第2話
生前の山田樹は美大生だった。そして、二十歳の誕生日を迎えた少しあとに、両親を交通事故で亡くした。
樹には頼れる親族はおらず、お通夜やお葬式の準備は、町内会の人たちが手伝ってくれた。
樹は喪主を務めたが、通夜・葬儀の記憶はほとんど無く、食事や睡眠もどうしていたのか記憶は定かでない。そうして気がつけば、樹は、毎朝登下校で使っている駅のホームに立っていた。
黄色い線の内側に立ってぼーっと青空を眺めていると、はしゃいでいた高校生の肘が樹の背中にトン、と当たった。その力は弱いもので、本来ならばよろめくことはない接触だった。
しかしうつ状態にあった樹の足は、その接触をきっかけによろよろと前に歩み出す。
「危ないっ!」
引き込まれるように線路に落下し、頭部に強い衝撃を受けたところで、樹の二十年という短い人生は幕を下ろした……はずだった。
*
酷い頭痛に襲われて意識を失った樹は、気づけば、重力が存在しない真っ白な空間に浮かんでいた。そこで、自分によく似た容姿の少年に出会う。樹と違う部分を上げるとすれば、ぬばたまのような黒髪に、夏の青空を閉じ込めたような碧眼と、左の目元にほくろがあることだ。
「あんたが
そう訊ねると、早乙女はにこっと花笑み、首を左右に振った。
「残念だけど、ぼくは早乙女樹じゃないよ。あ。この肉体は早乙女樹のものだけどね」
「……じゃあ、誰なんだあんた」
警戒心を隠すことなく訊ねると、早乙女(?)は、にっこりと笑って胸を張った。
「ぼくの名前はタナトス。死を司る神様ってやつだね」
「あんたが神様……?」
樹は
(この神様、態度わる……)
そう思った瞬間。言葉に出していないはずなのに、タナトスの鋭い視線が飛んできて、樹の身体はぎくりと強張った。タナトスはそんな樹の姿を見て、
「だからぼくはこの仕事を請け負うなって言ったのにさぁ」
とぶつくさ言いながら、「めんどくさいから、さっさと記憶の転送を終わらせちゃおっかな」などというものだから、流石の樹も待ったをかけた。
「ちょ、ちょっと待ってくれよ! あんたさっき、『死を司る神』って言ってなかったか!?」
「そーだけど」
「死を司るって死神みたいなもんじゃねぇの!? それなのに記憶の転送だとか言って――」
「山田樹さまのおっしゃるとおりです」
突如として、二人の会話に割り込んできたのは、宵闇の髪と吸い込まれそうな銀色の瞳を持った可憐で美しい少女だった。
「あっ、ビオス! ぼくを心配して来てくれたんだね!」
「違います! 転生者の方を心配して来たんです!」
タナトスより小柄な少女――ビオスが、タナトスを叱りつける様子を黙って眺めていた樹は、しばらくして、恐る恐る手を上げた。
「あの……あなたは……?」
樹の声にハッとしたビオスは、
「申し遅れました。わたしの名はビオス。生を司る神です。実は……山田さまの異世界転生を担当した神は、我々とは別に存在しております。ですがその神は、別件で席を外しておりまして。今回は代理として、わたしが山田さまのアフターケアを担当させていただくことになりました」
淀みなくすらすらと説明するビオスに、樹はホッとすると同時に首を
「あの……異世界転生って、いま流行りのアレっすか?」
「はい。いま流行りのアレです」
こくりと頷いたビオスに、樹は「まじかぁ〜〜」と頭を抱えた。その姿を見てビオスは苦笑をこぼす。
「山田さまの転生を担当した神は、上司からの指示通り、山田さまが望んだ世界に転生させることに成功しています」
まるで市役所の職員のように丁寧な説明をしてくれるビオスに関心していた樹は、はて? と首を傾ける。
「俺、転生してすぐ気を失って……。転生先がどういう所なのか、全く把握出来ていないんですよ。ただ、ここに来る前に、もの凄い情報量が頭に流れ込んできて……」
「――なるほど。それで
ようやく納得がいったと頷くビオスに、「はぁ……」と曖昧な返事をする。するとビオスは、タナトスの首根っ子を掴んで樹の目の前に引っ張ってきた。
「全てはこちらの不手際です。……タナトス。あなた面倒くさがって、早乙女さまの記憶を一気に転送したでしょう」
「だぁってぇ。今日はビオスと二人でゆっくりするはずだったのに、アイツが――」
「言い訳はよろしい! ……山田さま。申し訳ございませんでした。全てはこちらの不手際によるものです。本来ならば転生後の肉体の記憶は、特定の条件下で徐々に蘇るようになっております」
「その条件下っていうのは……?」
樹の
「私たち神にも、その条件は分かりかねます。ただ、個人差があるとだけお伝えしておきます」
ビオスがそう言い終わった時。タイミングを見計らったように、樹の身体がほのかに発光しだした。
「ああ。もうお目覚めのお時間のようです。転生は成功しておりますのでご安心ください。あとは段階を経て、肉体の記憶を取り戻していくだけです。それでは、第二の人生を健やかにお過ごし下さいね」
「えっ、あっ、ちょっと――!」
礼儀正しく頭を下げるビオスに見送られながら、樹は光の粒子となって消えていった。
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