第6話 オフィール
私は震えながら、城の屋上から成り行きを見守っていた。
デライラも言っていたが、どうしてこんなことになったのか分からない。私は自分の身柄を差し出してもらって交渉してもらうつもりだった。そうではなくなったが、怖い。怖くてたまらない。
蝶よ花よと育てられた覚えはないが、自分の命ではなく他人の命を背負うのはこんなに重くて怖いのか。デライラはずっとこの恐怖を背負っていたのか。
――情けないな、おい。プルプルして生まれたてのヒヨコか。
ライラックは罵りながらグイグイと容赦なく私の髪の毛を引っ張っているのだが、怖いものは怖い。自分の責任でこれから人がたくさん死ぬのだ。それなのに自分だけ安全な場所にいる。
あれから五日。
一気に情報が入ってきた。
私の父、つまり国王はすでに死んでいるらしい。
父の死は私の責任にされているようだ。私が王都に行って回復魔法を父に使うのを拒絶したから、父が早くに死んだのだと。
それで私が反乱を企てていることにされている。
私が父に回復魔法を使うのを拒絶したのは本当だが、かなり前のことである。いつ国王が死んでいたのかも明かされていない。
「とっかかりがアステアの差し金にしては、それなりの言い訳で攻めてきましたね」
隣で私の護衛をしているサムエルが双眼鏡を片手に、もう片手でナイフをいじくっている。サムエルを私につけたのはデライラだ。ロイドは情報集めに奔走しており、さっきすれ違った時は隈が酷くてあまり眠っていないようだった。
国王軍はすでに見えている。予想よりも進軍が早かった。
「よほど、私が邪魔なのだろう」
「婿殿が強い回復魔法持ちだったため、脅威に思うのも仕方がないかもしれません。エストラーダに押し付けておいて、潰しに来るとはなかなか滑稽ですな。あるいは、アステアと手を組んでいるのか……」
サムエルは魔の森の方向をちらりと見た。
これからは魔物が減る時期であり、先日の騒動でさらに魔物が減った森には戦闘に参加しない領民たちが避難している。領民たちを守るのはテオドールが指揮する部隊だ。
「勝負は一日で決める方がいいでしょう。王都の騎士がどのくらい強いか楽しみです」
「……あの軍を退ければ、戦いは終わるんだろうか」
戦いの恐ろしさに身が竦んで、少し楽しそうなサムエルに対して答えが分かり切ったことを聞いてしまった。
分かっている、そんなことはないと。
デライラたちが魔の森に入る時はこんなこと思わなかった。対人間になると途端に怖くなる。
「一旦は終わるでしょうがまた続きます。アステアも魔石の鉱脈は独占したかったはずですからその件は秘匿しているでしょう。万が一バレていたら、魔石狙いでもっと大勢で押しかけて来そうですねぇ。あの人数だなんてエストラーダも舐められたものです」
サムエルはこれから国に反旗を翻すのだというのに、朝食のメニューを読み上げるかのように軽く震えてもいない。それに兵力の差は明らかに倍はある。
「サムエルは強いから、そんなに余裕なのか?」
「恐怖に慣れたから、ですかね。いちいち怖がって震えていたら魔物には立ち向かえません。自分の命に見合うのか、命を懸ける価値があるのかなんて考えずただ目の前に立ちふさがる魔物を殺すだけですから。自分が殺されないために、家族が殺されないように」
サムエルは情けなく震えが止まらない私を見て、バカにするわけでもなく笑った。
「婿殿は正常ですよ。人も魔物も殺すのは怖いです。我々が正気ではない、狂っているのです。まぁ、あのバカのようなことはしませんが」
あのバカというのはセルヴァのことだろう。
セルヴァの裏切りは士気を下げるということで一部にしか明かされていない。セルヴァの家族は裏切りについては全く知らなかったようだ。もちろん監視はまだついている。
「商人とのやり取りをあのバカに任せるのではありませんでした。あんなにバカだと知っていれば、任せなかった。商人に扮したスパイを招き入れて、エストラーダの命運をよりによって他者に委ねようとするなど」
大きな音が聞こえたので下を見ると、デライラたちが捕えていた魔物を放ったところだった。
この五日の間に魔の森に入って捕まえて来た魔物だ。魔物に慣れていない王都の騎士たちの士気を落とすのと攪乱するために目を潰して使うと聞いている。
魔物が国王軍の方に走っていくのを見て、私はなぜかまた震えた。
「これは……果たして正しいことなのだろうか」
私はおかしい。
デライラたちに傷ついて欲しくないと言いながら、魔物が大して親しい者もいない国王軍に向かって走っていくのも恐怖してしまう。自分の選択で誰かが死ぬのが怖い。
「正しい、あるいは正義などどこにもありませんよ。あるのはただ、正義だと信じている塊の何か。どのみち勝った方が正義ですから中身や主張などどうでもよろしい」
サムエルの言葉はやや投げやりだった。
――今回の聖人はまともな感覚だな。
ライラックの呟きに似た声も聞こえたが、今はそれどころではない。
「すまない、こんな時にバカげた質問をして」
「いえ、婿殿は正常です。答えがないから答えられないだけで、むしろ変わらないでいただきたい。自分たちが正しい、相手は死んで当たり前だ、殲滅しようとなった時に人は怪物になるのでしょう」
「デライラが怪物だとか、エストラーダの皆が怪物だと言っているわけじゃない」
「皆、なりたくて怪物になるわけではないでしょう。周囲の状況がそうさせるのです。あのバカもきっとそう。デライラ様だって、竜殺しになったのは目の前で先代が殺されたからです」
――おい、無視するな!
