第4話 オフィール
張りつめたような声に私は驚いて距離を取ったが、デライラは動かず視線だけを後ろにすっと向けた。
ライナーともう一人、ロイドまでこちらに走ってきていた。
「どうした」
ロイドを引き離して先頭を走って来たライナーは難しい顔をしている。一瞬だけ私とライナーの視線が絡んだがすぐにデライラの方に逸らされた。よくよく見れば、ライナーとロイドの間には飛び跳ねるライラックがいた。
「すまん。なぜか魔物が出たから報告に来た。でかいし数が多くて、皆祭り気分だったせいもあって人数が集まらずに苦戦してる」
「分かった」
デライラは頷いてすぐに立ち上がると、ライナーとともに走り去ろうとして私を振り返った。
「行ってくる」
「あ、き、気を付けて」
私がたどたどしく答える頃には、彼女の背中とはかなり距離ができていた。
ロイドが少し息を切らしながら入れ替わりに私のところにやって来た。ついでにライラックはその少し前に到着して私に向かって抗議の声を上げながら足を蹴っている。
「被害状況が分からないんだけど、いつもみたいに救護のところに行って待機でいいかな?」
「そこまで手が回っていないので今から行きましょう! どうやら急に大きな魔物が森から現れたそうで少しパニックになっています!」
「ロイド、デート中だったんだろう? それなのに呼びに来てもらって悪いな」
「え? そ、そんなんじゃありません。知り合い! そう、ただの知り合いですよ!」
「まだ知り合いなのか。祭りの最終日に告白して恋人になったり、夫婦になったりする男女が多いそうだが」
「殿下が辺境伯様と順調だからと、すべて色恋沙汰に結び付けないでください」
ロイドは走ったせいか顔を手で仰ぎながら反論してくる。なんだろう、今なら私に「可愛い」と言うデライラの気持ちが少し分かる気がする。ロイドはなぜだか必死に否定しているように見えた。今なら、ロイドを羨ましいとは思わなかった。可愛いと思えた。
一緒に小走りで丘を下り始めたが、ライラックは機嫌が悪いのか私の頭ではなくズボンに張り付いて嘴でずっと太ももあたりをつついてくる。地味に痛い。そんなに文句を言うなら私から離れなければいいのに。
そこまで考えてから、心が沈んだ。
私もライラックみたいに抗議すれば良かっただろうか。ライラックはこう見えて素直だ。直情的とも言う。
デライラにもう少し一緒にいてくれと言えば良かっただろうか。
そんなこと、できるわけがない。ドラゴンは出現していないが、祭りの前に魔物をかなり間引いており例年祭りの最中に魔物は出ないようにしていると聞いている。
今日は皆、酒を飲んで楽しかった雰囲気が壊されたのだ。くつろいでいる時に急に大きな魔物が現れたら怖いだろう。自分だけ被害者のように振る舞えるわけがない。ロイドだってデートの最中だったのだし。
領民の命がかかっているのだ。私と仕事どっちが大切なの、なんて言えるわけがない。言っていいわけがない。
彼女なら生まれ育ったエストラーダの誰をも絶対に死なせないだろうし、ケガだってさせたくないだろうから。
それでも、少しだけ。ほんの少しだけ考えてしまう。
こんなことを元王族の私が考えてはいけないのに。彼女にとっては、明らかに押し付けられたぽっと出の夫である私よりもエストラーダと領民たちの方が大切だ。
私は……国よりも国民よりも彼女のことが大切なのに。王座よりも国民よりも国よりも迷いなく彼女を選ぶのに。彼女に愛されたい一心で。
私は彼女に愛されたくて寄り添いたいのに一体何をしているんだろう。こんなところでチマチマと走ってウダウダと考えて。
今、彼女に寄り添っているのはライナーじゃないか。私は彼女の帰りを待つことしかできない。彼女が飛び出して行っても、無事を祈ることしかできない。なんて無力なんだろう。私はただ、デライラの愛が欲しいだけなのに。
「あ、あれは!」
ロイドが急に声を上げ、信じられないといった風に一点を見つめる。
私もそちらを見て、思わず息が止まりかけた。
魔の森から白い煙が上がっているではないか。
「そ、そんな! さっきまではそんなこと! い、急がないと!」
ロイドが焦って足をもつれさせて転んだ。
私はロイドを助け起こそうとしながら、魔の森に目を凝らす。
「ロイド、なんだかおかしい」
「え? ドラゴンがもう?」
「いや、煙だけで燃え盛る炎が見えないんだ。それにあそこは風が強いのに燃え広がる速度が遅い」
「え、ではもしかして……」
「発煙筒かもしれない。あの煙で驚いて魔物が奥から出てきたという可能性は?」
「そ、そうかも……しれません」
「とにかく、何が起きているか分からないから急ごう」
「発煙筒なら子供のいたずらでしょうか……」
心臓がすでに痛い。
もしかしてまた王妃と異母弟の手先だろうか。実りの祭りで気が緩んでいる時を狙ったのか? じゃあ、これはまさか私のせいなのか。それかもしや……デライラの兄であるテオドールが絡んでいるのだろうか。
嫌な予感がぐるぐると頭を回る。
ロイドを抜かして私は珍しいほど必死に走った。こんなに嫌な予感がするのなら、さっき行かないでほしいと言えば良かった。
丘のふもとまで駆け下りる。
陽気な音楽はもう止まったようで聞こえなかったが、人々の悲鳴も聞こえず静かだった。阿鼻叫喚の図にはなっていないようだ。
後ろから追いついてくるロイドの足音が聞こえないので振り返った。ライラックはやっと気が済んだのか、私の服に爪を引っかけてよじ登り上着のポケットに入り込んでいる。
「ロイド!」
なぜかロイドが十歩ほど後ろにうつぶせで倒れていた。
そんなに速く走っていないはずなのに、倒れるほどきつかっただろうか。ここまでライナーに引っ付いて走って来たからだろうか。
駆け寄るが、途中でロイドが顔を上げて首を横に振る。
しかし、疑問に思う前にロイドのところまでたどり着いてしまう。
「でんか、にげ……」
そんな声が聞こえ、私の目はそこでやっとロイドの足に刺さった吹き矢を映した。
「あ……」
ロイドが走り疲れて倒れたわけではなく、何者かからの攻撃を受けたのだと気付きおかしな声が出た。王宮では命を狙われることは日常茶飯事だったのに、エストラーダ領でそんなことはなくなったせいかこの感覚を忘れていた。
慌ててしゃがんでロイドに触れて回復魔法を使う。危険だが、ロイドを死なせるわけにはいかない。
しかし、使っているのと同時に首に衝撃を感じた。
勝手に意識が飛びそうになる。
薄れる意識の中で見えたのは彼女と同じ紫紺の髪と温度のない灰色の目だった。
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