第6話 心満たされるとき

「ほな、親子のやり直しっちゅうことで、スパークリングでも開けよか」


「姉ちゃん、手伝うわ」


 世都せとりゅうちゃんが立ち上がると、高階たかしなさんも「ほな」と軽やかに腰を上げた。


「俺は帰るわ。小柳こやなぎさん、坂道さかみちさん、このお仕事はこれにて終了ってことでええですか? 報告書はあらためて書かしてもらいますんで」


「はい」


 お父さんとお母さんもすっくと立ち上がる。揃ってかしこまった表情だ。


「ほんまに、これまでありがとうございました」


「ありがとうございました」


 ふたりは深く、高階さんに頭を下げた。世都は面食らう。このふたりがこんな風に他人にへり下る様を見たことが無かったからだ。龍ちゃんも驚いたのか、目を瞬かせている。


「いやいや、こっちは仕事ですから」


 そう言いながら、どこかへらへらと手を振る高階さんは、きっと両親に気を使わせない様にしているのだろう。それはきっと、世都と龍ちゃんにも。


「高階さん、良かったら一緒に飲んで行かれません?」


 世都が言うと、高階さんはきょとんとした表情を浮かべる。が、すぐにへらりと目尻を下げた。


「遠慮するわ。言うても家族の団欒だんらんやし」


 高階さんがそう言うのを見越して、世都は冷蔵庫からとある瓶を取り出した。


「……獺祭だっさいの、にごりスパークリングですよ?」


 そう挑む様に言うと、高階さんは「うわっ」と声を上げた。


「めっちゃええやつやん! そんなん言われたら断られへんやん? 女将ってそんないじわるやったか?」


 そう言いながらもだえる高階さん。両親はそんな様子を見てぽかんと目を丸くしていた。


「はいはい。入れますから、おとなしく座っててくださいね〜。お父さんとお母さんもやで」


 お父さんたちは呆気にとられたまま世都に促されてそろりと腰を降ろし、高階さんも「あー、もうっ」と言いながら元の椅子に掛けた。


「そんな人質取るみたいに。ほんま女将はしたたかやわ」


「はーい。これが私ですからね」


 そんなやりとりに、龍ちゃんはくつくつと小さく笑いながら、ワイングラスを用意する。両親は呆然と世都たちを見ていた。


 獺祭にごりスパークリングは、3種の容量で展開している。ひとりのお客さまに出すときにはいちばん小さい1合瓶を開けるのだが、今回は5人分なので、いちばん大きい4合瓶を開ける。それを5客のワイングラスに均等に注いだ。1合には少し足りないが、軽く飲むぐらいだから充分だろう。


 程よい高さまで淡い乳白色で満たされたワイングラス。ひとつをカウンタ越しに高階さんに渡し、4客は世都と龍ちゃんがそれぞれ2客ずつ手にして、ソファ席へと戻る。


 世都の2客は両親の前に。世都は龍ちゃんからひとつを受け取った。


 お父さんたちも、ワイングラスを持ち上げる。世都は全員の顔をぐるりと見渡した。


「何に乾杯とかよう分からんけど、これからええ感じにやってこうってことで。かんぱーい」


 世都が軽くワイングラスを掲げると、皆も「乾杯」と倣った。世都はそのままワイングラスに口を付ける。流れ込んで来るのは華やかな香り、お米の甘さ、そして炭酸の爽やかさ。世都はつい「ほぅ……」と息を吐いた。


「やっぱ美味しいわ、獺祭スパークリング」


「ほんまやな」


 龍ちゃんも目尻を下げ、カウンタ席では高階さんが「やっば、旨っ」と言いながらワイングラスをぐいぐいと傾けていた。お父さんとお母さんもその美味に驚いたのか、顔を合わせて目を丸くしていた。


「女将、金払うから、もう1杯入れたって」


 高階さんは言って、空になったワイングラスを掲げた。


「もう飲まはったんですか? 一応日本酒ですよ。スパークリングの中では度数も高めやし」


 世都は驚きつつも立ち上がる。高階さんはお酒に強いので、多少のことでは問題無いだろうが。


「同じグラスに入れちゃいますよ〜」


「かまへんかまへん」


 世都は冷蔵庫から獺祭にごりスパークリングの1合瓶を出し、栓を抜いた。


 お父さんはそんな世都を見て、ぽつりと言った。


「良かった。高階さんから報告をもろてたときも安心しとったけど、こうしてじかに見れて、ほんまに安心したわ」


「安心て。どうしたん」


 世都が笑いながら言うと、お父さんは穏やかな表情で目を伏せた。お母さんも横でゆったりと微笑んでいる。


「高階さんは世都から見たら、ここの常連やろ。そんな風に接客できてるんやな、客とええ関係を築けてるんやなって」


 すると高階さんが「ええでしょ」と得意げな顔になった。


「ちゃんと線引きをしつつ、でも気安うて、龍平くんは口数は少ないけど、そんな女将をええ感じに支えてる。ええ店ですよ、この「はなやぎ」は」


 手放しで褒められて、世都は照れ臭くなってしまう。そして高階さんがそんな風に思ってくれていることが嬉しかった。例えお世辞せじが混じっていたとしても。


「もう、そんなこと言うてくれはっても、獺祭もう1杯どうぞ〜なんてなりませんからね」


「お、もっと褒めたら良かったか?」


「ほんまに調子ええんですから」


 世都はおかしくなってくすくす笑う。高階さんも楽しそうに「わはは」と声を上げた。




 後日、世都は伯母ちゃんに連絡を取り、時間を作ってもらって、お父さんたちと揃って会いにお家に行った。土曜日の16時ごろのことだった。


 純和風の応接間で、飴色の座卓を挟んでお父さんとお母さんからの話を聞いた伯母ちゃんは「へぇ」と目を丸くした。


「そう落ち着くことにしたんか。ええんちゃう? やっとあんたらも、親の自覚が出たんやったら良かったやん。遅すぎるけどな」


 伯母ちゃんはそう言って豪快に笑う。お父さんたちは恐縮しっぱなしである。


「ま、遅うても早ようてもかまへん。大事なことを思い出したんやかなら。ちゅうわけで、今夜は宴会やな。ついでに冷蔵庫掃除しよ。寒いし鍋しよ鍋。鍋やったら何入れてもええやろ。冷凍の鶏ももと牡蠣かきあんで。業スーの水餃子もあるわ」


 伯母ちゃんの程よい大雑把さが出て、世都も龍ちゃんもつい含み笑いをしてしまう。お父さんとお母さんは呆気に取られていた。


「……姉さんには敵わんなぁ」


 お父さんは頬を緩ませて、お母さんは「ありがとうございます」と小声で言って、神妙に目を伏せた。


 世都は良かったな、と心から思う。両親には期待できないと諦めていたところもあった。それでもこうして関わりを持てる様になって、嬉しいと思っている自分は、やはりこの歳になっても奥底で親というものを求めていたのかも知れない。


 調子が良い、そう思った。今さら、そんなことだってもたげる。密な関係は築けないかも知れないが、親が子を思ってくれることは自信になる。祖父母とはまた違う感情を受け取ることができるのだ。


 世都は生まれて初めて、心が隅々まで満たされている様な気がした。

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