第12話 義弟と黒魔法と疑惑の赤目

「姉上、今日はどこにいたんですか?」


 就寝前、ピフラの私室を訪れたガルムが言った。

 ピフラはその質問の意図を勘繰かんぐり、僅かに目を泳がせる。

 今日1日で感情と思考がい交ぜとなったピフラには、ガルムの言葉全てが針のようだ。

 昼のことは迂闊に話せず、ただ黙り込む。

 雄弁は銀、沈黙は金、その言葉に倣った。

 すると窓際にもたれ立つガルムは、器用に片眉を上げて、そしていつもの麗顔で好戦的に笑った。


「まあ言えませんよね。俺がいなきゃ外出禁止なのに、1人でホイホイ出歩いたんですから」

「なっ……何で知ってるの? まさかわたしを監視してる!?」

「人聞きが悪いことを言わないでください。俺はんです」


 ソファに腰掛けるピフラの方へ、ガルムはやおら近づく。

 背後後ろから迫り来るガルムの熱視線が重くのしかかり、長い指が背もたれを、するっ……と撫でるのが、布ずれの音で分かった。

 まるで獣に狙いを定められているかのような緊張感。

 少しでも動いた日には、急所をつかれてしまいそうで、ピフラの呼吸がどんどん浅くなる。


「……どうして1人で外出しちゃいけないの」

「外は危険が一杯だからです。実際、男に絡まれてましたよね」


(やっぱり監視してたのね。どんだけわたしの婚活を邪魔するつもり?)


「はあ……チャペルでたまたま知り合ったの。わたしを知っていたんですって」

「たまたま? あはははっ! 姉上を以前から知っている男が、たまたまチャペルに行って、たまたま知り合ったって? ははっ…………それ本気で言ってます?」


 そう言いながら、ガルムはソファの前に回ってピフラに正対し、背もたれに手をついて覆い被さる。影に覆われたピフラは、縫い付けられたように動けなくて。

 その様子を見下ろすガルムの前髪が、はらりと乱れた。


「純粋なのは良いですけど、こういう時は死ぬ程苛々します」


 大きな赤い瞳は怒りを孕み、鈍く光る。

 その目を見て、昼間のウォラクとの会話が思い返された。



『わたしは赤目の歴史や知識をオープンにしているんです。それがお互いの信頼に繋がるかと思いまして。当然、閣下もそうですよね?』

『いいえ、うちは何も……』

『あ……ええっと……まあ、赤目にも秘密主義者はいますしね。ですが、他でもないピフラ嬢に隠す事とは一体何でしょうか。きっと余程の事が……いえ、申し訳ございません。出すぎた真似を……」

『あっいえ! そんな事ありません。すごく勉強になります』

『……ピフラさま、これは赤目としての忠告です。くれぐれもお気をつけくださいね。どれだけ善良に見えても、黒魔法士の血が流れている事に、変わりはないのですから──』

  



「顔色が悪いですよ?」


 ビクッ、と条件反射で体が跳ねた。

 その弾みのまま上目で見ると、赤い瞳と視線が絡む。

 すると、ガルムは片手でピフラの顔を掬い、白い頬に優しくキスを落とした。

 いつもながらの近すぎるスキンシップ。

 これは子供の頃からのガルムの癖で、直す暇もなくここまできてしまった。

 しかし、今となっては姉弟の戯れさえ空恐ろしい。


(でもわたしの弟なのよ? それも手塩にかけて大切に育てた愛する義弟……)


 ──ガルムを信じたい。


 そんな考えに至り、眼前のガルムに視線をやった──その時だった。

 ガルムが血相を変え、ピフラの首筋に乱暴に触れたのである。白い柔肌の細首に、ガルムの硬い指がずぶずぶ埋もれてゆく。

 その痛みにピフラの表情が歪むも、指は緩まるどころか爪を鋭く立てた。


「赤目に会ったんですか……! まさか今日の男が……!?」

「いっ痛いっ! 痛いよやめて!」


 首の激痛でガルムの手を振り払う。

 しかし、すぐに手首を掴まれ握力を加えられて。

 彼を見やれば目を見張って口を引き結び、この10年で初めて見る顔をしていた。

 怒りと困惑、そして焦燥するような、複雑で余裕のない顔だ。


(赤目の人と会うのがそんなにダメな事なの? もしかして……自分の秘密をバラされちゃうから?)


 疑心はどんどん膨れ上がる。

 するとガルムは、掴んでいた腕を力任せに引っ張り上げた。

 そしてピフラを抱き上げ部屋を退出し、廊下をずんずん突き進んでゆく。

 一体どこへ運ぶというのだろう。

 ピフラの私室を離れ、書庫の前を通り、使用人部屋の前をも通り過ぎる。

 いよいよ行き先が分からなくなったピフラは、ガルムに言った。


「……ねえ、どこに行くの」

「姉上の新しい部屋です」

「わたしの部屋って……こんな場所に?」


 ガルムに連れて来られた場所、そこは地下牢に続く扉だった。

 自分は確か「新しい部屋」に連れて来られたはず。つまり新しい部屋は──地下牢ここ

 ピフラは、思い切り身を捩った。


「やめてよガルム! どうして地下牢なんかっ……わたしの言動がそんなに気に障った!?」

「それもあります。でもこれは、姉上を守るためです」

「地下牢で守るってどういう事よ……ガルム!」


 ガルムは聞く耳を持たない。

 非力なピフラはされるがまま、最奥の地下牢に押し込まれ、厳つい鍵で檻を施錠されてしまった。

 柵にしがみついて必死で抗議するも、ガルムは顰め面をするだけで。目の前で懇願するピフラを他所に錠前をべたりと触った。

 

 ──ボッ!!!!


 青い烈炎がガルムの手と錠前から上がり、柵が導火線のように炎を導く。

 柵から慌てて離れたピフラに、ガルムは赤い目を光らせ冷笑した。


「安心してください。結界の炎です。傷つける気はありませんから」

「ガルム……どうしてこんな事をするの?」

「言ったでしょう。姉上を守るためです」


 それだけ言い残し、ガルムは踵を返して地下牢を去った。

 向こうで閉扉へいひの音がして、薄暗い地下牢の中、ピフラは独りきりになるのだった。

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