バンドマン症候群

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バンドマン症候群_liol

 ライブと打ち上げを終えた夜。ギターを背負ってマンションの5階にまで階段で上がるとなかなかに息が切れる。建物の外につけられた、錆びた鉄階段は俺が一段昇るたびにがたがたと音を立て、夜中に昇るには薄ら気味悪い。エレベーターが壊れているらしく、修理の業者はしばらく来ないみたいだ。階段には溶けかけた雪が積もっていて、注意しないと足を滑らせそうになる。いっそ滑って落ちてしまってもいいかもな。そんな考えを振り払う。階段を登り切ってから二部屋ほど通り過ぎて、自分の部屋の前にたどり着き、ポストとして開けられたドアの穴に突き刺さったチラシを抜き取る。すべてどうでもいい、家電製品の回収のお知らせとかそんな内容ばかりで溢れていた。チラシお断りの札でも張っておかなきゃな。  

 冬場の静電気に怯えながらドアを開けて、小さな声でただいまという。もちろん帰ってくるのは静寂だ。玄関の壁へ取り付けられた棚に掛かった、もうそこを動くことはないスペアキー。その棚の上に無造作に置かれた映画の半券。お役御免となったタバコの灰皿。開きっぱなしのシューズロッカー。俺は脱いだ靴を揃えることもせず、埃を被り始めたそれらを横切って部屋に入る。  

 ドアを開けると、カーテンが閉まったままの部屋。自動化デバイスで俺が部屋に入った瞬間電気がつけられるようになっている。背負っていたギターケースを半ば投げるようにして部屋の中央に敷かれた大き目のカーペットの上に置き、ソファに座ってスマホを開いた。Xを開いて今日のライブについてのポストを探す。いつもより小さいライブハウスだったこともあり、まだ投稿件数は少ない。そんな中でも、対バンしたバンドが「売れる曲ばかりでつまらなくなった」なんてくだらないアカウントに叩かれているのを見て嗤う。彼らは俺たちに何を求めているのか。俺らだって霞食って生きてるわけじゃないっての。お前らが生きるために会社で稼ぐのと同じように、俺らだって生きるために歌ってんだよ。殺すために歌ってんだよ。そう引用したくなるのを抑える。ある程度スクロールしたら、バンド名、個人名、ライブハウス、思いつく限りの要素を検索して今日の自分の評価を知る。売れる歌を書いて、売れるパフォーマンスをする。音楽に救われていた俺はどこに行ったのだろう。今や音楽は生活のための材料でしかない。  

 一通りのエゴサーチを終えて、俺はストリーミングサービスを開いた。手癖で自分のバンドのページを開く。カバー写真はもう2年以上前に撮ったもので、俺もほかのメンバーも、今よりずっと若い。「自分たちの歌で誰かを救いたい」「あの人に届けたい」そんなアーティスト紹介の文面も、今じゃ考えも変わっているはずなのに書き換えようという気も起らない。音楽で人を救いたいなんて幻想だ。当時はいたのだろう「あの人」とやらだって、数年たてば形骸化してしまった。当時は本当に好きだった元カノだって、数年もたてば思い出の中の一つになってしまって、そこに彼女自身は存在しない。思い出の中の彼女はただ俺の理想を投影する鏡となってしまっている。そんな奴が組み立てるただの音の並びに、言葉の並びに、一体何の意味があるというのだろう?身近だったあの人を大事にすることすらできなかった俺の歌が、何の意味を成すというのか。 俺はそんなことを思いながら自分が書いた文面を嗤った。 

 スマホに飽きてテレビをつけると、今年流行った歌をランキング形式で紹介する番組が放送されていた。俺はどんなランキングなのか気になり、少しの間テレビに視線を向ける。結局のところはTikTokでバズッたバンドだとか、アニメの主題歌を担当したバンドだとかそんなのばかりだ。サビと前後の数秒しか聞いたことがないような曲ばかりがランキングを埋めていく。「好きだった」「愛していたかった」そんな過去形の歌が流行る世界なんてつまらない。酒だタバコだ歌っている歌が「エモい」とか言われる世界なんてくだらない。そんな奴のどこがかっこいいのか。はじめっから大事にしておけよ。後悔ばかり歌うなよ。俺は自分の書く歌や自分自身のことを棚に上げてテレビに文句を言う。10位目前まで見たところでCMに入ったので、そのままチャンネルを回してアニメをつける。もう最終話目前だ。単行本をそろえている俺は結末を知っているけれど。ありきたりな話だ。 ただ人間不信だった主人公の少年が少女に出会い、人を信じることができるようになるが、最終話目前で少女と生き別れてしまうというだけの。

