プロの謙虚さ、気遣い上手とは


自分をぐいぐいに押してくる人って魅力的ではあると思うんですけど、僕はどちらかというと苦手です。自慢ばかり、という意味でですね。良いところをアピールするのは良いんです。でも、自分で言っちゃダメだろ……という感想は良く持ちます。


ゆえに僕は謙虚な方が好きなのですが、彼らは謙虚であるがゆえに非常にやっかいな立ち位置にいます。なぜなら謙虚や気遣い上手というのは自分が引いてバランスをとる良さのため、アピールという行為そのものと相性が悪いからです。


良いですか。裏方は表に出てきたらダメなんです。「私はこのチームの先鋒で大胆代表です!!」ってのは良いけど「私はこのチームの謙虚代表です!!」ってのは違うくない? 完全に「お前が言うな」案件ですよね。


いや、それが悔しいんだけど。彼らアピール出来ないじゃん。でも、謙虚だからこそアピールしたらダメなんだよ。もっというと、こんなところが気遣えるんだな、と思わせるその行為自体が僕には矛盾した感覚を抱いてしまう。


「ビールが残っているか気付く」とか「サラダを取り分ける」とか「トイレに行っている間に会計する」とか「車道側を歩く」とか、これって気遣いか?


もはやこれってマナーの領域です。知っているか/実施しているかで判断される形式的な基準であって、気遣いとは別のレベルですよね。しかも、これを他人が見えるようにしている時点で気を遣わせていません? 「あぁ、良いよ良いよ、俺がやるよ」って気遣いを気遣いによって産ませていませんか?


そうじゃなくて、本当に気遣いができる人は

「全員の飲みたいものを把握し、ドリンクのコースも店に手配する」

「サラダを事前に分けておくよう店長に根回しする」

「会計しなくてもいいようにレストランを買収する」

「帰り道は車が来ないよう警察を動かして交通整理をしておく」

というようなものでしょう。ここまで出来たらカッコいい……。気を遣っていることすら気づかせない。プロです。


謙虚であったり縁の下の力持ちである場合、その評価者は第三者であるべきだし、もっと言うならば。本当に謙虚で気配り上手で縁の下の力持ちなら「気を配っていることを相手に悟られず、水面下でアシストしている」はずです。だから、「あの人は縁の下の力持ちです」という方はアマチュアで「あの人は縁の下の力持ちだったんです」という方がプロだと思います。いなくなってからしか気付かれないその巧妙さと洗練。


そう考えると気遣い、謙虚さをアピール出来るレベルって非常に高い。そして、基本気付かれない(べきである)。気付かれた時点でプロ失格ですから。自分でアピールなんてもってのほか。


だから、同業のプロが本人には気付かれないところで「あの人は実は……」という形で報告してあげるしかない。そう考えると謙虚な人って本当に難儀ですよね。


ここまで言ったらお気づきでしょう。「僕は謙虚で気遣いが出来るところが良いところだ」って考えてた方。考え直しましょう。その考え自体が傲慢で、謙虚さのかけらすらなく、実態は消極的でリスクを取れないだけの、傷つくのを怖がっている自分大好きな臆病者ということに気付きなさい。


あなたの言う謙虚は謙虚ではなく、あなたの気遣いに気遣われていますよ。

あなたの本質はアピールポイントのないただの臆病者です。自分を納得させるために謙虚、縁の下とかの言葉を借りているだけです。


上記のようにお店を買収する気概があれば別ですが、謙虚さの方向でアピールポイントを作ろうとするのは難儀な道です。今一度、考え直しましょう。あなたが苦手とする豪放さ、男らしさ、頼りがいといった方が素直で楽ですよ。アピールポイントとはそういうものです。勘違いするな。書いてて死にたくなってきた。以上!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る