第二十九話:傲慢なる慈愛




「せ、聖女様!」


 突然現れた呼葉にギョッとなるウィル院長は、思わずサラを振り返り、彼女の動じていない様子を確認して『そういう事か』と得心する。

 そしてシドは、何故かテューマの眠るベッドの後ろに隠れた。


「なにしてるの? シド」

「まずい」


 サラの問い掛けに声を潜めて返すシドは、自分がここにいる事を知られてはいけないのだと言う。


「だからって、いまさら隠れても仕方ないでしょ」

「まだバレてない」


 呼葉は、そんなシド少年の唐突なポンコツ化に思わず噴き出しそうになりながらサラ達のところへ歩み寄ると、ベッドの陰から頭が見えているシドに声を掛ける。


「ねえ、今の話、詳しく聞かせてくれないかな?」

「に、にゃ~」


 シドは猫の鳴き真似をした。


(なにこの子、かわいい)


 工場の支配人、グリント氏の懐刀的なやり手の密偵かと思いきや、ゆるキャラ系だったわと苦笑する呼葉に、ウィル院長とサラがシドの身の上話を聞かせてくれた。

 実は彼は隣国で売られていた奴隷孤児だったらしい。


 オーヴィスでは慈愛の精神を謳った神殿の教えに背く行為である『奴隷の商取引』は認められていないが、余所で買って来て所有するだけなら取り締まりの対象にはならない。

 あからさまな抜け道仕様ではあるものの、奴隷を所有出来るだけの財力を持つ上流階級層の不満を抑えられる公正な取り決めとして、国内での売買は違法、所有は合法という制度がとられている。


 隣国の山沿いにある国境に近い村に住んでいたシドは、物心がつく頃から山で獲物を狩るために、また危険な獣から隠れるために気配を消して移動する術を身に付け、さらには侵攻してきた魔族軍から逃げるために進軍ルートなどの情報を探り出すという、密偵としての天性の素質を持っていた。


 着の身着のまま住んでいた村から近くの街まで逃げて来たシドは、そういった優れた素質はあれど学も無く、基本的に田舎者の世間知らず。

 身寄りも無い彼はたちまち街の奴隷商が預かるところとなった。


 もっとも、保護者もおらず住む場所も失ったシドにしてみれば、そこは新たな生活の場を探してくれる斡旋所のような認識だったが。


「そんな折り、商談で隣国を訪れていたグリント氏工場の支配人が、彼の持つ技能を見込んで買い取って来たようです」


 ウィル院長の説明に、呼葉は「なるほどね」と頷く。呼葉はこの国――この世界の奴隷の事情についても詳しくは知らなかったが、ここでの説明で概ね理解できた。

 ふと見やれば、シドはベッドの陰から半分顔を出してこちらを窺っている。


(この子を味方に付ければ、神官長達の不正の調査も捗りそう)


 そう考えた呼葉は、シドの説得を試みた。


「ねえ、あなた私達のところに来ない?」

「?」


 グリント支配人やイスカル神官長よりも立場が上の『エライ人』でもある聖女に、仕えてみないかというお誘い。


「無理」

「そこを何とか」


 何だか他愛ない頼み事をしているかのような呼葉とシドのやり取りの軽さに、しばし唖然としていたウィル院長は、我に返るとシドが置かれている立場について呼葉に説明した。


「聖女様、シドには『隷属の呪印』が施されているので、自分の意志だけで仕える相手を変える事は出来ないのです」


 登録した相手に服従を強いる為の奴隷印で、主人に逆らったり反抗の意思を持つと激痛をもたらせる呪いなのだという。


「ああ、そんなのあるんだ?」

「痛いからやだ」


 シドは何度か意図せず発動させた事があり、それで痛い目を見ているのでグリント支配人の意に反する行動や考えはしたくないらしい。

 呼葉はウィル院長に訊ねる。


「呪いなら解呪できないの?」

「専門家でなければ難しいでしょう」


 簡単な呪い程度であれば、自分のような位の低い神官にも解呪は可能だが、奴隷に施される呪印はかなり強力なものだ。

 なので呪印を施した呪術士本人か、同レベルの腕を持つ呪術士、もしくは高位の神官であればあるいは――という難易度だそうな。


「解呪しようとして失敗したら、何か危ない事ってある?」

「いえ、特には」


 かなり特殊な例では、呪印の上から封印を重ねるなどして、術が解かれると術士に報せが届いたり、別の術が発動するといった仕掛けもあるらしい。

 が、そういうのは国家間を暗躍する特殊な諜報員に施されたりするもので、一般的な奴隷の呪印にそこまで念入りな事はしない。


「そっか。じゃあ試しに解呪してみて」


 呼葉はそう言ってウィル院長に『聖女の祝福』を与える。


「!? こ、これはっ」


 まるで身体の奥底から力が湧き上がって来る感覚。神殿で祝福を受けて正式な神官になった時に与えられる『神氣』。普段は微弱にしか感じられないそれが、自身という器にあふれるほど満たされていくのが分かる。今なら、不浄の地を彷徨うという不死の亡者アンデッドも浄化できそうだ。

 驚き混じりで不思議そうに自分の手を見詰めているウィル院長に、呼葉が問う。


「聖女の祝福だよ。それならシド君の奴隷印とやらを解呪できそう?」

「た、確かに、これほどの力であれば……しかし、持ち主に断りもなく解放してしまうのは……」


 グリント支配人はまがりなりにも、正当な手続きと取り引きを経てシドを所有している。

 一個人の財産でもあるシドを、相応の理由も無く一方的に放棄させるような行動には、問題があるのではないかと躊躇ためらうウィル院長。

 サラもシドの事を気に掛けてはいるものの、その辺りの認識はウィル院長と同意見らしく、戸惑いを浮かべた様子で呼葉と院長のやり取りを窺っている。


「そっか。うん、二人に良識があるのは良く分かるよ」


 呼葉は、ウィル院長達の言い分も理解できるとしながらも、今は人類の存亡が掛かった戦時下。現魔王が支配する魔族との戦いが終わるまで、人類の救世主たる聖女の意向は何よりも優先される。


「私は聖女で救世主だからね」


 勿論それは建前で、実際は聖女を召喚した国家の、時の為政者によって、救世の方針や活動が決められると、誰もが分かっていた。だが、呼葉はそこを建前で終わらせるつもりはなかった。


(この世界に勝手に連れて来られて戦わされてる時点で、自重する理由はないもんね)


 たとえ傲慢と言われようと、聖女としての自分の意向を、この世界の全ての人類に押し通す。


「責任は全部私が持つから、シド君の呪印の解呪お願い」

「わ、分かりました。そこまで仰られるなら……やってみましょう」



 かくして、シドの『隷属の呪印』は聖女の祝福を受けたウィル院長によって解呪された。


「どう? なにか変わった?」

「……」


 体調に変化は無いかと呼葉に問われたシドは、少し考える素振りをすると、おもむろに呟いた。


「グリント様はカツラ頭…………痛くない」

「なかなか斬新と言うか残酷な確かめ方したわね」


 呪印が解呪されている事を『グリント支配人の意にそぐわない言葉』を発して確かめたシドは、苦笑している呼葉に訊ねる。


「シドはなにをすればいい?」

「とりあえず、あなたが知ってる事を全部教えて?」


 今後の事やシドの役割は、それから決めましょうと微笑み掛ける呼葉なのであった。



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