1-8 クラブでの夜(2)
「・・・きっと、あいつにちがいないんや・・・。
あいつに・・・」
彩花と啓名の前で、その女性はぼそっと低い声でつぶやいた。
彩花が尋ねた。
「だれかが、そいつになんかされたの?
お友だち?」
女性は、そのまま黙り込んだ。
そしておもむろに顔を上げると、二人にぶっきらぼうに言った。
「・・・あんたら、警察の人?」
彩花は、ゆっくりと女性に近づき、彼女の前でしゃがむと彼女の顔をを見上げて答えた。
「ううん、警察じゃないよ。
でも、犯人が見つかったらそいつを警察に引き渡そうと思ってる。
そやから、あたしたちはそのために犯人を見つけたい」
女性は、じろりと彩花をにらんだ。
だが、彩花はびくともせず、まっすぐに女性の目を見つめている。
啓名は警戒しながら、彩花のすぐ後ろに立って見守る。
「あたしの名前はサトミ。
彼はダイスケ。
・・・あなたの名前、聞いてもいいかな?」
彩花は、身元を隠すために偽名を語った。
寂しそうな笑顔を浮かべて。
女性はまだ疑い深そうな表情で二人を交互に見つめていたが、やがて眼をそらしながらひとりごとのように言った。
「アキ」
彩花は、彼女の手を取って話しかけた。
「アキさん、犯人について知ってることある?
あったら教えてくれないかな。
どんなささいなことでも、はっきりしなくてもええ。
犯人を捜す手がかりになるものがほしいんよ」
アキは、彩花の両の手と、その両手に包まれた自分の手をじっと見つめた。
そして、彩花に訊いた。
「・・・信じてええんかな・・・。
あんたたちのこと?」
彩花はアキの顔をまっすぐに見ると、笑顔で力強く答えた。
「信じて。
犯人、絶対つかまえるから」
アキは、フロアで踊る群衆のほうを見ながら彩花に話し始めた。
「・・・どっから話せばええかな・・・。
・・・ケイコとは、ここで知り合った。
あ、ケイコってのは、ここに来てた、そして殺された子。
あのころ、あたし毎週末になるとここに来てて。
で、ケイコも毎週おったんで、自然と話すようになった。
いつもはあたし、あんまり自分から進んで人と話すとかしないんやけど、ケイコとはなぜか、あ、この子たぶんあたしと気が合いそう、って、直感でそう思ったんよね。
で、実際すぐにそうなった。
あんときはケイコと会うために、毎週ここに遊びに来てたようなもん。
それまであたし、どこにいてもひとりやったから。
学校でもひとり。
仲のよい友だちもおらん。
バイト先でも同じ。
そやから、ケイコだけが友だち。
そんな感じやった。
ケイコは、ほかにも友だちおったと思う。
ここでも、何人かとは顔見知りだったり、その子たちとも仲よかったと思う。
けど、いちばんの仲よしはあたし。
ケイコがそう言ってくれたし、実際いちばんよく、あたしといっしょにいてくれてた。
うれしかったわ。
でもある夜、あいつが来たの。
あいつはいつもひとりで来てた。
あんまりいいうわさを聞かなかった。
だって、そいつと仲よくなった子はみんな来なくなる、ってうわさやったから。
それが、みんな通り魔で殺されてたって知ったのは、けっこう後になってのこと。
この話は数人しか知らんと思う、あたし含めて。
ほとんどの子はみんな、ここに来なくなった子たちと通り魔事件が関係あるかも、って知らない。
その可能性に気づいた、たぶん最初の子がケイコ。
ケイコは、頭ええ子やった。
なんかええ大学行ってたみたい。
法学部、って言ってたかな?
