第6話 バスケ部
秋男は大きな伸びをして溢れ出ようとする欠伸を噛み締め抑え込む。この身体は中学校という環境に二年間と半分程度浸っていた。そんな七月の話、秋男の最後の夏という貴重な時間を部活動の合宿に費やしている。有用な時間と取るか三年目であれば無益となってしまうか、人によって捉え方が変わって来るだろう。
バスケ部の合宿が始まってしまったのだ。秋男はバスからのフェリーという乗り物の体験が三度目、秋男が所属する施設に於いては最後の一度なのだと自覚を持って海のきらめきを、宝石の欠片が散りばめられたみなもに目を落とす。
そんな秋男の傍に寄る女子生徒が声を発した瞬間、秋男は顔を向けた。
「アキくん楽しみですね」
中学生の始まりを生きる少女は目を輝かせながら秋男に肩を寄せる。
「敬語でも名前はあだ名なんだな」
「モチロンですよ」
そんなふざけているとも明るい人柄とも取れる後輩の名前は立夏。彼女のこれまでの行ないからして反省するつもりは全くもってないそう。何度叱られても秋男の事だけは先輩と呼ぶことが無く、アキくんと一点張り。その結果誰も彼もが呆れて指摘をやめてしまったものだが果たして立夏はその成り行きに気が付いているものだろうか。
「暑いですね」
船の頼りない屋根から伸びる影は二人の元まで伸びて来ることはない。太陽の光を直接浴びて立夏は幼い顔に満天の快晴を思わせる笑顔を広げて秋男の腕を両手で包むように握りしめていた。
「私こけちゃいますからね」
数秒の沈黙は波の音に掻き消され、秋男はそんな音に耳を澄まして目を閉じる。
「そんな揺れでもないだろ」
そんな二人の事など忘れ去ってしまったかのように騒ぎ喚き愉快に駆け回る音が耳に響いて来る。
騒ぎを起こしているのはきっと二年生の春哉を中心とした一部の部員だろう。
「台無しです」
「これでいいんだ」
秋男の言葉に立夏は顔を傾け耳を傾けて、頬を強張らせて環境への不満を見せていた。
「立夏にはいい雰囲気は似合わないから」
「サイアク」
立夏が頬を膨らませる。対して秋男の目はいつになく優しい微笑みを帯び、気分の温度差は制反対を向いていた。
「立夏は明るいからな」
笑みが陽光に当たり更に輝く。立夏も合わせるように笑みを浮かべてみたものの、どうにも引き攣ってしまってきれいな形を取れなかった。
たどり着いた島はこれから二週間もの間、彼らが身を置く場所。裏にまで回れば旅行客の姿を拝むことも出来るようだがそれが出来ないのは学校の行事という扱い故の頑丈な鎖の仕業。
波風の声に耳を立て、立夏の言葉に耳を澄ませ、春哉の騒ぎ声の不愉快な様に心を削る。
女子たちが春哉を囲んでいるのは果たして自分たちの意思なのだろうか。
ただ状況に流されて合わせているようにしか見えなかった。
「立夏はああいうの嫌いなのか」
「うん」
しかしながら秋男の方に寄っていく。秋男にとっては春哉と変わりない。それを口にしてしまいそうなところが寸前で上手く留まるという事実。きっと立夏の中には秋男の理解の及ばない基準が秘められているのだろう。
浜を歩き、岩場を上り、道を進もうとしたその時、秋男は一度深々と頭を下げる。
「あれ信じてるのかよダセーな」
春哉の指すあれとはどのようなものなのか、立夏は目を向けると共に目つきを尖らせる。そこに居座る石像は明らかに訳ありだろう。子どもたちを両脇に抱えて微笑む作務衣の男を象ったそれは過去の逸話だろうか。
立夏も秋男に倣って頭を下げる。
それからコテージを目指して歩く中で秋男は立夏に告げる。
「気を付けろよ」
不安定な足場を進む。苔の生えた岩はいつでも足を取ることが出来るぞと余裕の涼しさと風の音で冷ややかな笑みを作る。
「神隠しの伝承があるからな」
神隠しに遭いそうだった子を救った男の小さな偉業を讃えた像が先程の物なのだという。やがてコテージにたどり着き、荷物を置いたところですぐさま教師の指示が飛んで来た。
舗装された道へと降りて、雑草に塗れた広場、砂浜と隣り合う場所で点呼が始まる。
副部長が一と叫ぶと共に続いて期待のエース、更には他の部員へと繋げて番号を声にする。そんな中でも春哉は雰囲気を読む力が乏しいのか何かを語っていたものの、特に気にすることも無い。
二十一の数字で止まり、部長は首を傾げた。
「一人足りないぞ」
もう一度確認を取ろうと部長が大きく息を吸った途端、何かを思い出したように表情は引っ張られ、息がこぼれる。
「すまね、俺だった」
改めて部長を始まりとして番号を唱え、二十二に達したことを聞き取って部長は頷き部としての活動が幕を開けた。
バスケ部員としての誇りを握り締めて必死に足を動かし風と共に進む者や夏に負けない熱を持つ者がいる一方で秋男は特に気合いや努力という言葉を背負うことなくこなす。そんな力の欠片すら見せない男の隣を走る女子の姿を見つめる。黒く短い髪は汗に濡れ、目は活き活きとした輝きを放っていた。島を駆け抜けるという合宿の幕開けには必ず行われる準備運動の一つであり、強い肺を作るための立派なトレーニングの一つ。既に大会から外れることが決まっている秋男には景色を眺める事と隣の女子を見つめる事くらいしか目的が見えてこなかった。
ここから言葉はいらない。しばらくは風や草木、アスファルトが語りかけて来る。爽やかな声があったもので、波の音と混ざってこの上なく心地が良い。
そうしてしばらく駆け抜けた後、終了の点呼が始まった。
部長に続き副部長、静かな環境で人々の疲れが滲む声が次から次へと上がって二十二に達したそこで点呼は終わりを告げた。
秋男と立夏は互いに顔を合わせる。
「一人、少なくないか」
顧問の教師を尋ねるも名簿にも二十二の生徒と顧問の名しか連ねられていない。
秋男も立夏も違和感を抱きつつ、変わり果てた雰囲気には気が付いていなかった。
走り始める前までは充ちていた騒がしい声が消え去ってしまっているという事に。
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