第24話 祭り
剣術大会が終わって一週間後、庭先でお茶を飲んでいると、アリシアさんとジャスミンさんが大荷物を抱えてくる。
その荷物の多さに、ぽかんとしてしまう。
「お嬢様に、だそうです!」
「また、ですか?」
「また、です。今度はなんとか子爵……えっと……クッフェン子爵様からでございます」
「どなたですか……?」
「さあ」
あの剣術大会以降こうして見知らぬ貴族の人たちからプレゼントがやたらと届くようになっている。
遊びにいらっしゃった殿下によると、私の働きに加え、剣術大会でヨハネが優勝したことで王宮内でのパワーバランスが、殿下に傾いたせいらしい。
ヨハネの願いを聞き届けた王もこれまでのように露骨に侯爵を頼りにできなくなったらしい。
権力の臭いに敏感な貴族たちは潮目が変わったことを察したらしく、せっせと殿下と距離のちかい私にプレゼントを贈り、気に入られようとしているみたいだ。
私からしたらそんなことをされても困るだけなのに。
宮廷政治というのはそういうものらしいけど、そんなの私は知らない。
街の方から楽しげな音色が聞こえて来たのは、大量のプレゼントに辟易しているそんな時だった。
「……ずいぶん賑やかみたいね」
「今日はお祭りですから」
アリシアさんが教えてくれた。
「お祭り?」
「お嬢様は初めてでしたよね。一年に一度、今の時期に国民の無聊を慰めるためにお祭りが開かれているんです。開催のお金や物資は全部、国が出してくれて。王太子殿下の発案なんですよ」
「アリシアさん、みんなで行きませんか?」
アリシアさんたちは顔を見合わせた。
「いえ、私たちは……」
「あ、そうですよね。みんな忙しいですよね。すみません」
「いいえ。そうではなくって……」
どうしてこんなに歯切れが悪いんだろう。
そこへヨハネがやってくる。
当然のように彼は私の目の前で片膝を折ると、右手を取り、指先に口づけを落とす。
「ユリア、今日も綺麗だ」
「……あ、ありがとう」
それだけの挨拶に、私の体温は急上昇してしまう。
(私! いい加減、馴れて!)
自分自身に突っ込んでしまう。
「今日、祭りがあるんだ」
「あ、実は今、その話をしてたの」
「そうか、タイミングが良かった。で、一緒に行きたい。どうだ?」
なるほど。アリシアさんたちの様子がおかしかったのは、そういうことだったのね。
変に気を遣わせてしまったわ。
「ええ、是非」
「良かった。じゃあ、夕方にまた迎えに来る」
※
約束の時間通りに迎えにきてくれたヨハネと一緒に馬車で祭りのメイン会場である王都の中心街へ向かった。さすがにたくさんの人手がある。
私たちは祭りの会場前で馬車を降りた。
装飾されたきらびやかな大通り、カンテラの灯りが夜を幻想的に彩る。
通りには出店が軒を連ね、美味しそうな料理や香辛料の香りが通りに流れてきていた。
秋の夜は冷えるものだけど、人々の熱気もあって、むしろ過ごしやすい。
たくさんの人たちが日頃、魔物たちに脅かされていることを忘れ、至福の時間を過ごしている。
群衆の中にあっても、ヨハネの恵まれた体格と鋭い容姿は目立つ。
剣術大会の優勝者にして、この国の英雄はすれ違う人の目を惹く。
「あぁ、聖女ユリア様だ。なんと美しい……」
「伯爵様とご一緒なのね。なんてお似合いのお二人なのかしら」
「……!」
人々の囁きが耳に届くだけで、恥ずかしくなる。
そんな私の手を握るヨハネは囁き声などまったく耳に入っていないようで、私だけを見つめている。
「何か食べたいものはあるか?」
「色々あって目移りしちゃうね」
「好きなものがあれば何でも買ってやる」
「……人のこと、子どもだと思ってる?」
「俺には遠慮せず、甘えて欲しいだけだ。俺のほうが年上なんだから」
「本当は私のほうが年上のはずなのに」
ヨハネはますます笑みを大きくする。その香り立つ色気に、ドキッとしてしまう。
「そうだな。でも今は俺のほうが大人だ」
私は悩んだ結果、出店でリンゴアメを買った。
飴でコーティングされたリンゴがとてもキラキラしていて目に付いたから。
