第8話私からもプレゼントがあります。

 アラン皇太子と別れカスケード侯爵邸に戻った私は浴室に向かった。


 この世界には天然植物油で作った石鹸はあるが、ボディーソープがない。

(液体石鹸の方が使いやすいんだけどな)


 私は石鹸を手に取り、ナイフで細かく削り瓶に詰め温かい湯を入れて振ってみた。

 そこにラベンダーの香油を少し垂らす。


「なんか、クリーム状になってきた?」

 私はそれを浴槽に垂らして、お湯を勢いよく注いだ。


「泡風呂になった⋯⋯しかも、良い香り!」


 なんだかすごい発明をした気になってくる。

 料理も裁縫も「手作り」というものが前世でも苦手だった。

 でも、今、私は泡風呂を作れる手作りのクリーム石鹸を発明した。


 良い気分で泡風呂に入っていると、突然浴室の扉が開いた。


「カスケード侯爵閣下何かご用ですか? ご覧の通り入浴中なので、用事があるのなら後にしてください」


 私の言葉を無視するように、ミゲルは挑戦的な目で服を脱ぎ出す。


「出てってください! 私はそう申し上げたはずです」

「久しぶりに君と風呂にでも入ろうと思ってな。今日は少し疲れたんだ」


 ミゲルは頭がおかしい。

 愛人との情事で疲れた体を私に癒やせと言っている。

 私は脳が沸騰し、気がついたら立ち上がり彼を引っ叩いていた。


「今すぐ出てってください! 久しぶりに一緒に入浴したいって、どなたかと間違えてませんか? まるで自分の気の向いた時だけ可愛がるペットのように私を扱うのですね。私を人として尊重する気があるならば今すぐ出てってください」

 見たこともない私の剣幕にミゲルは心底驚いた顔をしていた。


 驚いているのはこちらの方だ。


 彼と入浴したことなど、新婚の時に数える程度だ。

 8年も前のことは私にとっては遠い昔で、古の時と呼ぶ方が適切と言える。


「マレンマ、アラン皇太子殿下とどうにかなれるなんて勘違いするなよ。君みたいな傷物で地味な女が侯爵夫人になれたのは誰のお陰か今一度考えるんだな」


 私の腕の火傷に視線を落としながら、ミゲルは冷たい声色で私を侮辱して去っていった。


 腕の火傷の痕、地味な顔⋯⋯前世の記憶を取り戻す前に私がミゲルに対して感じていた私の引け目だ。


 そのような引け目から、浮気をされても我慢をし家の事を淡々とこなす日々を送っていた。

 

「本当に嫌な事を言う人⋯⋯」

 火傷の痕も地味な顔も自分ではどうする事もできない。

 

 浴槽たっぷりの泡に私の涙が吸い込まれる。


 お風呂から出て、少し仮眠を取り外出の準備をして部屋の扉を開けた。


「マレンマ、さっきは⋯⋯」

 まるで謝ろうと待っていたような顔をするミゲルに溜息が漏れる。

 もう、彼と会話をするのも疲れてしまった。


 浮気三昧で、妻が眠る邸宅に愛人を泊めるまでした彼と話す必要はない。

 地味だとか、火傷だとか私の見た目を責めてマウントをとる彼と生涯は絶対に共にできない。

 

 私は彼の隣を素通りし、馬車で皇宮に向かった。

 皇宮に到着すると、私の馬車に駆け寄ってきた人影があった。


「アラン皇太子殿下に、マレンマ・カスケードがお目にかかります」

「カスケード侯爵夫人、早速来てくれたんだね」


「殿下は私が来るのを待ち侘びて、部屋の窓から外を眺めていたりしたのですか?」

 率直な疑問を呈すると、彼の顔が真っ赤に染まった。

 私に気があるような男の顔⋯⋯前世で美人だった時は男は私の前で皆、高揚した。

 しかし、現世の地味なマレンマになって、このような顔をした男は彼が初めてだ。

(ミゲルに言われなくても、勘違いはしないわ⋯⋯)


