エピソード 1ー6
「不審な動きをする者を見逃すな! 襲撃者が一人とは限らぬぞ!」
ざわめく会場で騎士団長のアルスターが命令を下し、騎士団が周囲の警戒を始める。
そんな中――
「ソフィア、しっかりしろ!」
くずおれた私の肩が掴まれる。顔を上げれば、すぐ目の前にシリル様の顔があった。恐怖に染まった顔も格好いい――なんて言ったら怒られるかな?
私は痛みに耐えながら、「シリル様は無事ですか?」と問い掛けた。彼の恐怖に染まっていた顔が驚きに塗り替えられ、それから泣きそうな顔に変わる。
「そなたはまず自分の心配をしろ!」
「私は――」
そう言って息を吐き、背中に意識を向ける。短剣で突かれた痛みはあるけれど、それは刺されたような激痛ではない。もちろん、血に濡れたような感覚もない。
「少し痛いですが、それだけのようです」
「それだけ? なにを言っているのだ、そなたは短剣で刺されたのだぞ!」
「このローブは戦闘用ですから」
こんなこともあろうかと、私が身に着けるのはお父様が溺愛する娘のために用意した一級品だ。守りの加護が施されていて、短剣の一撃くらいなら防ぐことが出来る。
「ソフィアお嬢様、ご無事ですか!」
侍女のクラウディアが駆け寄ってきた。
「……無事よ。でも……痛いわ。打ち身になってると思う」
私が泣き言を口にすると、クラウディアは一瞬驚いた顔をして、それから「すぐに治癒魔術師のもとへ参りましょう」と私の腰に手を回した。
だけど、私は「ちょっと待ってちょうだい」と遮った。
「シリル様、湖上の魔術発表会はどうなりますか?」
「どうもこうも、こんな騒ぎがあっては続けられるはずがない。周囲の安全が確認され次第、避難誘導が始まるだろう」
それは私の予想していた答え。私は事件を未遂で終わらせることに失敗した。だからせめて、発表会が中止になって、アイリスの夢が遠ざかることだけは防ぎたい。
「シリル様、発表会を中止にしないでくださいませんか?」
「なにを、言っているんだ?」
「暴漢が一人、取り押さえられただけではありませんか。この発表会に夢を託している方もいるのです。その夢を叶える機会を、どうか奪わないであげてください」
私は縋るようにシリル様を見上げた。
「……そなたは、どこまで……」
「お願い、できませんか?」
痛みで脂汗が滲む。汗で髪が額に張り付いて気持ち悪いけれど、私はそれを我慢して懇願する。シリル様はわずかに沈黙して、意見を求めるようにクラウディアを見た。
「そなたの主はこう言っているが……意見を聞かせてくれ」
「怪我はそれほど酷くありません。治癒魔術師のお世話になれば問題はないでしょう」
「……そうか、分かった」
シリル様はそう言うと立ち上がり、近くの貴賓席で騎士達に守られているアラン陛下のもとに向かい、そのまえで片膝を突いた。
「父上、私の命の恩人が、発表会の継続を望んでいます。他に脅威がないか確認は必要と存じますが、どうか彼女の願いを叶えてくださいませんか?」
「……ふむ」
アラン陛下は少し考える素振りを見せた後、護衛の騎士になにかを耳打ちした。その答えを聞いた後、「息子の恩人の願いとなれば聞かぬ訳にはいくまい」と言った。
「皆の者、王族の命を狙う不届き者は、ウィスタリア公爵家の令嬢ソフィアの貢献により取り押さえられた。そのソフィアの願いにより、安全の確認後に発表会を再開する!」
事の次第を見守っていた観客からざわめきが上がる。
「静まれ! 我が騎士達よ、まずはほかに問題がないか、早急に安全の確認を進めよ。発表会の再開はそれからだ! ほかの者達はその場で待機せよ」
アラン陛下はそう宣言すると、私へと視線を向けた。
「ソフィアよ、いまのうちに傷の手当てをしてくるといい。我が息子を救ってくれたことに対する礼は、後日しっかりとさせてもらうとしよう」
「退席の許可を賜り感謝いたします」
お礼を言った後、クラウディアの支えを借りて会場をあとにする。
