってはいけないのに、笑いそうになり堪えるのが辛い。

 他の男にこのような事をされたら殴っているかもしれないが、彼にされるとくすぐったく照れ臭い。


 首筋に紫色の小さな鬱血。

 ハート型のようになっているその痕が愛おしくて堪らなかった。


「あっておりますよ。流石ですね。アラン皇太子殿下、お上手です」

「で、では。今日はゆっくり休むのだぞ。皇宮勤務で困ったことがあったら、僕をいつでも訪ねてくれば良い」


 アラン皇太子はそう言うと小走りに皇宮の方に戻って行った。

 

 首筋に素敵なプレゼントを貰い幸せな気分で馬車に乗り込もうとした時に、猪のように突進してくる令嬢がいた。


「ちょっと、あんた面貸しなさいよ! 話があるんだけど!」


 私の後から馬車に乗り込み特攻してきたマリア・ルミナス男爵令嬢。


 確か、彼女は聖女だったはずだ。

 近頃の聖女は田舎のヤンキーのような口調らしい。

 



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