10話 精神支配と赤い竜(2/6)

「リー……バ……」

俺の口が勝手に動く。

おい、俺に何を言わせようとしてるんだ!!


「あっ、ズルはダメなのっ!」

シェルカが俺とリーバの間に手を出そうとする。

それを止めたのはニディアだった。

「危ない!」


ニディアにぐいっと引っ張られて、シェルカがニディアごと倒れる。


『危ない』ってなんだ!?


「ぼくがやる」

近くで聞こえた声はケトか?


くそっ、体がまるで動かない!


指一本すら動かせずに焦る俺の心を置き去りにして、俺の口は言葉を続けていた。


「が、いち、ばん……」


俺を満足そうに見上げていたリーバが、突然目を見開く。

ぼんやり見える視界の中で、リーバは鼻と口を透明な何かに覆われていた。


「んっ、んんんっ」

リーバがジタバタもがく。

スッと何かが抜けた感覚がして、俺は体を動かせるようになった。


顔を上げると、ケトがこちらに向けて開いていた手を下ろす。

すると、リーバの顔を覆っていたどろりとしたものはケトの手の内に吸い込まれて消えた。

ん? 一瞬見えたケトの髪の下、なんか目がいっぱいなかったか?


「ぶぁっ」

リーバが俺の膝の上に両手をついて、ぜぇぜぇと肩で息をする。


えーと、この場合……。

リーバには厳重注意をするとして、ケトはどうしたものか……。

俺を助けてくれたのはわかる。

だがお友達を危ない目に遭わせるのは良くない。


……とはいえ、シェルカを突き飛ばしたニディアの事だって、理由が理由なだけに叱るわけにもいかないしな……。


俺は迷いながらもケトに「ありがとう」と礼を言う。

ケトは俺の顔を見て、一瞬驚いたような顔をして、それから恥ずかしそうに部屋の隅を見ながら言った。

「ん。困ってた、みたいだから……」


「ああ、助かったよ。ケトは、周りをよく見てて偉いな」

こんな風に、さりげなく他の子を見てるケトのような子がいてくれると、本当に助かるんだよな。

誰かが怪我をした時、どんな状況だったのか、こういう子だけが見てたりするからな。


「シェルカは大丈夫か?」

俺はシェルカの方を振り返る。

シェルカは床から顔を上げて答えた。

「うん、ニディアが助けてくれたから、大丈夫。ありがとう、ニディア」

「このくらい、礼には及ばない」

そう言ってニディアはサッと立ち上がるとシェルカに手を差し出す。


うーん、まるで王子様だな。

シェルカがニディアの手を取って立ち上がる様を見ていると、ライゴが慌てて俺に駆け寄る。

「ヨーヘーは大丈夫? 僕リーバちゃんに逃げられちゃって……、ごめんね……」

申し訳なさそうに頭を下げるライゴ。

そのふわふわの頭を撫でながら、俺は答える。


「大丈夫だよ、ライゴのせいじゃない。むしろ、さっきは本当に助かったよ、よく気がついたな」

心を込めて礼を言うと、ライゴも笑顔を見せてくれた。

「うんっ」


「ヨーヘー、そいつにはそろそろ、やっていい事と悪い事を教えてやった方がいい」

ニディアが俺の膝の上でようやく息を整えたリーバを指して言う。

人を指差してはいけません。ってのはこっちの世界の常識ではどうなんだろう。

後でザルイルに聞いてみるか。


「ああ、そうだな」

俺は首にピッタリ巻きついている首輪に触れて『支配抵抗』と唱えた。


ザルイルいわく、これで精神支配に“ある程度”抵抗できるし、抵抗できないほどの支配があればザルイルに連絡が入るらしい。

保育中は常時使っていていいとザルイルには言われたんだが、なんだか力を無駄遣いさせるのが勿体無くて、危険を感じたら使おうなんて思ってたんだよな。

……完全に失敗した。


ニディアが「ボクたちは外で遊ぶか」とライゴとシェルカを見る。

「うん」「行こう」と二人が答えた。

「ケトも一緒にどうだ?」

ニディアに誘われたケトはしばらく迷ってから「ぼくは、ここにいる」と答えた。


「そうか、頼むぞ」

ニディアの言葉に、ケトがこくんと頷く。


ん? それって、もしかして俺のことか?


背を向けかけたニディアが、ふと振り返ってシェルカの顔を見る。

「いや、シェルカは新しい目が開いたばかりだな、慣れるまで走り回るのはやめた方がいいか」

そうか、ニディアは目が六つだもんな、開眼経験者か。

「ボクともあろう者が、祝意を伝えるのが遅くなってしまったな。シェルカ、開眼おめでとう」

「えへへ、ありがとう」

はにかむシェルカを少し寂しげな目で見つめたライゴが、ポンと手を叩く。

「じゃあさ、向こうのお部屋行こうよ、僕、新しい遊びを考えたんだ」

「ほう、聞いてやらんこともない」

「シェルカも聞きたいー」


もしかして……、お誕生日のように、開眼の時には開眼おめでとうの会をやるべきものなのか??


