第4話 思い出したこと

 お父さんはあらためて口を開く。


「私もめぐみも、今年定年退職するんやけどな」


 ああ、両親ももうそんな年齢か。昨今は65歳定年の企業も増えているそうだが、確かお父さんとお母さんが勤めている会社はそれぞれともに60歳だったはずだ。そんな記憶がある。ちなみにめぐみとは、お母さんの名前である。


「私が6月で、めぐみが4月や。せやからもう、ここ何年かぐらいからゆっくりと引き継ぎを始めて、もう今は長期の大きな仕事は回ってこん様になっとる。そうなったら前より時間ができてな、……考える様になったんや」


 お父さんは言葉を切ると、お母さんに気遣わしげな視線を送った。


「このままひとりで、寂しい老後を過ごすんやろかって」


 そうだ、もう老後を見据えても良い歳だ。今はまだばりばりお仕事ができるほど元気だが、身体だってじわじわと自由が利かなくなって行くかも知れない。


 矍鑠かくしゃくとしている人を見かけることも多いし、テレビで鉄棒の大車輪をしているお爺ちゃんを見たときには目を剥いたりもしたが、自分の両親がどうなるかなんて分からない。予想なんてできるわけが無いのだ。


「私もめぐみも、先々は両親、あ、世都せとらにとっては祖父ちゃんたちみたいに施設とか高齢者向けのに行こうと思ってる。親父たちを見て、私らも世都らに迷惑掛けられへんと思ってな」


 お父さんのこの言葉に、世都は少なからずほっとしてしまった。冷たいだろうか。だがやはり、世都とお父さん、お母さんの間には、信頼関係があまり築けていないのだ。りゅうちゃんもきっとそうだと思う。


「でもな、ふと思ったんや。今までずっと仕事ばっかりの私らに、何が残されてるんやろうって」


 お父さんは苦笑する。いや、お仕事に邁進まいしんしていれば、それなりの成果だってあるだろう。慕う人だっていると思う。確かにお父さんとお母さんは親としての評価は難しいかも知れないが、お仕事では相応のものが生み出されているのでは無いのか。


「世都も龍平りゅうへいも、ここ近年姉さん、あ、伯母さんの家に行ってるやろ、正月と盆に」


「うん。お邪魔さしてもろてるけど」


 それは、一応世都からもお父さんに連絡だけはしていたことだ。伯母ちゃんはお父さんのお姉さんだから、義理のつもりで知らせていた。


 きょとんとした世都に対して、お父さんは何度目か分からない苦笑を浮かべる。


「姉さんからも連絡もろたんや。これから私とめぐみがどうなろうが知ったこっちゃあらへんけど、世都と龍平はそうもいかん。親代わりやなんておこがましいけど、血縁としてできることをやる。あんたらは邪魔すんな、って」


 さすが伯母ちゃん。情が厚くて辛辣だ。義理と責任を果たさないお父さんたちはばっさりと切り捨て、寄る辺を無くした世都たちには手を差し伸べてくれるのだ。


 世都も龍ちゃんも、実家を出たときにはとうに成人していたのだから、自立していて当たり前だ。だがいざというときに頼れる先が姉だけ、弟だけだという状況。親は健在なのに当てにならないなんて。


 世都たちにとってそれは当然の世界ではあったが、伯母ちゃんから伸ばされた手は、世都たちを癒してくれたのだ。


「そんときは、何も思わんかった。私もめぐみも忙しかったから、休めるときには休みたかったし、勝手にやっとってくれたらええわって。でも少し余裕が出て来たらな、世都と龍平のことを思い出したんや」


 思い出したって。世都はつい苦笑いしてしまう。この両親に親としての役割りを期待していたわけでは無いが、ほとんどの親というものは、いつでも子どもを思っているものでは無いのか。それともそれは世都の幻想なのだろうか。


 お父さんもお母さんも、すっかりと肩を落としてしまう。お母さんはまだ一言も発していないが、気持ちはお父さんと同じなのだろう。


「世都が産まれたとき、龍平が産まれたとき、どっちもめっちゃ嬉しかったんや。可愛くてなぁ。それやのに何でこんなことになってしもたんかなぁって」


 それはお祖母ちゃんたちからも聞いてはいた。確かに産まれたばかりの我が子は愛おしかったのだろう。だがきっとふたりは、それと育児の現実が直結しなかった。自分たちがしなければならないことなのに、押し付けあっていたと聞いていたから、自分ごととして捉えてはいなかったのだろう。あくまで世都の想像でしか無いが。


「世都、龍平とこの店始めるとき、知らせてくれたやろ」


「うん」


 それも子としての義理だと思ったからだ。お母さんへは龍ちゃんが知らせたはずだ。


「ふたりがどんな店しとんのか、どないしとんのか気になって、高階たかしなさんとこに相談したんや」


「うん、そっからが俺の出番やな」


 世都が視線を向けると、高階さんは軽い調子でにっと口角を上げた。

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