第3話 絵画
爽やかな風が通行人の波と共に流れていた。混ざるように通り抜けるそれは背の低いビルの建つこの街を散歩しているよう。夏の暑さは何処へと消えて行ってしまったのだろう。春斗の中では無かった事となっていた。
県内では最も大きなとも北の方がもっと大きいとも言われている都会の中、冬子は肩まで伸びた艶のある黒髪を揺らしながら春斗と共に歩いていた。
「退院祝い、みたいなものか」
軽い散歩、駅周辺に三軒も同じ名を持つカフェが建っている中、それらから離れて大きな池が広がる公園に居座る同じ名のカフェでコーヒーを頼む。
二人揃ってコールドブリューコーヒーを片手に池を歩く。
「ここって焼死体が出たんだっけ」
公園内の遊具で出てしまったそれは無念の果てなのだろうか、それとも突発的な悲劇の果てなのだろうか。特に詳しい事は分かっていないのだという。
「あの遊具には近付かない事、いいな」
静寂を纏った顔をただ一度縦に振る。冬子は基本的に心霊スポットや死者が出た場所を避けようとする。強い霊感は数か月前の焼死体の煙たい気配をどのような形でその目に映しているのだろう。公園に漂う木々の香りに紛れて怪しいものを混ぜているのだろうか。
子どもたちがはしゃぎながら駆け回り遊び続ける遊具はかつて死者を収めていた事、随分と優しく明るい棺だった。
遊具を横目に池を渡り、池の方を見つめると共に春斗は血の気が引くような光景を目にする。
池の表面にて揺れる物体、よくよく見るとそれは。
「見ない方が良い」
冬子は池さえも避けて、外側を囲む道を、人々が流れるままに歩いて行く。春斗も同じように歩き出すだけだった。
「実は死者多いのかな」
「たまに出るんだ」
恐らく人口が原因だろう。治安も都会ならではの裏の顔があるのだろうか。春斗の脳は日頃はあまり動かさないためか思考が詰まって立ち止まってしまう。
「もしかしたらあまりいい場所じゃないかも知れない」
夜の顔、人の影に隠れた狭い場所での顔、様々なものがそこに渦巻いているようであった。
道を歩き、途中から道を外れて公園と城跡の間へと、冬子が目指す場所へと向かう。そこに建つものはガラス張りの壁が目立つ建物。細く平べったく長い印象を与えるそこに収まるものは果たしてどのようなものだろう。
冬子に促されるままに口を開いた建物の中へと入り込み、受付に少々の金額を支払い奥へと進む。
「大学の知り合いが出展してるんだ」
話によれば冬子の同級生、美術サークルに所属して半年ほど。彼女が初めて体験する学生展示会に出展したのだという。
つまるところ、冬子の関係で引き連れられたに過ぎない。しかしながら春斗にとっては誰かと歩く事、日頃は立ち寄ることの無い場所へと足を運ぶことは充分な気分転換になった。
学生の展示を眺めて色彩の捻じれや滲み、重なりといった様々な軌跡で描かれた作品たちを見つめた後、冬子は微笑んでヒマワリの絵を指した。
「これが知り合いの絵」
日差しは柔らかで花びらは力なく淑やかな様子で、花瓶は鮮やかな色合いを目立たないように抑え込む。
額縁に収められた絵画を見つめ、春斗は思う。
確実に後世に残る絵では無いだろう。名を世に広めることも無いだろう。しかし、素人には決して見せることの出来ない纏まりとどこか物足りない様がそこに在るものを同じ姿で脳裏に描き込んでくれるような、そんなちょっとした魅力が塗り付けられた絵。
今あなたはどうしていますか。私は今、絵を描いています。
そう語りかけて来るような生の輝きを見た気がした。
学生の展示を抜け、次のスペースに続くドアを踏むように一歩を刻む。
「これは」
様々な絵はどれもこれもが大人の描いたものなのだろうか。
統一感の無い色合いを記憶に刻みながら進む中で一枚の絵画と目が合う。
それは簡単な人物画だろうか。目は揃わず耳は形が崩れていて、口の歪みは不安を煽って止まらない。とてもではないが上手いとは言えなくて、しかしながら空間に不釣り合いという立場を用いて目を惹き付ける絵。
春斗は視線をずらし、それでも覗き込む。
覗き込んだ先で、視線を合わせて来る絵画。特殊な技法や錯覚は無いはずなのに何故だか目が合ってしまう。不自然な方向へと動く目玉。
恐怖の感情を覚えて離れない目、向こうにいる存在は突然小さな手によって目を塞がれてしまう。
「行こう、これは」
不気味な気配を見て取ったのだろう。冬子は春斗の背を押して早足に去ってしまう。
去り際に薄っすらと振り返り確認した絵画はどことなく寂しそうな表情をしていた。
それから数年の時を経たそう。信じられない時の加速の中で働いて、疲れを炭酸水で癒していた。ストレスは現代社会における不治の病、心の怪我。
癒しというひと時に浸かっている春斗が珍しく電話で呼び出されて、訪れた先はカフェ。そこで待っていた冬子とゆったりとした時間を過ごす中でその会話は訪れた。
「結構前か、絵を観に行ったことあっただろ」
「ああ、懐かしい」
春斗が覚えている事を確認した上で話は続けられる。
「あの時変な顔の絵を見ただろ」
春斗は突然射し込まれた緊張感に身を引き締めながら頷く。
「あの絵、最近急に無くなることがあるそうだ」
「それって盗まれたり」
春斗は驚きに満ちていた。決して上手くも無ければ名のある画家の手が作り上げたものでもない。本来額縁に収められる作品ではないはずのそれ。
「で、最初は公園のカフェに落ちてた」
続きを聞いて息をのむ。次には駅、その次には電車の中で見つかり、最新の発見場所は春斗の家の最寄り駅なのだという。
「どこに向かって誰に会いに行ってるんだか」
その絵画の目的は見通すことも出来ず、ただ確実に迫り来る暗い未来から目を逸らす。つまり、全ての事に目を当てない事を選んだのだった。あの日、冬子が絵画の視界を塞いだように。
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