第17話 好きならそれで良いんです


 ピフラは断然犬派だ。犬は全身全霊で愛情表現してくれるから。

 だから遠慮なく思う存分愛することが出来て、いつだって愛し愛される。そんな、あたたかで大きな愛を育めるところが好きなのだ。

 けれどヨーナスは、またもやピフラを否定した。


「なるほど。つまり『愛したら愛してくれる』という保証ありきの愛が欲しいんですね」

「はい? 別にそういう意味でじゃ……」

「これだから犬派は稚拙で困ります。その点、猫派は愛の見返りを求めません。相手を信じて愛を待つことが出来るんです。猫派の人間は無償の愛のなんたるかを知っているんです」

(ああ……これは無理だ……)

 悪意の有無に限らず、言葉の全てを力一杯打ち返す人間。わざわざ会話の中で、自分の優位性を見出そうとする人間。会話というていをとっているだけで、そのじつ何も分かり合えない。分かり合おうとしない。

 疲れ切ったピフラが深く溜め息をつくと、口を開いたのはガルムだった。


「そうやって人の嗜好を捩じ伏せるような奴が無償の愛を知れるなら、愛も大したことないですね」

 ガルムは紅茶を口にしながらヨーナスを流し見る。

 その赤瞳は眼光炯々としており、押し負けたヨーナスは音を立てて席を立った。

 近くの使用人は主人が転倒しないよう慌てて椅子を引く。それに構わず、ヨーナスは顰め面で毒を吐いた。


「フンッ! さすがは赤目あかめ。無礼極まりない。お里が知れるとはまさにこのことだ」

「なっ……! お言葉ですがヨーナスさま、無礼なのはどちらですか? ガルムの赤い瞳は唯一無二の特別な色です。礼儀を弁えてください!」

「あっはははは! あなたまでそんなに赤くならないでください。良いことを教えましょう。過ぎた保護は1周回って差別なんですよ」

「……はい?」

「あなたは『赤目は非難される』から守らなきゃ、と誰よりも『赤目が非難されるもの』だと認めているんです。あなたは善人の皮を被ったレイシストですよ、ピフラ嬢」

 脊髄反応で反論したい所だが何も言い返せない。

 ピフラが言葉に詰まると、歪んだ喜悦でヨーナスの口の端が上向いた。

 そんな考えがあったなんて、とピフラは後頭部を打たれた気がしたのだった。


 ◇◇◇


 いかれるヨーナスは見送りを拒否したので、ピフラとガルムは相変わらずティーテーブルの席にいた。

 微動だにしないピフラの隣で、ガルムは彼女の横顔に話しかける。


「姉上?」

「……かった」

「え?」

「言い返せなかった。咄嗟に言い返せなくて……ムカつく! 自分に腹が立つ! わたし、こんなにガルムを」

 ──好きなのに。

 ピフラの淡い薄紫の瞳に涙が潤み、視界が揺らいで世界が霞んだ。

 この1年、ガルムは自ら歩み寄ろうと努めてくれたピフラのために忌み嫌っていた赤色を好きになる努力をしてくれた。それが健気で可愛くて、なんて姉思いだろうと思ったことは数知れない。

 それなのに、自分は他人の意見に怯んだ体たらく。


(ああもう……何泣いてるのよわたし。傷ついたのはガルムなのよ?)

 関節が白く浮き上がるほど握り締めた拳で、ピフラは力任せに目を拭う。すると大きく温かな手がピフラの拳を包み、目元からそっと外させた。


「擦ったらダメですよ。ほらこんなに赤くなって」

 そう言ってピフラの手を握ったまま、ガルムは諭すよう優しく語りかける。

 

「姉上、俺は他の奴に何と言われようがどうでもいいんです。姉上があんな奴が言うような人間じゃないことを俺がよく知ってます。姉上は俺のことが好きですよね?」

「当たり前でしょう! わたしはガルムが大好きよ」

 ──手塩にかけて育てた、愛すべき義弟なのだから。

 ポロリ、と大粒の涙がピフラの両目から落ちた。

 その涙が頬を伝うとガルムが切なげに眉を寄せ、長い睫毛を伏せる。そして額をピフラのそれにコツンと合わせた。


「姉上が俺を好きで、俺も姉上が好き。それで良いんです」

「……もう……励ますのが上手ね」

「別に。姉上のことが大好きなだけですよ」

 ガルムはピフラの顎に手を添えて頭の角度を変えさせ、頬の涙の跡に優しくキスを落とした。

(──へ?)

 瞬間、ピフラの目が見開かれる。頬にではあるが確かにキスされた。

 ピフラの反応を見るためだったのだろうか、赤い瞳を開けたままのガルムがフッと吐息だけで笑った。

 余裕を感じる彼を前にピフラの顔が発火する。


(えっえっえっ……なっなに今の! 今のってキスだよね!? えっ距離感っ近っ……!!)

 忙しなく手をあおぎ、顔の火照りを冷ます。

 今のキスは、ただ励まそうとしてくれただけだ。たんなる姉弟の触れ合いで、少々近すぎるのはガルムが姉思いであるがゆえ。深い意味なんて──!


「あはは! 姉上、顔が真っ赤ですよ」

 愧死寸前のピフラの赤い頬を、ガルムは長い指の背で撫ぜる。そうされると益々顔に熱が集まって、ピフラは謎の敗北感を感じたのだった。


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