私はライラックに蹴られていた。サムエルはライラックを一瞥して「相変わらず不味そうな鳥ですね」と不満げに言ってから、空を見上げる。
「私くらいになると、子供や孫たちに何を遺せるのかで戦っています。矜持も先代様との思い出ももちろんありますが。たまには、可能か不可能かを考えないで良いならば、怪物や狂った人間ではなく普通のジジイとして生きたいと思う時もあります。息子と嫁に鬱陶しがられて、たまに妻と旅行に行って喧嘩をして負けて、孫と遊んで、小遣いをねだられたらボケたフリをする。そして魔物の襲来など気にせず昼間から酒を浴びるほど飲みたい。そんな日常が来るといいですね。そんな平和な日常のためなら私はどんなに傷を負っても戦える。どんな怪物にもなりましょう」
サムエルはやや恨めし気にライラックを見た。ライラックもサムエルに負けじとメンチを切っているので、おかしな火花が飛ぶ。
――こいつ嫌い。隙あらば食べようとしてくる。
しばらく両者は火花を散らした後に、フンと顔をそむけた。
「婿殿も決めたらどうですか」
「え?」
「デライラ様は今回、決断しました。思えばあの方は今まで自分の意思だけで決断されたことなどなかった。先代が殺されて竜殺しとなり、テオドール様が他国へ行ってしまったから辺境伯になった。そして、ネルソン村の復興のために王命ではあったけれど婿殿と結婚した。ある意味、ずっと運命に翻弄されていた。でも、今回のデライラ様を見て安心しました。デライラ様は自ら国王軍に反逆すると決めたからです。他ならぬ、あなたのために」
「え……? でも、エストラーダのためでもあるはず……」
――うわ、こいつ気付いてなかったのか。半端なく鈍いな。
ライラックの声が頭に響くが、サムエルから伝えられた内容でさらに震えが止まらなくなった。
「皆を説得するためにエストラーダを引き合いに出されただけでしょう。明らかにあれは婿殿のためです」
「そんな……どうして……私だけあちらに引き渡して……ライラックは置いて行くって言ったのに……」
――おい、今なんつった。覚醒も遅かった上に失礼な聖人だな。
口の悪い不死鳥は置いておく。
サムエルは呆れたような表情を私に向けている。
「これ以上はデライラ様に聞いてください。これまでの一連の流れがすべて運命だったのだとしたら。そして我々が追い詰められて下してきた仕方のない選択の結果だったのだとしたら。そしてあのデライラ様がやっとご自分のために最も大切なものを決断されたのだとしたら。私はこの戦いの結果などどうでもいいのですよ。いい加減、受け取ったらどうですか」
――あー、ムカつくけど……このジジイは正しいな。今回の聖人は決断をしていても受け取ってはいない。だから覚醒が遅かったのか。だるいな。
「受け取るって……一体何を……」
「あなたはすでに我々の大切な家族で、デライラ様にとっては……何なのでしょうね」
最後の方は含みのある様子だ。
私は、聖人にも国王にもなりたくなどなかった。回復魔法だってどうして使えるのかわからないし、ライラックだって従えているわけではなく蹴って齧ってくるだけだ。
私は特別な存在じゃなくて良かった。王子でもなくて良かった。ただ、デライラの正式な夫になりたかった。でも、実はその座はこの世で最も特別だった。
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