ほかの者達は安全の確保と不審者の捜索のため、全員が席に座っている。観客席からはざわめきが上がり、警戒を強める騎士たちの姿が見える。
私は周囲の視線を一身に感じながら会場をあとにした。
連れて行かれた天幕の中。私は木製の椅子に腰掛けて、傷を癒やしてもらうためにローブと上着をはだけた。そうして打ち身のある背中を治癒魔術師の女性に晒す。
「……少し痣になっていますね。いま、治癒魔術を使用しますね」
背中の傷に手をかざした魔術師が治癒魔術を発動させると、徐々に痛みが引き始めた。私がその心地よさに身を任せていると、にかわに天幕の外が騒がしくなった。なにかあったのだろうかとクラウディアと顔を見合わせる。直後――
「――ソフィア、無事か!」
アルノルトお兄様が天幕へと飛び込んできた。背中を晒していた私は軽く目を見張るけれど、彼はそのまま治療中の魔術師に詰め寄った。
「怪我は、ソフィアは大丈夫なのか!?」
「え、あ、はい。治療中です」
「治療と言うことはやはり怪我をしたのだな! 傷はどの程度だ? 命に別状は? 跡が残るようなことはあるのか!?」
お兄様が魔術師に詰め寄っていく。
「お兄様、私なら大丈夫ですから魔術師を怖がらせないでください。それから、前回も言いましたが、私はこう見えても乙女なのですよ?」
肌を晒しているときに入ってこないで欲しいと迂遠に文句を言う。
「……おまえの王太子への献身は、乙女というよりもはや聖女だがな」
お兄様が溜め息交じりに言い放つ。それを聞いた私はわずかに顔を引きつらせた。本物の聖女はヒロインだ。私が聖女などと呼ばれたら大変なことになる。
「お兄様、聖女などと、冗談でも不謹慎ですわよ」
「冗談ではないのだが……いや、いまはその話はいい。それより、怪我は大丈夫なのか?」
どうやら、本当に心配しているようだ。
私は手を上げて治癒魔術師に退席を命じる。それからお兄様に背中を向けて、「攻撃を受けたのは背中です。もう傷もないでしょう?」と肩越しに振り返って微笑んだ。
「……本当に無理はしていないか?」
「なんなら触れてみますか?」
私が苦笑した直後、アルノルトお兄様は私の背中に指を添えた。その感覚にビクッとなった私を見て、「やはりまだ痛むのか?」と彼は不安そうな声を出す。
「本当に触れられて驚いただけです。痛みはもうありませんよ」
「……そうか、よかった」
私の背中を通して、お兄様の指の震えが伝わってくる。
「……お兄様、前から思っていましたが、過保護すぎではありませんか?」
お兄様がびくりと震えた。
肩越しに見上げれば、お兄様の整った顔に憂いが浮かんでいた。
「もしかして、なにか理由があるのですか?」
「……おまえは覚えていないだろうが、物心が付くまえのおまえは身体が弱かったのだ。ゆえに、おまえが成長する姿を見ることはないだろうと聞かされていた」
原作では語られていなかった事実。だけど、私が家族に溺愛されていた理由がこれで分かった。守らなければ、すぐにでも死んでしまうと思われていたのだろう。
「心配してくださってありがとうございます。でも、私はもう大丈夫ですわ」
「……そうか。そうかも知れないな」
そう言って微笑む。私はそんなお兄様を肩越しに見上げ、「ところで、お兄様はいつまで妹を半裸にしておくつもりですか」とジト目で睨み付けた。
お兄様は目を瞬いて、それから「風邪を引いては大変だな」と笑う。
「客席でおまえの活躍を楽しみに待つとしよう」
お兄様は私の背中に掛かった髪をすくい上げ、そこに唇を落としてから退出していった。その所作のすべてにそつがない。これがゲームなら、私はスクショを取りまくりだ。
私はお兄様の背中を見送りながら、さすが乙女ゲームの攻略対象と呟いた。
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