でも、高卒のフリーターのあたしと、ぜんぜん平等に接してくれた。
それがうれしくて。
ほんま、ええ子やったな。
そんなやったから、あいつと仲よくなってそのうち急に来なくなった子たちと、通り魔事件の被害者はいっしょなんやないか、ってケイコは自分で新聞読んだり調べたりして気づいたの。
で、ケイコは自分でそれを証明したる、って。
そのために、あいつに自分から接近するって言い出して。
あたし、あぶないからやめろって、ずいぶん言ってケイコを止めたんや。
でもケイコは、正義感の強い子でね。
で、ついにあの夜、あいつがまた来た。
その前、半月くらい前かな、一度あいつが来たときに、ケイコ自分から近づいて、あいつと話した。
そんでその後、二人で出て行った。
その前の週にケイコと会ったとき、あたしに言ったの。
もしあいつが来たら、あいつに近づくって。
そんであいつの犯行を暴いて、警察に突き出したるんだ、って。
あの夜、直前までケイコはあたしとおった。
ケイコは、あいつが来るとあたしに、
「絶対あいつの悪事、暴いたるからね」
って言って、あいつのところに行った。
15分くらい話してて、それから二人で出て行った。
・・・それがケイコを見た最後」
そこでアキはことばを止めた。
そして、静かに泣き始めた。
両目から涙がとめどもなくあふれるのを、ぬぐおうともせずに。
彩花は、アキの手をやさしくさすった。
しばらくすると、アキはふたたび話し始めた。
「・・・そんで、3日くらいあとやった。
テレビや新聞に、通り魔でまた刺されて死亡した人が出た、ってニュースが出たのは。
被害者名に、森田恵子ってあって。
顔写真とか出てなかったけど、すぐケイコや、って思った。
あんとき、頭から血の気がすーっと引く、っていうのかな?
そんな気がした。
ケイコは、事件を終わらせようとして、自分からおとりになったんよ。
なのに、自分も殺されちゃった。
なんで、なんで、そんなこと・・・。
あたしは、いちばん大好きな友だちを亡くした。
そやから、絶対あいつを殺したいと思ってる。
・・・もちろん、そんな力も度胸もないけどね。
でも、そんくらいあいつを憎んでる。
それは絶対。
・・・そやからあたし、もしお姉さんたちがあいつをつかまえる、っていうなら協力するよ。
でも、ふつうのやり方じゃ無理。
絶対お姉さんたちもあいつにやられちゃうよ。
二人がかりでも、あいつをつかまえることができるかどうか、わからん。
・・・どうやってつかまえるつもりなん?」
彩花はアキの両肩を抱くと、やさしく言った。
「だいじょうぶ。
あたしらにはね、秘密兵器がいろいろあるんよ。
このお兄ちゃんも賢くてね、犯人の行動とか考えそうなことを前もって推理できる。
そやから、あたしたちで絶対、犯人をつかまえてやる」
そして、ふたたびアキに尋ねた。
「あいつの顔とか、特徴教えてくれる?
見た限り、おぼえてる限りでええよ」
アキはうなずいた。
「顔は細めで顎のとがった形。
髪は金髪に染めてて、身長は170cmくらいかな。
身体も細め。
見た目は、ホストみたいな感じ。
なんかチャラい感じで。
あたしは遠くからしか見てないから、これくらいしかわからん・・・」
アキはそう言ってしばらくすると思い出したように叫んだ。
「・・・そや!」
「どうしたん?」
「ここであいつがケイコと会ってたとき、その様子を見てたんやけど。
あいつ、自分の携帯にひんぱんにだれかからメッセとか電話がきてたみたい。
それとたぶん、ビデオ通話でだれかと話してて、ケイコもその相手と話してた感じやった。
犯人は複数いるのかも」
彩花は啓名と目を見合わせた。
彩花はアキの手をもう一度両手で包んで握り、
「アキさん、ありがとう。
とても重要な情報をいっぱいもらえたわ。
これから犯人を・・・」
「・・・あ!」
アキが小さく叫び声をあげると、テーブルの下に顔を隠した。
「どうしたん?」
アキがふるえた声でささやく。
「・・・来た!
