御厨美月(みくりやみつき)の静かな生活

藍埜佑(あいのたすく)

第1話:「御厨美月(みくりやみつき)の朝のルーティン」

・朝の目覚め


 23区内のはずれにある、まだ武蔵野の緑が美しい住宅地。そこに美月のアパートはある。


 薄明かりが静かに部屋に滲み入る。古い木造アパートの6畳一間、和室の障子越しに差し込む朝日が、美月の瞼を優しく撫でる。美月は、まだ夢の余韻に浸りながら、ゆっくりと目を開けた。


 天井の梁が見える。時を重ねた木の質感が、朝の柔らかな光に包まれて温かみを帯びている。美月は深呼吸をし、新鮮な空気を肺いっぱいに吸い込んだ。木の香りと、わずかに感じる畳の匂いが、彼女の感覚を優しく刺激する。


 美月はゆっくりと起き上がり、周囲を見回した。簡素な和室には必要最小限の家具しかない。古い箪笥、低い座卓、そして壁際に寄せられた布団。しかし、その一つ一つが丁寧に選ばれ、大切に使われている様子が伝わってくる。


 窓際に置かれた小さな観葉植物が、朝日を浴びて生き生きとしている。美月は微笑みながら、その葉に触れた。「おはよう」と、小さく呟く。


 布団を畳む動作には、長年の習慣が滲み出ている。丁寧に折り畳まれた布団が押し入れにしまわれると、部屋全体が一層広々として見える。朝の清々しさが、この簡素な空間に満ちていく。


 美月は立ち上がり、窓を開けた。爽やかな朝の風が部屋に流れ込み、カーテンを揺らす。外の世界の音が、徐々に聞こえてくる。遠くで鳴く鳥の声、わずかに聞こえる車の音。それでも、この古いアパートの静けさは守られている。


 美月は深呼吸をし、新しい一日の始まりを全身で感じ取った。彼女の表情には、穏やかな期待と静かな喜びが浮かんでいる。この瞬間、美月の心の中には、「今日もまた、素晴らしい一日になるだろう」という確信が芽生えていた。


 朝日が徐々に強くなり、部屋全体を明るく照らし始める。美月は、この光の中で、新たな一日の準備を始めた。


・着替えの儀式


 朝の光に包まれた部屋で、美月は静かに着替えの準備を始めた。古い箪笥から、丁寧にたたまれた衣服を取り出す。今日選んだのは、古着屋で見つけた質の良い綿のワンピース。淡いベージュ色で、胸元にはさりげない刺繍が施されている。


 美月は、このワンピースを手に取りながら、「良いものを長く大切に使う」という自身のモットーを思い返していた。このワンピースは、数年前に見つけたものだが、丁寧に手入れをしているため、今でも新品同様の輝きを放っている。


 ワンピースを身に纏う瞬間、美月は深呼吸をした。柔らかな綿の肌触りが、彼女の敏感な肌を優しく包み込む。袖を通し、裾を整える動作には、一種の儀式めいた丁寧さがある。


 鏡の前に立ち、全体の佇まいを確認する。ワンピースのシルエットは、美月のスリムな体型を自然に引き立てている。胸元の刺繍は、朝の光を受けてわずかに輝き、素朴ながらも上品な印象を与えている。


 美月は、襟元を少し整えながら、ファッションについて思いを巡らせた。華美な装飾や最新のトレンドを追うのではなく、自分の内面の美しさを引き立てる服装。それが、美月の求める「ファッション」だった。


 髪を整える。自然乾燥させたロングヘアは、朝の光を受けて柔らかな艶を放っている。美月は、髪をゆったりとまとめ、シンプルなヘアバンドで留めた。「ナチュラルな美しさ」を大切にする美月らしい、飾り気のないスタイルだ。


 最後に、素足に優しく馴染んだ室内用のスリッパを履く。これも、長年使い込んだお気に入りのものだ。


 着替えを終えた美月は、もう一度鏡の中の自分を見つめた。そこには、シンプルでありながら、内面から滲み出る美しさを纏った一人の女性の姿があった。美月は、自分の選んだ生き方への自信と、新しい一日への期待を胸に、静かに微笑んだ。


「さあ、今日も素敵な一日になりますように」


 美月の心の中で、そんな小さな祈りが生まれた。


・清浄なひととき


 美月は静かに洗面所へと足を運んだ。古い木造アパートの洗面所は狭いながらも、清潔感に溢れている。白いタイルの壁と、古びた鏡が、朝の光を柔らかく反射している。


 蛇口をひねると、冷たい水が勢いよく流れ出す。美月は両手を水で満たし、顔を包み込むように洗い始めた。水の冷たさが、残っていた眠気を一掃する。顔を洗う動作には無駄がなく、長年の習慣が生み出した美しい所作がある。