囓ってみると、予想以上の甘酸っぱさが口の中に広がり、「んん~」と幸せな声が漏れてしまう。
「それ、うまいのか?」
「ええ。食べたことないの?」
「いや。正直、祭りに来たのも初めてだからな」
「嘘! だって、このお祭り、毎年やってるんでしょ」
「まったく興味がなかったからな」
「それじゃ人生経験として試しに食べてみる?」
「いいのか?」
「どうぞ」
私は自分が囓ったところとは逆の部分を差し出したはずなのに、ヨハネはそこではなく、私が囓ったところをわざわざ食べた。
「あ……」
(間接キス? って、なに子どもっぽいことを考えてるのよ……)
気にするようなことでもないのに、頬が熱を持つ。
彼は目だけで微笑んだ。
まるで私の考えてることを察したように。
「うまいな」
ぺろりと唇を舐める。
「……!」
私はヨハネの顔を見ていられず、リンゴアメを食べるのに夢中になっているフリをした。
あくまでフリなので、せっかく買ったリンゴアメの美味しさを楽しむだけのゆとりはなかった。
私たちは出店をひやかしながら散策した。
お祭りは、ただそこにいるだけで楽しめる。
笑いあう家族連れや恋人、友だち同士……。
そんな温かな雰囲気の中にいるだけで、心が弾む。
「っ」
通行人の人と肩がぶつかってよろめくと、ヨハネが抱き留めてくれる。
「あ、ありがとう」
顔を上げると、すぐそばにヨハネの顔がすぐ間近にあった。私は目を伏せがちになって感謝を述べた。
(分かってる。……私は、ヨハネに恋している。そうじゃなきゃこんなにも心が揺さぶられるはずがないわ)
はっきり自分の気持ちを自覚したのは剣術大会の時だ。
戦い、勝利する彼の姿から目が離せず、勝利を積み重ねる勇姿にときめき、優勝した時はまるで自分のことのように嬉しかった。
ヨハネは自然と私の手を取ると、指をからめ、さっきよりもしっかり手を繋ぐ。
決して手離さないという気迫のようなものさえ伝わる。
「ヨハネ、あの……」
「ん?」
「……手汗かいちゃってるから……」
「俺は気にしない」
「わ、私が気にするんだけど」
「手を離して、またぶつかったら危ないだろう。こうしていればいつだって助けられる。……嫌なのか?」
そんな聞き方はずるい。
嫌がるはずないって、ヨハネだって分かって言ってるでしょ。
(そうやって私が断れないって分かってて聞くのよね)
策士具合にいいようにされてしまう。
「……嫌、じゃない」
「なら、このままでいいな」
彼の大きな手。熱いくらいの温もりに安心する。
「……そろそろか」
「え、もう帰るの?」
「いや、そろそろ特等席に移動しようと思って」
「? どういうこと?」
「行ってからのお楽しみ」
ヨハネは微笑まじりに言うと人混みから離れ、路地を抜ける。
お祭りを楽しむ人たちの笑い声や明るさから遠ざかると、寂しさを感じてしまうものだけど、今は何ともなかった。
(……ヨハネがそばにいてくれるから、かな)
「ここだ」
古い時計塔。今では時計は止まり、ただのモニュメントになっている。
扉はしっかり施錠されているにもかかわらず、ヨハネは当然のように鍵で、南京錠をあけた。
「その鍵どうしたの?」
「事前に作っておいた」
「か、勝手に?」
「別に使ってないんだから問題ないだろ。あとで鍵を閉め直せば平気さ」
無邪気な笑顔は、いたずらを成功させた子どものよう。
(ヨハネって、こんな表情もするのね)
可愛い。
手を引かれ、螺旋状の石段を上がっていく。
すれ違えないくらい細い階段。
塔そのものはかなり高いせいか、半ばを過ぎたあたりで少し息が切れてしまう。
「もうすぐだ」
天辺へ通じる木戸を開けると、鐘楼の下に出る。
そこからは王都を一望できる。
王都の中心地のまばゆい明るさは目立った。
私は促され、ヨハネと肩をくっつけるように座る。
「いい眺め。これを見せるために?」
風に流される髪をおさえながら言った。
「ここからが本番だ」
どういうこと?
私が聞こうとしたその時、ヒュー……という澄んだ音が耳に届く。
バーン!