あいつや・・・」
彩花と啓名も、アキといっしょに身をかがめてテーブルの下に潜る。
そして、アキの視線の方向を見つめた。
金髪の、顎のとがった細身の男。
ライトイエローのデニムジャケットを着て、その下にはグレーのウールTシャツ。
ストーンウォッシュでかなりあちこちの破れた紺のジーンズ。
「・・・まちがいないな」
彩花がささやく。
「ええ」
啓名がうなずいた。
「どうします?」
「そやな・・・ちょっと様子見よか」
男は、フロアの入口近くでしばらくあたりを見回していた。
やがて、フロアの向こうからひとりの女性が近づいて来て、その男とことばを交わした。
女性は、肩まである長さの髪を栗色に染めているように見えた。
フロアは暗い中、スポットでいくつもの照明がさまざまに当たって光る様子なので、実際に女性の髪の色が栗色なのかどうか、はっきりとはわからない。
その女性は、黒のTシャツの上にグレーのポロカーディガンを肩から掛けて、袖のところで前に結んでいる。
男のほうは笑顔を浮かべてその女性と話しながら、フロアの奥の、彩花たちがいる方とは反対側のソファのあるテーブルの前に来て、その女性といっしょに腰かけた。
「前もって約束してた感じやな・・・」
彩花がささやく。
「ええ。
そのようですね」
啓名がそう答えながら、スマホを取り出してビデオで撮影し始めた。
彩花が話す。
「あの子がやられないうちに助け出さないと。
問題は、どうやって引き離すかやな・・・」
そう言って、ふとアキを見た。
アキは青白い顔色になって、ふるえている。
恐怖からのふるえではない。
怒りからのふるえだ。
体育座りをしたひざとひざの間で、両の拳を固く握りしめ、小刻みにふるわせている。
彩花は、そのアキの両拳の上に自分の両手をかぶせ、やさしく包み込んだ。
「アキさん、だいじょうぶ。
絶対、つかまえるから」
彩花は真剣なまなざしでアキを見つめながら言った。
アキは、まっすぐに彩花を見つめ返して黙ったままうなずいた。
「お願い。
ケイコのかたき、とってほしい」
彩花は笑顔でうなずく。
啓名が小さな声で、しかし強い調子で言った。
「・・・動きます!
後を追いましょう」
啓名のことばで、彩花も動き出した。
彩花はもう一度アキの両手を握り返して、
「後はまかせて!」
と言うと立ち上がった。
「気をつけて、サトミさん」
彩花はアキに大きくうなずいて、手を離し啓名の後に続いた。
男とともにいた女性の二人は、クラブを出た。
彩花と啓名も、すぐその後を追った。
男と女性は、裏通りから御堂筋方向に向かって歩いている。
啓名と彩花はビルの陰に隠れながら後をつける。
啓名が彩花につぶやいた。
「大通りに出るつもりですかね。
人目につきそうですけど」
「わからんな」
すると、男が女性に手を振って二人は離れた。
男はふたたび裏通りのほうに歩いていく。
「・・・え?
別れた。
なんで?」
「わかりません。
きょうはまだ犯行を行うつもりでなかったのか・・・」
「どうする?
男を追うか。
女性の後を追うか?
それとも、二手に分かれてそれぞれ女性と男を追うか?」
「二人が分かれて行動するのは危険です。
どちらかにしぼりましょう。
しかし、どっちを追うべきか・・・。
もし複数犯なら、もう一人のほうが女性を襲うことも可能だが・・・」
啓名がそう言いかけて、ふと気がついたように、
「いや、もしぼくの推測が正しければ・・・。
・・・彩花さん、男のほうをを追いましょう!」
「え、なんで?
・・・いや、とりあえずきみの考えに従うわ」
二人は男の後をつけた。
男は御堂筋に向かって歩いていく。
途中でスマホを取り出し、耳に当てた。
だれかと通話しているようだ。
やがて御堂筋に出た。
「この人通りの多い御堂筋のど真ん中では、まさか通り魔はでけへんやろ」
「そうとも言い切れませんよ。
もしそいつが、自分がつかまって死刑になろうとどうなろうと、かまわないと考えるような人間だったら」
彩花は淡々と語る啓名の横顔を見て、
「いわゆる『無敵の人』ってやつか・・・。
まあ、そやな・・・」
と、ちょっと身震いするようなしぐさをした。
男は御堂筋の横断歩道を渡り、東心斎橋方面の路地に入っていった。
このあたりはバーや居酒屋、飲食店が多く、またあまり治安がよいところではないことで知られているエリア。
その路地をまっすぐに進んでいく。
飲食店の並ぶ路地の一角で、細い横道に入っていった。
二人は、路地の入り口まで急いでたどりつくと、横道の中を覗いた。
男の姿はない。
「・・・どこに行ったんやろ。
まさか、後をつけてるの、バレたかな・・・」
彩花は右、左と横道の隅から隅までよく見つめる。
啓名も横道を見回しながらつぶやいた。
「どこにいるんだ・・・」
二人は、横道の中に入って、周囲をゆっくりと見渡した。
「そんなすぐに、遠くには逃げられんやろ・・・」
そのとき。
彩花の背後から、だれかが忍び寄る気配があった。
はっ、と彩花が気づいた瞬間、かすれたような、しかし鋭い調子の声がした。
「・・・だれだ、おまえら?