 顔を拭き取る時に使うタオルは、オーガニックコットン製。肌触りが良く、吸水性も抜群だ。美月は、このタオルを選ぶ時も、環境への配慮を忘れなかった。


 次に、美月は丁寧にスキンケアを始める。使用するのは、全て天然由来成分のみのスキンケア用品だ。小さな瓶に入った化粧水を手に取り、優しく顔全体になじませていく。その香りは、ラベンダーとローズマリーのブレンド。自然の恵みが、美月の肌と心を癒していく。


 美月は、スキンケアの一つ一つの工程を、まるで瞑想するかのように丁寧に行う。それは単なる美容行為ではなく、自分自身と向き合う貴重な時間でもある。


 化粧は最小限に留める。素肌の美しさを引き立てる程度の、ごく薄いファンデーションと、ほんのりとしたチークのみ。「自然体が一番」という信念が、ここにも表れている。


 鏡に映る自分の姿を見つめながら、美月は静かに微笑んだ。そこには、化粧品で作り上げた美しさではなく、内面から滲み出る輝きを持つ女性の姿があった。


「今日も一日、自分らしく過ごせますように」


 美月は心の中でそう願いながら、洗面所を後にした。朝の清々しい空気が、彼女の周りを包み込んでいる。新しい一日が、静かに、しかし確実に始まろうとしていた。


・朝食の準備


 洗面所を出た美月は、小さなキッチンへと向かった。古い木造アパートの狭いキッチンだが、美月の工夫と心遣いによって、機能的かつ美しい空間に生まれ変わっている。


 窓際には小さなハーブガーデンがあり、ミント、バジル、タイムなどの香りが朝の空気に溶け込んでいる。美月は窓を開け、新鮮な空気を部屋に取り込んだ。


 朝食の準備を始める美月の動きには、無駄がない。まず、地元の農家から直接購入した有機野菜を取り出す。みずみずしい緑色のケール、紫色が鮮やかなビーツ、オレンジ色のニンジン。それぞれの野菜が持つ色彩の美しさに、美月は心を奪われる。


「自然の恵みに感謝」と美月は呟きながら、野菜を丁寧に洗い始めた。水滴が野菜の表面を伝う様子に、生命力を感じ取る。


 次に、ブレンダーを取り出す。これは、美月が長年使い続けているお気に入りの道具だ。シンプルなデザインながら、高い性能を持つこの道具は、美月の「良いものを長く大切に使う」というモットーを体現している。


 野菜をブレンダーに入れ、有機リンゴジュースを加える。蓋をしっかりと閉め、スイッチを入れると、部屋に爽やかな音が響き渡る。美月は、野菜が均一になるまで、じっと見守る。


 出来上がったグリーンスムージーを、地元の陶芸家の作品である美しい陶器のカップに注ぐ。深い青色の釉薬が施された素朴な器は、鮮やかな緑色のスムージーと見事なコントラストを生み出している。


 美月は、完成した朝食を見つめながら深い満足感に浸った。質素ではあるが、その一杯には美月の健康へのこだわりと、自然への感謝の気持ちが詰まっている。


「いただきます」と小さく呟き、美月は最初の一口を口に運んだ。新鮮な野菜の甘みと、ほのかな酸味が口の中に広がる。美月は目を閉じ、この味わいを全身で感じ取った。


 朝食を楽しみながら、美月の心には静かな喜びが満ちていった。この瞬間こそが、彼女にとっての贅沢であり、幸せなのだと。


・縁側での瞑想


 朝食を終えた美月は、古びた縁側へと足を運んだ。木造アパートの2階にある彼女の部屋は、小さな縁側を持つ贅沢な造りだった。時が経つにつれて木目が深まった縁側は、美月にとって特別な場所だった。


 縁側に腰を下ろす美月の動作には、優雅さがあった。足を揃え、背筋を伸ばし、両手を膝の上に置く。身に着けたワンピースのシワが、美しく折り重なる。


 目を閉じ、深呼吸を始める美月。朝の空気は、まだ冷たさを残していた。その冷気が肺に入ると、体の中から目覚めていくような感覚がある。


 美月の耳に、都会の喧騒が徐々に聞こえてくる。車のエンジン音、人々の話し声、遠くで鳴る電車の音。しかし、それらの音は美月を乱すことはない。むしろ、その喧騒の中にある静寂を、美月は味わっていた。


 15分間の瞑想。この時間は、美月にとって一日の中で最も大切な時間だった。外界の音に耳を傾けながらも、同時に内なる声に耳を澄ます。思考の流れを観察し、感情の起伏を見つめる。


 時折、そよ風が美月の頬をなでる。その感触に、美月は微かに微笑んだ。自然とのつながりを、肌で感じる瞬間だった。


 瞑想の深まりとともに、美月の意識は徐々に拡がっていく。自分という存在が、この世界の一部であることを感じ取る。そして同時に、世界全体が自分の内にあることにも気づく。