夜空に大輪の花が咲いた。
「あ……!」
花火だ。
七色の光の競演。大小さまざまな大きさや形の花火が次々と打ち上げられ、よく晴れた夜空を極彩色に染め上げる。
「これを一緒に見たかった」
「すごい!」
手を伸ばせば届いてしまいそうなくらい、近い。
「喜んでくれたか?」
「もちろん。ふふ、それにしても、ヨハネがここまでロマンチックな人だとは知らなかったわ」
「花火に興味はない。でも、ユリアは絶対に好きだと思ったから。ユリアが喜んでくれる姿を想像して、楽しんでもらえるにはどうしたらいいだろうと、そればかり考えていたから成功して良かった」
「大成功。ありがとう。すごく感動してるっ」
花火をこんなにも間近で見られたということはもちろんその通りなんだけど、それ以上に、ヨハネが私のことを考えてくれたことが嬉しい。
素敵な時間はあっという間に過ぎてしまう。
花火が終わると、空が静寂を取り戻す。
これで、お祭りも終わり、ね。
終わって欲しく無い。いつまでもこの時間が続けばいいのに。
そうしたらこうしてずっと、ヨハネと二人きり、誰にも邪魔されずに過ごせるのに。
でも屋敷のみんなを心配させるわけにもいかない。
帰らなきゃ。
私が立ち上がろうとすると、そっと手を掴まれて、「もう少しだけ」と乞うような声音で、引き留められる。
「……うん」
賑わいは遠く、私たちがいるここは風のうなり以外は本当に何も聞こえないひっそりとしている。
それでもお互いの無言の間が気まずくならないのは、ヨハネと一緒にいるだけで楽しいと感じられているから。
「渡したいものがある」
ヨハネはフエルトの張られた細長いケースを開いてみせた。
私の瞳と同じ緑色の綺麗な石のはまった、二組の耳飾り。
「これは同じ石から切り出した、ペアなんだ。これを受け取って欲しい。あの日のハンカチの礼として」
「あんな素人の手縫いのものなのに、こんな素敵なものは……」
「俺にとってどんな宝石よりも尊いものなんだ。むしろこんなものしか贈れないのが申し訳ないくらいなんだよ」
真摯な眼差しで見つめられ、「ありがとう」と受け取った。
「できれば、いつもつけていて欲しい。俺もつけるから」
「うん」
「じゃあ、俺につけさせてくれるか?」
私が頷くと、ヨハネが身を乗り出す。
息がかかるくらい間近に彼の顔が近づき、耳飾りをつけてくれる。
「それじゃ、今度は私ね」
「え?」
「私につけたくれたんだから、あなたの耳につけさせて欲しいの」
私もまた同じ石のはまった耳飾りを、ヨハネにつける。
その間中、ヨハネはその澄み切った瞳でじっと私を見つめ続けたかと思えば、不意に目を反らしてしまう。
「どうかした?」
「あ、いや」
ヨハネが言い淀むなんて珍しい。
「何よ。突然、口ごもるなんて。気になるから教えて」
「……大したことじゃない」
「だったら言えるでしょ。言うまで許さないよ?」
「……これ以上見ていたら、よからぬことを考えてしまいそうだと思ったんだ」
「よからぬ、って、どんなこと?」
「言えないから、よからぬことなんだ」
これまで平然と私を赤面させるようなことを散々、口にしておきながら口ごもるなんて、一体どんなことを考えてたのよ。
「……抱きしめたりとかそういうこと?」
「もっと」
「もっと? 分からないわ。教えて」
「……その可憐な唇を塞いで、メチャクチャにしたい」
上目遣いに、耳を赤くしたヨハネが私の心の奥底まで射貫くような、熱い視線を向けながら言った。
「!」
熱く湿った息遣いが耳を撫でる。
「い、いいよ。ヨハネになら……」
私は自分の大胆すぎる発言に、顔どころか体が熱を帯びるのを意識してしまう。
「日頃の仕返しのつもり、か? あまり、からかわないでくれ。ただの軽口とでも思ってるのか? 俺は本気で――」
「わ、私だって本気だよ。こんなことを冗談で言えるわけないでしょ。あなたは私が好きだって真剣に想いを打ち明けてくれたのよ。そんな人を相手にからかうなんてことありえないでしょ?」
「だって、それは……」
ヨハネは自分の前髪をくしゃっと掻き上げた。
私は心臓が高鳴りすぎてどうにかなってしまいそう。
「あなたが好きよ、ヨハネ」
「っ」
ヨハネが小さく息を呑むのが分かった。
「私の心に寄り添って、自分の身もかえりみずに守ってくれるその姿に……恋をしたみたい……」
ヨハネが顔を右手で覆うせいで、どんな表情をしているのかは分からない。
ただ辛うじて繋いだままになっている手に力がこもる。
繋いだ手ごしに早くなった脈が伝わる。それは私も同じ。
上目遣いに見た彼の瞳は潤んでいる。
(ヨハネ、泣いてるの?)