改めて思うが、この世界は俺には分からないことだらけだな。

一度、この世界の常識が書かれた本だとかを読んで勉強するべきなのかもしれない。


俺がそう考えている隙に、リーバが俺の膝からにゅるんと抜け出そうとする。

俺はすかさずリーバを抱き上げた。


「ヨーヘー……」

リーバが俺からじわりと視線を逸らそうとする。

……って事は、少なくとも悪い事だとは分かった上でやったって事だな?


「えと、りぃば、むこうであしょぶ」

リーバが皆の向かった先を指差す。


「リーバは少ぉぉし、俺とお話ししような?」

ギク、とリーバが体をこわばらせる。


ケトは先程までと同じように少し離れたところで本を読みながら、チラとだけこちらを見た。


***


夕方、リーバを迎えに来たリリアさんは「そうそう~、言い忘れてたんだけどねぇ?」といつもの軽い喋りで切り出した。

「うちの子も脱皮したから、そろそろ神力を使えるようになると思うのよねぇ」


「しんりき……?」


首を傾げる俺の隣から、ザルイルが説明する。

「神族のみが使うことのできる、神の力だよ」


神力、か。


いや待て、神族ってなんだ!?

リリアさんとリーバは神様なのか!?


動揺する俺の顔を見たザルイルが、リリアさんを見上げて言う。


「リリア、君は私に隠し事は良くないと言ったが、君の方がよっぽどヨウヘイに隠し事が多いんじゃないか?」

「あらぁ? あたしは別に隠してないわよぅ? 種族については、何も聞かれなかったものぉ。聞かれたら、何でも答えるわよぅ?」

緩やかに返すリリアさんを、ザルイルの琥珀色の瞳がじとりと見る。

「世間では、それを隠していると言うんだよ」

「嫌ねぇ、人聞きが悪いわぁ。それにあたしは『同じ群れで』隠し事は良くないって言ったのよぅ? あたしはヨーへーちゃんと同じ群れじゃないでしょう?」


ぐっ。と、一瞬口を閉じたザルイルが、もう一度開いた。

「しかし……私は初めに、ヨウヘイはこちらの世界の者ではないから、保育に必要な情報は何でも伝えるように言っただろう」


今度はリリアさんが視線を泳がせて……いるんだろうか?

はるか上空で、リリアさんがキョロキョロしているような影だけが空に映っている。


「だってぇ……。あんまり脅かしたら、ヨーヘーちゃんが怖がっちゃうかもしれないでしょう?」


「ヨウヘイが身を守るために、恐怖は必要な感情だよ」


……何やら物騒な流れになってきたな。

とは思うものの、今日のことを考えればそれも納得できてしまうところが怖いな。


もう俺は十分怖い目に遭った気がしてたんだが?

まだこれ以上怖い話が出てくるのか??


リリアさんが言うには、リリアさんたち神族は生まれ持つ能力が他の種族とは比べ物にならないほど強いらしい。


ただ、そんな強力な力を持っていても、子どものうちは当然、ろくに制御ができない。

さらには倫理観も理性もまだまだこれからなので、自分の思うままに力を使ってしまう子もたくさんいるらしく……。


結果、神族の子はいつからか一般的な保育園の入園を拒否されるようになった、という事だった。


「『そんな爆弾みたいな子預かれません』って言われたのよぅ? 酷いと思わないぃ?」


同意を求めるリリアさんに、俺はぎこちない笑みを返す。


“そんな爆弾みたいな子”を、何も知らない俺に預けていたリリアさんも、それなりに酷いと思うんだが……?


「あっ違うのよう? ヨーヘーちゃんにも、リーバが脱皮したら話しておこうと思ってたのよぅ。……うっかり忘れてただけでねぇ?」


リリアさんが可愛く首を傾げた……ような気配がする。


つまり、リリアさんのうっかりと、俺の油断からのうっかりで、今日俺はうっかり操られてしまったわけだな?


「うちの家系は精神支配が得意なんだけどぉ、ちょっと難しい術だからぁ、リーバが相手に“こうさせたい”って具体的にイメージできないとダメなのよぅ。だから、脱皮したとはいえ、まだしばらくは使えないと思うのよねぇ?」


なるほど。

今日のアレはリーバに明確なイメージがあったからこそ出来た事なのか。


……リリアさん、お宅のお子さん、もうすっかり精神支配とやらを使いこなしてるみたいですよ?


俺は、リリアさんに今日の出来事を話した。


***


リリアさんとリーバ、タルールさんとケトを見送って、少し遅れてお迎えに来たレンティアさんと話している俺の背中に、ザルイルの視線が刺さっている。


振り向かなくても分かる。

これは『言いたい事は山ほどあるが、今はヨウヘイの仕事の邪魔になるから後でにしよう……』と思っている気配だ。


おおかた『支配抵抗』を遠慮なく常時使うようにとか、そういう指導なんだろうな。


レンティアさんは、俺の後ろのザルイルをチラチラと気にしつつ「あの……、実は、ヨーヘーさんにご相談があるんですが……」と切り出す。


「はい、何でしょうか」

俺は営業スマイルでにこやかに聞き返す。


レンティアさんの相談は、トラコンをここでもう一人預かってもらえないか、という話だった。


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