 15分が過ぎ、美月はゆっくりと目を開けた。視界に飛び込んでくる景色が、瞑想前とは違って見える。色彩がより鮮やかに、輪郭がより鮮明に感じられた。


 立ち上がる美月の表情には、深い平安が宿っていた。この静かな朝の時間が、彼女の一日の充実感の源となっていることを、美月は良く知っていた。


「幸せなら一生ひとりのままでもいい」という彼女の信念が、この質素な朝の時間に表れている。物質的な贅沢ではなく、心の豊かさを追求する美月の生き方が、ここにあった。他者の評価を気にするのではなく、自分の心に正直に生きること。それが美月の選んだ道だった。



 美月は再び部屋に戻り、新しい一日の始まりに向けて準備を整え始めた。彼女の心には、静かな期待と穏やかな喜びが満ちていた。


・髪を整える静寂の時


 部屋に戻った美月は、古びた鏡台の前に座った。この鏡台は、祖母から受け継いだ大切な品だ。長年使い込まれた木の質感が、朝の柔らかな光を温かく反射している。


 美月は、ゆっくりとブラシを手に取った。天然の猪毛を使ったブラシは、長年の使用で手に馴染んでいる。髪に触れる前に、美月は一瞬、目を閉じて深呼吸をした。


 ブラシを髪に当て、ゆっくりと下ろしていく。サラサラと心地よい音が部屋に響く。美月のロングヘアは、自然乾燥させたため、緩やかな波打ちを見せている。朝日を受けて、髪の一本一本が優しく輝いているようだ。


「ナチュラルな美しさ」を大切にする美月は、髪を整えるのに特別な道具は使わない。ブラシで丁寧に梳かすだけで、髪本来の美しさが引き立つと信じているからだ。


 髪を梳かす動作にも、やはり瞑想にも似た静けさがある。美月は、髪を通して自分の内面と対話しているかのようだ。一筋一筋の髪を丁寧に扱うことは、自分自身を大切にすることの象徴でもある。


 整え終わった髪は、自然な艶を放っている。美月は満足げに微笑んだ。鏡に映る自分の姿は、飾り気のないシンプルさの中に、凛とした美しさを湛えていた。


 最後に、美月は淡い香りのヘアオイルを、髪の毛先にほんの少しだけつけた。これは、地元の植物から抽出した天然のオイルだ。髪に艶を与えるだけでなく、一日中かすかな香りを纏うことができる。


 髪を整え終えた美月は、立ち上がって全身を鏡に映した。綿のワンピース、ナチュラルなメイク、そして自然な風合いの髪。そこには、自然体で生きる一人の女性の姿があった。

 外出の準備を整えながら、彼女の心には静かな期待が芽生えていた。新しい一日が、どんな発見と喜びをもたらすのか。美月は、その瞬間を心待ちにしていた。


・外出前の静かな時間


 髪を整え終えた美月は、外出の準備を始めた。古い箪笥から、手編みのカーディガンを取り出す。淡いベージュ色で、ワンピースと見事に調和している。美月は、このカーディガンを肩にかけた。


 足元には、やわらかな革で作られたフラットシューズを選んだ。歩きやすさと上品さを兼ね備えたこの靴は、美月のお気に入りだ。靴を履きながら、美月は靴の手入れを丁寧にすることで、長く使えることを思い出した。


 鏡の前に立ち、全身の姿を確認する。シンプルでありながら、一つ一つのアイテムが美月の個性を表現している。その姿は、まるで一枚の日本画のように調和がとれていた。


 美月は、小さな籐のかごバッグを手に取った。中には必要最小限のものだけが入っている。財布、ハンカチ、リップクリーム、そして常に持ち歩いている小さな和綴じのノート。このノートには、日々の気づきや感謝の言葉が綴られている。


 外出前、美月は窓際に立ち、深呼吸をした。外の景色を眺めながら、今日一日の計画を頭の中で整理する。特別な予定はないが、一瞬一瞬を大切に過ごすという想いが、美月の心に芽生えた。


 美月は、部屋を見回した。シンプルながら、一つ一つのものに美月の愛情が注がれている空間。「必要最小限の贅沢」を心がける美月の生き方が、この部屋に表れていた。


 鏡の前に立ち、最後にもう一度自分の姿を確認する美月。そこには、内面から滲み出る美しさを纏った一人の女性の姿があった。美月は、自分の選んだ生き方への自信と、新しい一日への期待を胸に、静かに微笑んだ。


「さあ、今日も素敵な一日になりますように」


 美月は小さく呟き、ゆっくりとドアノブに手をかけた。彼女の心には、これから始まる一日への静かな喜びが満ちていた。


 ドアを開け、美月は新鮮な朝の空気を胸いっぱいに吸い込んだ。そして、静かに、しかし確かな足取りで、新しい一日へと歩み出した。

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