第3話 アイドルの遺伝子

 相川あいかわさんのお相手は自分の両親に、相川さんを紹介してくれた。いつになるか分からないが、将来結婚したいと思っている、と。


 するとお父さまは好印象だったらしいが、お母さまが難色を示したのだった。


 お相手いわく、お母さまは箱入り娘で働いたことが無く、お金の苦労をしたことが無いのだそうだ。だから奨学金を、借金を受けてまで何かを成し遂げることに理解が無いとのことだった。


 親なら、自分の子どもの幸せを願うのは当然のことだ。だからお母さまがうとんでも不思議では無い。


 返し終わっているなら大丈夫なのだろうが、結婚したとなったら、返済のお金はどこから出るのか、それは大きな問題だと言えた。


「私は結婚しても仕事は続けるつもりでおります。奨学金はもちろん自分の稼ぎから返して行きます。お相手にもそう話してますし、納得してくれてます。生活費と貯金と家事は折半せっぱん、残りがお小遣いで、そこから返済します。それでもやっぱり、心象は悪いもんなんでしょうね……」


 相川さんはそう言ってうなだれる。そんなかげりのある相川さんもとても美しく、世都せとは不謹慎ながらも見惚れてしまいそうになった。


 今の相川さんは、きっとお仕事にも真剣に打ち込んでいる。奨学金を借りてまで学びたかった学問で、その研究を続けるために大学院博士はくし課程にまで行ったのだ。大学4年間で卒業して民間の研究所に行く道だってあったが、大学には相川さんが尊敬している教授がいるのだそうだ。そう以前教えてくれた。


「なんで、アルバイトとかして前倒しで返済をとも思ったんですけど、私は国立大学の職員です。副業できないんです。公務員や無くなったんですけど、扱いとしてはみなし公務員なんで。今のお給料から返済額を増やそうと思ったら、もっと節約するか、貯金額を減らさなあきません。今の私は貯金が無いんが不安なんです。結婚資金もそうですけど、やっぱりたいがいのことはお金でどうにかなりますから」


 その言葉に、世都は違和感を持った。金の亡者というわけでは無いが、お金に固執しているのだろうかと思わせるせりふに聞こえたからだ。


「相川さんの親御さんは、何て言うてはるんですか?」


 世都の問いに、相川さんは苦笑を浮かべた。


「おらんみたいなもんです。私、ネグレクトに遭うてたんですよ。母子家庭で、私、母に望まれて産まれたんや無いんですよ」


 あまりのことに世都は言葉を失う。育児放棄、虐待では無いか。相川さんの背景はかなり過酷なものの様だ。なのに相川さんはお箸の使い方も綺麗だし、とてもお行儀が良い。きっと相当苦労をしたのだろう。


 本来親御さんから受けられる愛情や教育を受けられなかった。それでもきっと相川さんは奮起し、自らを育て上げた。


 やはり、相川さんはとても聡明な人なのだ。


「母はね、昔はアイドルやったんですって。10代の後半でデビューして、でもなかなか売れへんかったみたいなんですけど。そんなときに私を妊娠してしもうて、気付かずにおったらお腹が大きくなってきてしもて、もう堕ろせんくなってしもて。そうなったら事務所も当然解雇ですよねぇ。で、泣く泣く引退して大阪に帰って来て、私を産んだんですけど」


 相川さんは言葉を切って、グラスを傾けて形の良い唇を湿らせた。お母さまがアイドルだったということは、きっと容姿も整っているのだろう。相川さんはお母さま似なのだろうか。


「最初は良かったんですよ。祖父母がおったんで。でも私が小さいころにふたりが相次いで亡くなって、母はひとりで私を育てなあかんくなった。そしたらもうめちゃくちゃですよ。母はずっと、「何で私がこんな目に」て思ってたから、その鬱憤うっぷんが全部私に来たんですよね。それでも転機が来て。母が実業家の男性と結婚したんですよ。私が中学生のころです」


 お母さまは大阪堂山町どうやまちょうのクラブでフロアレディをして生計を立てていたそうだ。堂山町は大阪梅田の一大繁華街、阪急東通はんきゅうひがしどおり商店街を通り抜けたところにある歓楽街である。西日本最大のゲイタウンとしての顔も持つ。


 お母さまの結婚相手はそのクラブのお客さまである。お母さまは若くして相川さんを産んだので、当時もまだ若くて綺麗だったのだろう。もちろん元アイドル由縁ゆえんの愛想の良さなどもあったのかも知れない。


「母は私の存在を隠して、結婚して。それから母は家に帰って来んくなりました。私ももう中学生になれば自分のことも家事もできるんで、お金さえあればひとりでどうにかなるんで。最低限の生活費だけは渡してくれたんです。少しは罪悪感もあったみたいですね」


「でもそれやと、住民票とか戸籍とかで、相手の男性にばれたりせんもんなんですか?」


「しないんですよ。子連れ結婚で相手の籍に入る場合、結婚届だけやと、子どもは元の戸籍のままなんです。相手の戸籍に入るためには別の手続きがいるんですよ。それに母は初婚でしたしね。戸籍にバツも付いて無いんで」


「なるほど……」


 世都はこの辺りにうといので、初耳なことばかりである。と同時に、相川さんのお金に対する感情にも納得がいった。お母さまがどれだけのお金を相川さんに渡していたかは分からないが、お金があるからこそ乗り越えられた局面も多かったのだろう。


 そんな生活の中で、相川さんは学問をこころざし、それをやり遂げ、今も邁進まいしんしている。本当に凄いことだと世都は思うのだ。

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