私は驚き、それからそんな彼の姿に愛おしさが溢れる。
「だから、もしあなたがしたいことがあるなら私は……」
「いや」
ヨハネは手を外すと、呟くように言うと、小さく頭を振った。
「雰囲気に飲まれて、するべきようなことじゃない。心が通じ合った――今日はそれだけで十分だ。それだけで……あぁ、俺は今この瞬間、世界のどんな人間より幸せだ」
「あはは、それは大袈裟じゃ……」
「大袈裟じゃない。だから、これ以上望めば、ろくなことにならない」
「そこまで……?」
一体何を考えてたの!?
「きっと思い描いていることを実際にしてしまったら……それでも満足できず、貪ってしまいそうだ」
「む、むさぼる……それは不穏ね……」
私にはとても想像できそうにない世界だ。
ヨハネは私の右手の指先に口づけを落とす。
くすぐったさにぴくっと体が小さく跳ねた。
「だから、今日はこれで」
ヨハネは、お揃いの私の耳飾りにそっと触れる。
彼の笑顔に、私の口も自然とほころぶ。
屋敷に戻ると、ヨハネはいつものように部屋まで送ってくれる。
(私たち、恋人になったんだよね)
ただ、これまで恋愛経験のない私にはどうしたらいいのかはよく分からない。
特別な関係になったんだから特別なことを――と考えるのだけど、特別なことって具体的に何をしたらいいんだろう。
下手なことをして幻滅されたくもない。
もちろんヨハネの日頃の言動を考えると、そんなことはありえないとは思うんだけど。
「ありがとう、ヨハネ」
「今日はとても楽しかった。今まで生きて時間の中で二番目に愛おしい時間だった」
「一番目は?」
「ユリアに一目惚れした瞬間だ」
「ま、またすぐそういうことを……」
私は恥ずかしさのあまり目を反らす。
恋人になったからと言って、ヨハネからの熱烈な気持ちを口にされ、動揺しなくなることはない。
彼と繋いだままの手。
一つ屋根の下で暮らしながらも、別れ難さを多分、お互いに感じている。
視線を絡めあい、そしてヨハネのほうから本当に渋々という風に手を離す。
彼の温もりがなくなるのが寂しくて、ついその手を追いかけたくなるのを理性を総動員して押さえる。
「おやすみ、ユリア。いい夢をみられますように」
「お、おやすみなさい、ヨハネ。きっと見られるわ」
互いに名を呼ぶ。そこに深い意味はないけれど、でも、呼び合うだけで幸せになれた。
※
部屋に戻る途中、俺は自分がこれまで感じたことがないほどの高揚感を覚えていた。
まるで現実感がない。
夢でも見ているのかと唐突な不安に襲われ、軽く手の甲をつねり、ちゃんと痛むことに安堵する。
ユリアが想いに応えてくれた。夢にまでみた瞬間だった。
はじめて出会ったその時からユリアに心を奪われ、彼女に命を助けられ、永遠に彼女を失い、絶望に突き落とされた。
喪失感に堪えきれず命を絶つことを頭に過ぎりながら、そのたびに自分は彼女のおかげで生きているのだと我に返った。
再び巡り会えた奇跡的な瞬間と、もう誰にも何にも奪わせない、命にかけて守るとひ誓いをたてた。
見返りを期待したことなどない。
俺の想いを受け容れられないと言われても、俺の気持ちは変わらないし、命を捧げる誓いも同様。
それでも、想いを受け容れてくれることを知った瞬間、報われたと真っ先に感じた。
本当はあのまま彼女の身も心も全てが欲しかったが、必死に本能に抗った。
あのまま本能に身を預けていたら、ユリアを壊してしまったかもしれない。
一時のために全てを台無しにするな、と理性の叫びに耳をすませた。
『おやすみ、ユリア。いい夢をみられますように』
『お、おやすみなさい、ヨハネ。きっと見られるわ』
頬を染め、潤んだ眼差しでそう声をかけてくれた彼女の顔を見て、理性の声に耳を傾けたことは正しかったと確信した。
今日まで我慢できたんだ。ゆっくり関係を育てていけばいい。
(ユリアがどこかにいなくなることはもうないんだから)
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