「バレてしまったか。ちょうど、聖女の力を持つマリア・ルミナス男爵令嬢が到着したと知らせがあってね。そなたに会わせたかったのだ」


 彼にエスコートされて、執務室に向かうと茶色の肩までの髪に水色の瞳をした可愛らしい少女がソファーに座っていた。

 

 彼女はアラン皇太子を見るなり立ち上がり、小動物のように駆け寄ってきた。


「アラン・リオダール皇太子殿下に、マリア・ルミナスがお目にかかります。殿下、朝食はまだなのではありませんか? 実は食事を作って来たのです」

 彼女は高めの可愛らしい小鳥のような声で挨拶すると、テーブルにお弁当箱を出した。


「気持ちは嬉しいが、毒味役が毒味をした食事しか食べられないんだ」

「アラン皇太子殿下! 私は殿下をお慕いしております。毒など入れていません」


 なおも食い下がるマリア嬢に殿下は困った顔をして、横にいた侍従にそっと弁当箱を渡した。


「後で頂くよ」


 殿下は嘘を吐くのが下手らしく、明らかに目が泳いでいる。

 気まずい雰囲気が流れ、私はここで一発笑いを取り空気を変えようとクリーム石鹸の瓶を取り出した。


「アラン皇太子殿下、私からもプレゼントがあります。こちらは昨晩、私が発明したクリーム石鹸です。浴槽に入れてお湯を勢いよく注ぐと泡風呂になりますよ」


「ありがとう。カスケード侯爵夫人⋯⋯そなたから、贈り物を貰えるなんて思っても見なかった」

 私が彼にプレゼントをするのはおかしいことではない。

 昨晩も助けて頂いたし、奢ると言ったのに結局奢れていないからお礼は必要だ。


 殿下はそっと瓶の蓋を開けるとラベンダーの香りが漏れ出てきた。


「この香り⋯⋯もしかして、カスケード侯爵夫人と同じ香り?」

「はい。そうです」

「この香りに包まれる度にそなたを思い出しそうだ。本当に素敵な贈り物をありがとう」

 殿下が柔らかく微笑み、その美しさに思わず目を逸らしてしまった。


「アラン皇太子殿下、私に用事とは何でしょうか?」

 少し機嫌を損ねたような声を出したマリア嬢に一気に現実に戻される。


(「皇太子殿下とどうにかなれるなんて勘違いするなよ」)

 ミゲルに言われた言葉が頭の中でリフレインした。



「マレンマの腕の火傷痕と、額の傷痕を治して欲しいんだ。マレンマ、他に気になるところはあるか? 僕は目を瞑っているから、見えないところについた傷も治してもらうといい」


 アラン皇太子はそういうと、そっと目を瞑った。

(長いまつ毛⋯⋯本当に綺麗な方⋯⋯)


 殿下が目を瞑ったのを合図に、あからさまにマリア嬢が私を睨んできた。


「アラン皇太子殿下、ではカスケード夫人の傷跡を治させて頂きますね。あら、こんな所にキスマーク! 美貌の侯爵様に激しく愛された後なのかしら。他に治して欲しいところはありますか?」


 彼女が手を触れると、額の傷跡も腕の火傷の痕も一瞬で消えてしまった。

 

「ありませんわ。ありがとうございます。聖女様」

「聖女様だなんて。私はカスケード侯爵夫人より、10歳以上も歳下ですよ。マリアとお呼びください。敬語も結構ですわ」

「ありがとう。マリア⋯⋯」


 明らかな敵意を向けてくるマリア嬢に笑いそうになってしまう。


 彼女はアラン皇太子が好きなのだろう。

 このようにあからさまに嫉妬できる彼女が少し羨ましかった。


「用が済んだのなら、もう出ててくれないか? マリア嬢⋯⋯」

 気が付くと目を開けたアラン皇太子は威圧感のある鋭い目つきをしていた。


「は、はい。殿下⋯⋯また、いつでもお呼びください」

 彼女がなぜか私の手を取って連れ出そうとすると、殿下がその手を制する。


「カスケード侯爵夫人には、まだ話があるんだ」

 殿下の言葉に明らかにムッとした彼女は1人でズカズカと部屋の外に出て行った。

 





 

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