後つけて来やがって・・・」
その声にびくりとした彩花と啓名が、後ろを振り返った。
そのとたん、銀色に光る尖ったものが、まっすぐに彩花の身体めがけて飛んできた。
「ひゃっ!」
彩花は後ろにいた啓名の身体に倒れかかる。
しかしこんな急襲でも、経験を重ねている彩花には反射神経が働いた。
とっさに左腕を前に突き出し、マグネウォッチの枠を思い切り強くたたいた。
そのタイミングは、啓名が彩花を抱え込む格好で尻もちをついたまま、右腕を伸ばしてマグネウォッチの枠を強くたたいたのと同時だった。
瞬間、
ブウウウゥーン!!
強い音と衝撃が走る。
キイイィーン、と音がして、彩花を突き刺そうとしたナイフが40~50mぐらい向こうまではじけ飛んだ。
「うわっ!」
相手は予想しなかった反撃にひるむ。
その機を逃さず、啓名はショックガンを取り出すと相手に向けてトリガーを引いた。
ビイイイィン!!
激しい音と衝撃。
相手は5mほど向こうに飛ばされ、転がった。
彩花は、両手をついてどうにか起き上がると叫んだ。
「啓名くん、前嶋さん呼んで!
あたしは警察の人たち呼ぶから!」
「はい!」
啓名は、彩花を守るように両肩を抱えて立ち上がり、無線で前嶋を呼んだ。
「前嶋さん、容疑者発見です!
ショックガンで動けなくしました。
ナイフもマグネウォッチで飛ばしたので、いまは攻撃不可能な状態になっています。
いま彩花さんが警察に連絡してますが、容疑者が回復したら危険です。
ナイフもまだ近くにありますので、身柄を確保する必要があります!」
前嶋が返事した。
「先ほどからお二人を追跡しておりました!
もう、すぐ近くにおります!」
そう言うが否や、前嶋はすぐ二人の前まで駆けつけてきた。
黒いゴーグル、防弾チョッキをつけた防護服、手袋、自衛隊員が履くような黒い半長のブーツ姿。
黒ずくめ、完全装備だ。
「・・・前嶋さん、いつの間に着替えたんですか」
「お二人が車を出てから、すぐ着替えて待機しておりました。
こういう事態は予想できておりましたので」
前嶋は、全身がしびれて動けなくなっている黒いニットマスクをかぶった、サングラスに革ジャケットの相手を、特殊樹脂製のロープで縛って拘束した。
そして、その向こうに転がっていた凶器のナイフを拾ってポリ袋に入れ、ソフトケースの中にしまった。
容疑者の前になった前嶋のもとに、啓名と彩花もやって来た。
「これは本来、警察のやるべきことですが、警察官が来るのを待っていられませんので、わたしがやらせてもらいました。
まあ、命が狙われたという非常事態ですから、警察も許してくれるでしょう。
・・・彩花様、啓名様、お二人ともお怪我はないようですね」
「はい、マグネウォッチとショックガンが大いに役立ちました。
これがなければ一巻の終わりになるところでした」
「・・・ほんまに、今回ばかりはほんまに死ぬかと思ったわ。
啓名くんもありがとな。
同時にやってくれたから、威力が倍になった」
「とにかく、大事にならなくてよかったです。
警察ももうすぐ来るはずです」
容疑者は、苦しみ悶えながら叫んだ。
予想外に音域の高い声だった。
「・・・なんだ、おまえらー!
何者だ、あたしの邪魔しやがって・・・」
前嶋が、相手のニットマスクとサングラスを取った。
その瞬間、彩花も、啓名も驚愕した。
覆面の下から出てきたのは、ショートカットに白い肌。
端正な顔立ちをした女だった。
彩花と啓名は、思わず同時に口走った。
「え・・・女?」
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