 気が付けば23時を回っていた。20時にライブを終え、バンドメンバーと飯を食って帰ったのが21時、どうやら2時間もスマホやテレビを見ていたらしい。そろそろ風呂に入らなきゃな。浴槽にお湯を張るような時間でもなければそんな気力もないので、シャワーで済ませることにする。脱衣所で脱いだ服をそのまま洗濯機に押し込む。そろそろ回さないと着る服がなくなってしまいそうだ。狭い風呂場に入ってシャワーの栓を開ける。シャワーヘッドがちょうどこちらを向いていたようで、出始めの冷水を真っ向から浴びる羽目になってしまった。水の先を浴槽に向けてお湯が出るのを待つ。数十秒してから手で暖かくなったことを確認してから、髪を濡らす。シャンプーを詰め替え用の容器からそのまま出して洗う。それから洗顔用の石鹸を手に取って泡立てる。ライブの照明で飛ばされないように少し濃いめのメイクをしたので落とすのに苦労する。体を洗ってから、また頭からお湯を被って風呂を出た。冬場の脱衣所は外と大差ないほどに寒い。いや、体が濡れている分より寒いかもしれない。年を取ったらそのうち何とか症候群とやらで倒れるんじゃないか。そのうち暖房器具を買わなきゃな。そう思うだけ思って、ここに引っ越してからの数回の冬を超えている。寝間着を持ってくるのを忘れたのもあって、下着だけ着て上からタオルを羽織って脱衣所を出た。  ベッドの上に脱ぎ捨てた寝間着を着て、ベッドに寝転がる。スマホを充電器に刺して明日の午前8時にアラームをセットする。風呂上がりにすぐに寝落ちできるはずもなく、天井を見つめる。明日は朝からスタジオで、新しく出すアルバムの曲のレコーディングをする日だ。早く寝よう。そう思っているのに、頭の中で流れる短調の丸サ進行は俺を眠らせてはくれない。少し前に別れた女が好きだった歌に使われていたコード進行だ。今度のアルバムでも二曲くらいは丸サ進行が使われている。  

 未練なんてとうに消えている。もうあいつの写真はスマホからすべて消えている。あいつが街で次の、それとも次の次の、彼氏と歩いていても何事もなく隣を過ぎることができるだろう。じゃあどうして?俺は彼女を忘れずにいるのか。彼女といった映画の半券をいまだに捨てずにいるのか。彼女が吸うからと置いていた灰皿を捨てずにいるのか。彼女が好きだといった歌を未だに聞いてしまうのか。答えは簡単だ。売れるから。あいつのことを考えて書いた詩は、あいつのことを歌った言葉は、リアリティがあるって、聴き手が喜んでくれるから。当然だ。本当の話なんだから。良い作品を作るため、手放さずにいるだけ。月がきれいだといったあの人の声を手放さずにいれば、最高の作品になる。それだけの話だ。俺にとって歌うことは過去の傷を晒す自慰行為に過ぎない。既にあいつは作品のために脚色された誰かに過ぎない。あの人が好きなわけじゃない。作品になるあの人を求めているだけだ。「君」に当てはめる誰かが欲しいだけ。もう一度あの人に会って話したいだなんて、そんなことは決して無い。きっと。

 どうにも眠れなくて、俺は部屋を出た。深夜のマンションのベランダの、雪が解けて濡れた柵に腕を置いて月を恋う。あの子がいなくても月は綺麗に、円く、光線を放って周りに虹色の輪を持っている。兎の餅つきというのを見出した先人の気持ちというのも、じっと見ているとわからないでもない。たまには詩人のまねごとをするのも悪くない。「あの子がいなくても月はきれいだ」そうやって頭に浮かんだ言葉をスマホのメモに書きつける。あの日、あの時、こうやって。彼女はこうだった。そうやって彼女を考えては思いついた言葉をメモ帳に殴り書きをする。肌寒い夜だが、一度始めてしまうとこうやっているのをやめられない。

 自分のアーティスト情報を思い出す。結局は、誰かを救いたいなんて嘘だ。最悪な俺を救えるのは音楽だけ。どこかの誰かが書いた歌なんかじゃない。俺が、俺を救うために書いた歌、それだけだ。そのためにバンドメンバーも、聞いてくれる人たちも、ライブハウスの人たちも巻き込んでいる。    

 冷たい空気へと吐いた白い息に、あの人の面影をなぞる。いつかこの情景も「バンドマン症候群」とでも名付けて歌にしてやろう。そのうち彼女が俺の頭から飛び出して行ってくれたら。

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